64 ヘント村のコレット

「逃げなきゃ……逃げなきゃ……」


 森の中を一人の少女が走っている。彼女の名前はコレット。聖王国の国民であり、国境の村ヘントの住人である。彼女は今村から逃げ出し、暗い森の中を走っている。

 彼女が平和に暮らしていたヘント村は今炎に包まれていた。なぜ?どうして?と混乱した頭で考えながら、ひたすらに走っている。

 平和はいきなり打ち砕かれた。いつまでも平和が続くと思っていた日常に、突然暴力と恐怖が襲いかかってきたのだ。首都の方で何かが起きた、とは聞いていたが遠い場所の話だと大人達は取り合っていなかったのに、なぜ?


 その魔道士はふらりと村を訪れた。

「こんにちは、みなさん。私は魔法の研究をしているネヴァンと申します」

 不思議な人物だった、非常に背が高く常にフードをおろしていて口元しか見ることができない。纏っている黒いローブは仕立てが良いがどことなく不気味な印象を与える装飾をしている。そして薄桃色の長い髪を垂らしている。

 最初は平和だった。ところが段々とおかしなことが起き始めた。大人たちが次第に争うようになった。最初は罵り合い、そして喧嘩が始まり、最後には殺し合いになった。

 必死になって止める大人たちも次第に憎しみに心を支配され、仲の良かった家族さえも殺し合いを始めるようになった。


 そんな中でもネヴァンは常に笑っていた。その喧騒を見てくすくすと笑うだけだった。おかしい、これはおかしいと思い、村の外に逃げることになった。代表としてコレットと姉のマリアが隙をついて村を逃げた。

 しかし……森の中を彷徨う中でマリアが獣魔族ビーストマンに捕まった。この森には獣魔族ビーストマンは住んでいなかったはずだ。急に現れた獣魔族ビーストマン。これだけでも異常な事態が起きている、とコレットは思った。

「逃げて! 村の外に伝えて!」

「お姉ちゃん!」

 マリアの悲鳴を背にコレットは必死に走った。もう走れないくらいまで、必死に走り森をもうすぐで抜ける、と思った時。目の前に絶望が現れた。


「どこへいくの? お嬢ちゃん」

 黒いローブをはためかせ、目の前にネヴァンが立っていた。くすくすと笑いながらゆっくりとこちらへ近づいてくるネヴァン。震えが止まらない、これは人間じゃない、絶対に違う、悪魔だ。

「そうね、あなたの知識だと私は悪魔、に該当するかもしれないわね」

 フードをあげてその彫刻のような顔と、山羊のような金眼をあらわにするネヴァン。不規則に動く目を見てコレットは更なる恐怖を感じる。

「お姉ちゃん……お姉ちゃんっ!」

 震えながら先ほどまで一緒にいた姉を呼ぶ。


「ああ、さっきのあの子。お姉さんなのね。安心してちょうだい、私は優しいのよ」

 ニタリと笑顔を浮かべてコレットを見つめるネヴァン。か細い期待を感じ、コレットは周りを見渡す。しかし姉はその視界にはいない。

「ここにはいないわ、あなたのお姉さんには使い道があるの。繁殖のための苗床にね」

 くすくすと笑いながらコレットに手を伸ばすネヴァン。指を額に押し当てて語り出す。

「あなたは伝令になってもらいましょう、魔法大学へ向いなさい。そこで私がいう通りに話すの」

 恐怖で震えながらコレットは何度も頷く。同意、と見たのかネヴァンの目が軽く動くと頭の中にその言葉が入ってくる。

「ぎゃああああ!頭が痛い!助けてええ!お姉ちゃんっ!お姉ちゃんっ!」

 コレットは頭を押さえてもがき苦しむ。強烈な痛みと、不気味な声が頭の中に響き渡り、締め付けられたような激痛で動けなくなる。

「よろしくね、ちゃんと伝えて使徒をここに連れてきてね。他の人が来ちゃうと困るのよ」

 次第にコレットは思考能力を奪われていった。むしろ今まで体験したことのない心地よさ、気持ちよささえ感じてくる。この女の言うことを聞かなければいけない、そう私を導いてくれる大切な人。

「はい、ネヴァン様。私にご命令をくださいませ」

 気がつくとコレットの目から光が消え、従順な奴隷として表情が失われた……人の形をしているが、すでに魂は汚され、思考能力すらない伝言を伝えるだけの従順な傀儡がそこには立っていた。


「さあ、行きなさい。伝言をお願いね、コレット」

 ゆっくりと頷くと、トボトボとコレットは歩き出した。




 大学の正門に一人の少女がトボトボと歩いてきた。守衛はその姿を見てギョッとする。服はボロボロで、血の跡などもついている。

「お、おいお嬢ちゃん大丈夫か?!」

 守衛の一人が慌てて駆け寄る。手を差し出すも、その手を払い少女は告げた。

「私は伝言を頼まれた。私の言葉を堕落の落胤バスタードを倒したものへ告げたい。呼ぶが良い」


 表情はなく、その声も不気味な……とてもではないが少女が出せるような声ではない。違和感を感じ、守衛が1歩後退する。

「お、おいすぐに学長へ報告だ」

 もう一人の守衛が慌てて走っていく。その様子を見て少女……ヘント村のコレットは不気味な笑顔を浮かべる。その笑顔を見て残った守衛は早く相方が戻ってこないか、不安に苛まれるのであった。

「さてどう出るのか……楽しみね」


 コレットの姿をしたはほくそ笑んでいた。

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