第2話 見上げた先はどこまでも広かった



「———死にたい」




 一体何度、そんな言葉を聞いたのであろうか。


 交差点の横断歩道。


 地下鉄の専用席。


 三つ隣の椅子の上。



 どこへ行っても、その言葉は呪いのように付き纏う。どす黒く、排煙にも似た質感で、水蒸気よりも確実に重い。喩え誰かが消えたとしても、亡くなったとしても、誰もそれを受け止めてはいない退屈な日常。今日はもう四二回目だった。



 淀む排他的な空気の中で効率だけを搾取する。期待値を考えず、感性を疎かにして、誰かのため、何かのための大義名分を振りかざし、ただ、ただ考えているふりをする。美徳と欺瞞と虚栄とが醜く隠され混沌としたこの澆季混濁の世間では、みんなが皆、三流役者だ。


 朝、はじき出した最短距離の駅へとみんなが挙って歩み出す。当然“レディー”の掛け声も有りはしない。超能な意思疎通によって、いつの間にかの知らないうちにスタートしている。知らない誰かの奇妙な無音の合図とともに、偽の革で作られた汚れた靴を精なく道に運ばせる。無情な叫びが無音となって街の隙間に鳴り響く。聞くに堪えないその声は、既に誰も聞いてやしない。


 聞こえてももういない。


 彼らの耳は二十世紀の大発明を自慢げに、半径5メートルへ不快な雑音を届けるプラスチックを携えることで精一杯だ。両耳を塞ぐそのイヤホンは、まるでその中自体を嫌うように、抗うように、どこかの誰かが作った知らない何かを、さも自身がもっとも価値のある存在かのように踏ん反り返って嘆く老人の喚きのような騒音を無機質に流していた。


 その他、大勢。


 ゆるいスーツ、汚れた革靴、古びた鞄。ボサボサ頭に黄ばんだ歯。そんな社会を担うサラリーマンと、着慣れていない新新品の黒スーツに黒い鞄、お先真っ暗のはずなのに、みんながみんな群がって楽しそう悪愚痴を言ったり来たり。


 溜まった窒素を思いきり吐き出すその光景は、マイケル・ジャクソンかデヴィッド・ボウイが死んだからだとばかり思っていた。あるいは黒澤明、或いは蜷川幸雄、或はスティーブ・ジョブズ、ジョン・レノン・・・・。


 絶望という二文字にはあまりにも失礼すぎる。軽すぎる。メリークリスマスも言えない年であるだろうから、サンタクロースがこの戦場から助け出してくれるはずもない。だけれども、それでも期待してしまうのだ。


 まだ何か、この絶望の近似値から、無限大に発散するか、あるいは0に収束するのか、その人生と社会の不確定性が証明できる限り、諸行無常である限り、未だその可能性を自ら0に収束させることもできなかったのだ。


 だから、救済でも、解脱でも、悟りでも、サンタでも、どれでもいい。この虹彩の先に広がる不条理でつまらない世界を、変える何かが欲しかったのだ。


 いくら相対性証明されていても、重力波が存在したとしても、一日一日カレンダーは刻一刻と捲られる。秒針は確実に一秒と思われる速度で進み、一日経てば数字は変わる。



 そう、確かに進んでいる———はずである。



 だのに、古時計の針が進んでいないかのようで、砂時計の砂が落ちるように空気の絶対量が減ってしまっているかのようで、息苦しかった。

 だけれども、この感情のクオリアを証明する解法を持ち合わせていないことに憤慨していたのも、また事実である。

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