第7話 かびのはえたコッペパン


「では、私からも質問させていただきますね」

「あ、はい」

 急に改れるとまた緊張してしまう。最近は気づかなかった、いや気づかないようにしていたけれど、元々緊張しやすかったんだ。

「そんなにかしこまらないでも大丈夫ですよ」

「すみません」

 思わず謝ってしまう。何で謝るのかって言われてもわからない。特に謝っているわけでもないのに。

「まずは、お名前と年齢を教えて下さい」

 書類を見ながらそう尋ねられた。それはもう知っているのでは、とも思ったけど大人しくそのまま答えた。時偶、自分の年齢を思い出せなくなる時がある。そういえばこんな歳だったなあって思うけれど、何となく腑に落ちない。

「“未来”と書いて“ミク”ですか。いい名前ですね」

 名前について色々言われてはきたけれど、あまり褒められることはなかった。あっても小馬鹿にされたり何だか嫌な気持ちになってしまうことの方が多い。

「え、名前知ってたんですか?」

「それは、先ほどから呼んでいるではありませんか」

「そうじゃなくて。漢字とか」

「この書類に書いてますから」

「だから、書いているなら聞かなくていいじゃないですか・・・」

「念のためです」

 何となく、風貌といい、お役所仕事みたいだ。

「それに」

 閻魔さんがつぶやいて続けた。

「私は、あなたの全てを知っているわけではありません」

 どういうことだろう。あれだけ分厚い資料も持っていて、何より閻魔大王様なのに、知らないことなんてあるんだ。そのことの方が大分驚きである。

「でも、なんで閻魔大王なのに知らないことあるの?」

 我ながら馬鹿っぽいというか、子供っぽい質問だともわかってはいるけれど、聞かずにもいられないんだからしょうがない。

「私は別に全知全能でもなければ、神でもありませんよ。それに全部知っているのであれば審査の必要などもありませんからね」

 そっか。閻魔大王さまは神様ではないんだっけ。わかんないな。

「それぐらい未来さんの頭でもわかりませんか」

 んん・・・ぐうの音も出ない・・・。やっぱり聞くんじゃなかったか・・・。

「なので、これから貴女のことを教えて下さい」

 これが閻魔大王でなく人間のイケメンであればもう少しときめいたのかもしれない。確かにこの閻魔さんもイケメンではあるけれど———。

 だけれど、私のことを教えてください、って言われても、そんなの私が聞きたいぐらい。自分のことなんて全然知らない。わからない。私だけがそうなのか、あるいは人間という種がそうなのかなんて難しいこともわからないけれど、自分のことを知っている人など果たしているんだろうか。

 そんなことを思い浮かべながら、閻魔さんの質問が始まった。

「好きなものは何ですか?」

「好きな物?」

「何でも結構ですよ。未来さん、あなたが好きだと思っているもの、感じているものを教えてください」

「ええと・・・・コッペパン、ですかね」

「コッペパン、ですか。その理由もお聞かせいただけますか?」

「これといった理由もないんですけど、まあ、安くてお腹が膨れるところですかね」

「なるほど。ではお味の方は」

「え、味は、普通です。コッペパンですから」

「そうですよね。それはいつからかわかりますか?」

「・・・好きになった頃ということですか? ———いつからだろう、あんまり覚えてないですね」

「好きなコッペパンのメーカーなどありますか?」

 ・・・・なんだろう。少し前から感じてたけれど、すっごいコッペパンについて聞いてくるのは何故!? これは最早私に対しての質問じゃなくて、コッペパンについての質問だよね!?

 そう思いながら顔をしかめていたらしい。

「どうしました? なんだか不服そうですね」

 閻魔さんにはお見通しらしい。

「いや、なんかもっと他に聞くことあるんじゃないのかなあと思って」

「と云いますと」

「いくらなんでもコッペパンについて聞きすぎじゃないかと!」

「なるほど。未来さんは飽くまでも、コッペパンについての話は無駄じゃないかと、そう思っているのですね」

「え、まあ」

 図星である。というよりも、そこまで言うのならば逆にコッペパンの意義を教えて欲しい。コッペパンはコッペパンでしかないのに。

「———無駄とは何ですかね」

 唐突に言われた。正確には、唐突に言われた気がしたのだ。私の名を呼ばれた後に、しっかりと、それなのに呟かれたその言葉は全身に突き刺された感覚だったんだ。

「確かに、この話は無駄かもしれませんね。食べること、勉強すること、本を読むこと、遊ぶこと、夜寝ること、今ここで話していること。それらは無駄なのかもしれません」

 無駄って———

 閻魔様だからなのか、それとも私の頭が悪いのか。難しいと思う。だけれど、逃げてきてしまった結果だと深く思ってしまった。

「そう、それらは結果論でしかないのです。あくまでも」

 結果論って何だろうか。言葉の意味は分かる。知っているけれども。具体的に話してくれなきゃわかんない———って、何かいつもそう。目の前の結果とか、そればっか重要って・・・。

「あくまで可能性でしかないのですよ」

 昔見た映画か何かでも言ってた。可能性が大事とか、投資とか。意味は今もそんなには分かんない。だけど、何となく解る気はするかもしれない。でも、それがなぜいけないんだろう。そもそもいけないのだろうか。

「あなたが無駄だと思ってきたことには、一体どんな意味だったんでしょうね」

 無駄だと思ってきたこと———? そんなの、数え切れない。そもそも、生きていることが、そんなに有意義なんて。思ってもみなかったんだから・・・。スマホとか、ゲームとか。何か意味あったのかな。

 



 世の中に意味のあることなど、一体どれほどあるのだろうか。

 冷たい空気。気化した汗が空中に漂っている不快な湿度。

 掛けられる言葉は決して言葉などでは無く、音という波長で、空気の振動でしかない。見るものすべて光の屈折による波長の違いなのであるから、大した意味などあるはずがない。だけれども、きっと何かがあると信じる自分も未だ胸裏に介在していることもまた事実である。

 そんな当てのない不必要な期待を、いつの頃からか抱いていた。

 死にたい、そんな言葉が意図せずとして耳に入ってしまうのも、何かの意味があるのだろうか。

 そんな人生は、一体何の意味があるのだろうか。

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