09 この世界のトロウルはリアル凶悪ムー○ンでした

 ……翌朝。

 カルティスが腫れぼったい目と、汚れた顔を見て何も言わずに水で濡らした布を渡してくれた。

「子供にはきついよな……もう少し考えるべきだった、すまない」

「い、いえ。大丈夫です、もう落ち着いてますので」

 一時的に気持ちが昂っただけだと思う、自分で手を下したわけではないが、前世でも人の死をみる経験は少なかったから仕方ないのかもしれない。

 朝食の時もみんな非常に優しかったのが本当に申し訳ない、と思ってしまった。




 キャンプを片付け再出発……しばらく経過した頃、セプティムが急に立ち止まった。おおう、突然どうしたんですかセプティムさん。

「思っていたよりも警戒が厳重だな、僕らは戦いに来たわけではないぞ」

「……そうか、だがそれが嘘である場合もある。動かないでもらおう」

 不意に音もなく木陰から大きな巨体が現れた……不気味に赤く光る両眼、両顎から鋭く尖った凶悪な牙、尖った鼻腔、縦に延びた鋭い耳、そして二メートルを越す巨体に盛り上がった筋肉、これと夜鉢合わせたら命の危険を感じるレベルの生物だ。

 ただ……前世の記憶を持つ俺からするとどうしても思い浮かべてしまうイメージがあった。

(これ……は……ム……ムー○ン? ……の割にはデカくてマッチョで可愛くないな……)

 そう、全体的なシルエットは馬鹿でかい鬼のような姿なのだが、顔の造形がリアルにしたカバというかムー○ンにしか見えなかったのだ。凶悪で人を殺しそうなリアル系ムー○ン、今日からこいつは俺の中でそのイメージになった。


暗黒族トロウル……」

 カルティスが警戒体制に入る。

「動くな人間」

 暗黒族トロウルはグイッと手で持っていた巨大な鎚矛メイス……と呼ぶにはあまりに不恰好な武器をカルティスに向ける。人間が使うメイスは大抵装飾が入っているものが多く、打撃部分も威力を増すために突起がつけられているケースが多い。家に保管してある槌矛メイスもそういった造形がなされたものだった。

 人間の筋力には限界があるためなのだが、暗黒族トロウルの持っているメイスは武器と呼ぶにはあまりにも大雑把で不恰好だった。

 球体状に成型された打撃部分に柄がついただけのシンプルな造形。


「クリフ、戦いになったら全力で走って逃げろ。暗黒族トロウル槌矛メイスは見た目よりも危ねえ。奴らの腕力で振り回すと簡単に上半身が無くなるぞ」

 カルティスが流れる汗を拭おうともせずに警告する。目の前の暗黒族トロウルへの恐怖もあるのだろう、セプティム以外のメンバーが全員緊張で動けなくなっていた。

 ただ一人、セプティムが戦意がないのを示すように両手をひらひらさせながら続けた。

「気に障ったらすまない、近くに村があるのを知っているだろうか?僕たちはそこの使者としてきた」

「知っている、ひ弱な人間たちの村だ。ただ我は分別を弁えている。襲ったことはない」

 暗黒族トロウルは油断なくこちらをチラチラ見ながらそう答える……そして俺=クリフに気がついた。


「なぜ子供がここにいる?」

「村の代官の息子さんだ、代官が来れないので代わりに同行している」

「ふむ……まあ、子供がいる中で暴れるのはお前たちにとって不利だな、承知した」

 暗黒族トロウルが武器を下ろすと、それと同時にホッとしたのかカルティスやジャクーがため息をついて警戒を解いた。

「我はジャジャースルンド。影の高原シャドウプラトーにて戦士だったものだ」

 暗黒族トロウルが自己紹介を始めた。

「影の高原って、この辺りで最大の暗黒族トロウルの集落だよな?」

「如何にも、強き兄弟たちが集う我らの聖地にして、暗黒母に愛された土地、暗闇の眷属の王国である」

 影の高原……? 先生から教わった歴史だと、神話時代から暗黒族トロウルが住んでいる土地で、彼らにとっては近隣で最大の聖域だったはずだ。そこで戦士をしていた、ということは相当に位の高い暗黒族トロウルなのでは無いだろうか。

「でも、そんな貴方がどうしてこんな辺境まで?」

 ベアトリスが質問を投げかける。

「……詳しく話そう、洞窟まで来てくれ」

 ジャジャースルンドはそう言うと先導して歩き始めた。




 洞窟はジャジャースルンドと出会った場所から三時間程度で到着した。

 そこには暗黒族トロウルが……ジャジャースルンドともう一人。あとは小鬼族ゴブリンが一〇匹いた。そういえば暗黒族トロウルは数が少なく、大半の戦力をゴブリンに頼っていると先生が話していた。

 10匹の暗黒族トロウルって小鬼族ゴブリン込みでか……村の報告者も適当だなあ。


 ジャジャースルンドは簡素な焚き火の前に俺たちを座らせると、不思議な匂いのする飲み物を出してくれた。

「人間の口にも合うと思うが、薬草を煎じた茶だ。」

 お茶かー、でも周りの冒険者は警戒して匂いを嗅いだりして飲もうとしていない。

 匂いとしては確かにハッカ系の清涼な感じだな、ということで匂いを嗅いだ後は飲んでみるしかない、ので口をつける。

 流石にその行動に冒険者たちが一瞬慌てる。が、子供は気にせずこういうものは飲んでしまうものなのだ、いただきまーす。


 ……これ…は…うまい! 喉越しに清涼感があって疲れが癒やされていくような気分になる。

 ぬるいハッカ茶って感じかなあ。

「……子供は素直でいいな、戦士よ。お前たちよりも勇気があるぞ、グハハ」

 ジャジャースルンドが口角を上げて、どうやら笑っているようだ。普通に考えるとめっちゃ怖いが、ムー○ンだしなあ。

「……僕らは完全に警戒しなきゃいけないって気分になっていたよ、全く」

 セプティムは苦笑いしてお茶を飲み始める。

「……これ美味いな」

「これで我と貴様は仮初の友となった、初めて会った者には話をするにはこの儀式が必要なのだ」

 ジャジャースルンドが再び豪快な笑いを見せる、どうやらこの暗黒族トロウル思ったよりも良いヤツなのかもしれない

 その様子を見た冒険者たちは安心して思い思いにお茶を飲み始める。

「子供、なくなったら言え。新しいものを注ごう」

 かなり上機嫌だ、それとさっきは気がつかなかったがこの暗黒族トロウル全身が傷だらけだ。

 戦士だ、というのも嘘では無いだろう。よく見ると着ている革鎧レザーアーマーも古ぼけてはいるが、各所に使い込まれた後や傷がそのまま残っている。

「ありがとうございます、ジャジャースルンドさん」

 美味しいものを飲んで自然と笑顔が溢れた。俺の顔を見てジャジャースルンドの目元が緩む、どうやら子供好きらしい。


 その目を見て、俺はジャジャースルンドは信頼できる暗黒族トロウルなのだ、と直感的に思った。

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