73 ワタシダケノモノ

「お前は雑種だ、汚れている」


 アドリアーネ・インテルレンギは異母兄弟からそう言われて育った。アドリアの母は元々インテルレンギ家に仕える使用人の一人だった。美しい容姿を持つ半森人族ハーフエルフは貴族が使用人として召し抱えることがある。

 インテルレンギ家は僧侶や神官を代々輩出してきた家で、貴族ではないが家格は高い。その家に雇われた母は、とある出来事があって当主であるアゴスティーノ・インテルレンギのお手付きとなり、アドリアを産んだ。

 アドリアは半森人族ハーフエルフと人間の間に生まれたのだが、半森人族ハーフエルフの血が強かった。そのため見た目はほぼ半森人族ハーフエルフである。


 アゴスティーノは自分が高齢になってからできたアドリアを心から愛しており可愛がっていたのだが、見た目も美しい上に、父の愛情を受けるアドリアのことが面白くなかった異母兄弟、正妻からはよく思われず、ひどい虐待を受けていた。心労で母親が亡くなり、一人になってしまったアドリアは異母兄弟との交流ができず、アドリアを心配したアゴスティーノは、自身が信頼するメイドの一人に預けられ育てられた。本来受けられる愛情を受けられなかった彼女は、欲しいものを欲しいと言えない性格となっていった。


 そんなこともありアドリアは子供の頃は内向的で、小説の世界に没頭することが多かった。その意識を変える出来事があり、医学と魔法の勉強に打ち込むことになる。

 内向的なアドリアをなんとかしようと父に連れられて地方の村へと行った先で、魔物に襲われた村人を介抱することがあり、手を尽くしても亡くなっていく患者を見て、自分の力の無さをどうにかしたいと思った。

 そこで、自分の家の歴史を調べ魔法と医学を志そうと心に決め、内向的な自分を隠して、今の明るく優しいアドリアが形成されたのである。


 父と母の血を受け継いだアドリアは魔法の才能を開花させ、異母兄弟が嫉妬するレベルの成績を収めていくが、それと並行して小説の世界が好きで恋愛小説を好んでおり、燃えるような……ドラマチックな恋愛がしたい、と願望を持っていた。

 アイヴィーとクリフを焚きつけた後に、どんどん進行していく二人を見ていて、正直に言えばアイヴィーに嫉妬心を感じていた。クリフにやたらと二人の仲を揶揄して突っかかっていたのも、本当は自分も見て欲しい、という寂しさの裏返しだったのかもしれない。


「では、手に入れましょう」

 不気味な声が心に……アドリアの心の中にある暗闇の中に響く。

「いやよ……知られたくない……」

 アドリアは怖かった。親友となったアイヴィーに軽蔑されることが。アイヴィーの笑った顔が脳裏に浮かぶ。


「大丈夫ですよ、彼を手に入れて仕舞えばあなたが独占できます」

 誘惑する声が心に響く。この声は最近何処かで聞いた……。

「クリフを手に入れる? ……もう……手に入らないよ! 私じゃなくて彼女を見ているもの!」

 当初はそれほど強くなかった嫉妬心が大きく膨らみ、そして弾ける。強すぎる衝動。

「そんなことはありません、今からでも手に入りますよ。見たでしょう?あなたが彼を誘惑した時の顔を」


「そ、それは……」

 スカートを軽く持ち上げて悪戯した時。クリフは私の足を見て、目が離せないという風に息を呑んでいた。私が彼を見つめて誘惑した時、彼の目に浮かんでいた欲望の光。彼も私が欲しい? もしかして……クリフと一緒にいられる?

「そうです、あなたが彼女の代わりに彼の横に立つのです。毎日好きなだけ愛してもらえますよ」

「私が愛される……? クリフに?」

 小説で読んだような心だけでなく体ごと預けるような愛、燃えるような恋ができる。期待がアドリアの心に膨らみ、そして恐怖が再び襲ってくる。アイヴィーがいるのに、私だけを見るわけない。

「で、でも私はアイヴィーの親友……親友は裏切れない」


「では殺してしまいましょう。親友を」

 声が殺気の篭ったものになる。

「殺せない……友達だもん……」

「でも殺さないと、彼があなたのものになりませんよ?」

 自分の心に強い欲望の炎を感じる。その炎は焚き付けられたもの。混沌の戦士ケイオスウォリアーネヴァンが心を操り薪を焚べている。ネヴァンは直接的な戦闘能力はそれほど高くないのだが、心を操る術に長けている。甘言、誘惑、幻惑さまざまな手段を魔法と共に繰り出し、人を操るのだ。そして彼女にとって肉体はあまり重要な物ではない。魂だけでも生きていけるのだから。


「クリフを……手に入れられる……私だけのものに……」

 暗闇の中でうずくまっていたアドリアの目に暗い炎が宿る。ネヴァンはその様子を見て満足する。記憶を読んでいるが、なかなか面白い逸材だとも思っている。この半森人族ハーフエルフは心についた傷が多すぎる。自分で傷ついていることも多い。その傷を抉るだけでよい。

「さあ、あなたは彼を手に入れましょう……あの小娘は殺してしまえばいいのです……」


 暗い情念を燃やしアドリアの心が嫉妬心を大きく膨らませる。ネヴァンが少し後押しをするだけで、嫉妬心の殻が割れ、殺意が芽生えていく。元々なかった気持ち、彼女に感じることのなかった憎しみ。私は手に入れる……私は……私……。

 急速に意識が覚醒していく。その目に不気味に笑うネヴァンの立ち姿が映っていた。


「アドリア! 大丈夫か?!」

「ク……クリフ……?」

 目を開けるとクリフの心配した顔があった。その後ろにアイヴィーとトニーの姿も。二人とも安心したように少し涙を浮かべている。

「よかった……ネヴァンは塵になったよ。アドリアも何時間も起きなくて……本当によかった」

 クリフがそっとアドリアを抱きしめる。優しい温もりに頬が上気する。私……彼に抱きしめられている……。そっと背中に手を回すと暖かさに喜びが湧いてくる。私のもの……私だけの……。


「よかったわ、アドリア……あなたに何かがあったら……」

 アイヴィーが涙を拭いながら安心したようにアドリアの髪に手を触れる。その手の感触を感じてアドリアの心が黒く塗りつぶされていく。こいつは敵だ……アイヴィーは私の欲しいものを奪っていく……。隠しきれない殺意を込めて、アイヴィーを睨みつけ、そして手を払い除ける。

「……まだダメですよ」

 心にネヴァンの声が響く。そうだ、今はこの暖かさをまだ感じていたい。私だけの暖かさを……私のものだ、お前のじゃない。


「痛っ……え? ア……アドリア?」

 アドリアは下を向き、そしてクリフの胸に体を預ける。

「ごめん……今はやめて」

 殺意を堪えた感情のない声でアドリアは呟く。アイヴィーは困惑したように払われた手とアドリアを交互に見ている。どうして払われたのか分からない。

「つ、疲れてるのではないですかな」

 トニーがフォローを入れる。

「そうだな……アドリアはもう少し休んだほうがいいよ。この家は焼けていないし、家具もある程度残っていた。明日までゆっくり休んでそれから大学に戻ろう」

 クリフが優しく微笑んで、アドリアをベッドに戻す。毛布をかけて頭を撫でる。手の感触に仄かな快感を感じる。頬が熱い。

「おやすみ、俺は別の部屋にいるから、何かあったら呼んでくれ」


 クリフとトニーがアイヴィーを連れて部屋を出ていく。アイヴィーの顔には困惑が浮かんでいるが、それが何かわからないまま部屋を出ていく。

 部屋を出るアイヴィーを憎々しげに見つめながら、アドリアは暗い炎に身を委ねていた。


「私のもの……私だけの……お前のじゃない」

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