真田 春大の章 3
「久しぶり」
母さんは、優しく微笑んだ。あの、記憶の中にある、笑顔で。
「春大、夏」
母さんは、そっと手を伸ばし、ためらいがちに俺たちの頭を撫でる。くすぐったくて、なんだか少し、恥ずかしかったけれど、母さんの手は温かくて、素直に嬉しかった。夏も恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、頰を染める。
「入りなさい。今、お茶を出すわね」
俺たちは、ちゃぶ台の前に並んで座っていた。テレビの横にはいくつかの写真立てが飾られていて、その写真ほとんどに、見覚えがあった。
家族三人で撮った写真。
赤ちゃんの写真が二枚。おそらくその一枚は俺。そしてもう一枚は、きっと夏だ。
それから――なぜか裏返しにされた、写真立て。俺はその写真が気になったけれど、何も言えなかった。聞いちゃいけないような、そんな気がした。
「春大、夏、元気にしてた?」
母さんがそう言いながらこちらにやってきてビビる。俺は急いで視線を外す。
「元気だったよ」
母さんは俺と夏の前に、お茶を置く。俺はそれに手を付けることなく、母さんの顔を見つめていた。あれから約十三年が経ったはずなのに、母さんは年齢を感じさせない若々しさをまとっていた。
「夏、元気だった?」
母さんは返事のない夏の顔を覗き込む。緊張しているのだろうか、体を硬直させている。
夏は返事することなく、小さく頷いた。
母さんはそんな夏を見て、少し寂しさを含んだ表情をして、すぐに戻した。
「‥‥‥夏、春大。まずは、ごめんなさい。まだ幼いあなた達を、置いて出ていってしまったこと。申し訳なく思ってる‥‥‥」
母さんは、本当にごめんなさい、と頭を深く下げた。俺は何も言えずに、ただその頭を見つめていた。
「‥‥‥お母さん」
夏のその呼びかけに、母さんはばっと顔を上げる。おそらく夏の声を、初めて聞いたのだと思う。
「過去のこと。話してほしい。謝るより先に、教えてほしい‥‥‥」
夏はゆっくりと、一語一語はっきりと言う。
「‥‥‥そうだね」
母さんは少し笑った。寂しそうに。
「‥‥‥春大のお父さん、
「「許嫁‥‥‥」」
城島は、夏の父親だったはずだ。
「お父様は、無理やり浩大さんと離婚させて、城島さんと結婚させた。きちんとした血縁の跡継ぎが必要で、‥‥‥あ、お父様は会社の社長だったから」
「え、じゃあ母さん、ご息女ってこと?」
「まあ、堅苦しくいえばね。私はその言い方、嫌いだったけど」
「あ‥‥‥ごめん」
俺は申し訳なくなって、頭を下げた。母さんはもういいの、と言って笑った。
「‥‥‥本当はね。春大と夏、本当の兄弟なの」
「「‥‥‥え」」
本当の‥‥‥兄弟?
夏はさほど驚いていないように見えたが、少し目を見開いた。俺は口を開き、驚きを隠せない。声も出せなかった。
「僕と春大くんが本当の兄弟って‥‥‥異父兄弟、という意味では、ないですよね」
本当に小学六年生なのかと問いそうになるほどに夏は冷静で、そして俺が思ったことを質問する。
「ええ、血の繋がった兄弟よ」
俺は夏の顔を見た。夏は母さんを見ていた。夏の横顔は、なんだか大人びていて、俺より年上にも見えたし、また、無理しているようにも感じた。
「書類上は城島さんとの子供ってことになってるけどね。彼も知ってて、協力してくれている。これは、お父様を騙すために必要だったの」
「城島さんは、今?」
「彼も心に決めた人がいて、夏が生まれてすぐ、彼女のところに戻ったわ」
「お父様‥‥‥おじいちゃんは?」
母さんは目を伏せたあと、夏を、探してる、と呟くようにいった。
「夏はあのままだと、私と同じ人生を歩むことになってしまっていた。会社のために、自分の人生を捧げることになってしまっていた。だから乳児院に預けて、お父様から隠した。でも、本当のことを言わなきゃ、いけなかった‥‥‥」
間違っていたのかもしれない、私のしたことは、と母さんは自分を攻めるように言った。
「お母さん‥‥‥」
夏は母さんを見て、だけどその表情に耐えきれなくなって視線をそらした。そんなことない、お母さんが僕を思ってしてくれたことだから。そう言いたかったのだろうと思う。
「本当はっ、夏を連れて浩大さんのところに、行こうと思った‥‥‥。だけど彼は‥‥‥私を受け入れてくれなかった‥‥‥」
母さんは溢れる涙を拭いながら言葉を紡ぐ。声は、情けないほどに震える。
「多分、春大がお父様に狙われることが、怖かったんだと‥‥‥思う。戻ってくれば、すぐバレるから‥‥‥っ」
父さんには父さんなりの考え方があった。俺のことを考えてのことだった。俺は何も言えなかった。母さんの泣き顔を見ていると辛くて、俺も泣いてしまいそうになる。
「優子さんと再婚したことも、知ってる‥‥‥。私が悪いってわかってるけど‥‥‥」
母さんは立ち上がり、TV台の横に置いてある一つの写真立てを手にとった。俺が気になっていた、ふせられていたものだ。
そこに写っていたのは、教会の前で、若い男女が幸せそうに寄り添う姿だった。
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