真田 春大の章 2

「夏、おはよう」

「おはよう、春大くん」


今日もすたこらさっさと校門をくぐろうとする夏。


「一緒に、帰ろうぜ」


俺はその背中に、声をかけた。夏は驚いたように振り返って、少し困ったように笑った。


「校門で、待ってろ」


強引に約束を取り付け、断りなんて聞かないと言うように、隣の中学の校門をくぐった。



母さんに、会いに行く。俺はそう決めた。きちんと会って、話がしたい。過去のこと、夏のこと。今までのこと、全部。聞きたい。母さんの口から。

そのためには、夏の協力だって必要だ。そりゃ、まだ気まずいところはあるけれど、夏は義弟だから。

それに、きっと、過去を乗り越えられたら、俺達はもっと、普通にできると思うから。こんな気まずい思いをしなくて済むと思うから。



夏休み、夏と母さんに会いに行く。そう宣言したとき、父さんは、何も言わなかった。義母さんは、そう、と一言言っただけだった。なんだかほうって置かれているような、そんな気がして寂しくなった。俺はこの家で、なんの役なのかと、不思議でたまらなくなった。



「――春大、くん」


下校チャイムが鳴って少しして、夏が現れた。


「‥‥‥帰るか」


俺は先立って歩き出した。俺の家と夏の家は、あまり近くはない。どちらかというと、反対方面だ。だけど、話したいことがあるから仕方がない。回って帰ろう。それに早く帰ったって父さんはいないから、義母さんと二人きりになってしまう。それは気まずくてやれない。


「あの、春大くん。どうしてこっち方面で帰るの?話したいことでも、ある?」


夏が急かすようにそう聞く。

俺は少し頷いた。


「昨日、母さんから、手紙が届いたんだ」


「母さん‥‥‥って、真田洋子さん?」

「ああ、今は間宮姓だけど」


俺は昨日の母さんの手紙の内容を、ゆっくりと話した。夏は静かに聞いていた。


「夏休み、母さんに会いに行こうと思う。きちんと話をしようと思う。過去のこと全部。‥‥‥夏と、一緒に」

「ぼ、僕!?」


俺は無言で頷いた。夏は不安そうに俺の顔を見る。


「大丈夫だ、きっと」


夏は根拠のないその言葉に、少し頷くだけだった。



「言ってきます、父さん、義母さん」

「いってらっしゃい、春大くん」


義母さんはそう、笑顔で送り出してくれた。泊りがけで長野に行くっていうのに、一つも悲しそうな顔、寂しそうな顔を見せない。やはり義母さんは、俺がいなくなってせいせいするのだろうか。そうだろう。夫の連れ子はみたいなもんだからな。やっとゆっくりできるだろう。



「夏、行くぞ」

「待って、春大くん」

「夏、ちゃんと荷物整理して」


玄関先で夏を呼ぶと、部屋から大きな声が聞こえた。おそらく夏と、お姉さんの、フローレス陽華里ひかりさんだ。

数分待っていると、リュックを背負った夏が現れた。その後ろから、やはり陽華里さんが出てきた。


「兄さん、姉さん、夏が出かけるよ」

「待って、夏」


どかどかと騒がしい足音で、(おそらく)リビングからやってきたのは、お兄さんのひがし鈴太郎りんたろうさん、お姉さんの小田おだ花乃かのさん、絵堂えどうふみさんだ。


「鈴太郎兄ちゃん、花乃姉ちゃん、文姉ちゃん、陽華里姉ちゃん、行ってきます」

「「「「行ってらっしゃい」」」」


夏は、家族全員に見送られ、外に出た。

やはりうちとは見送りが違う。家族全員揃って見送りなんて、珍しいと思う。父さんは、今日顔さえ出さなかったのだ。まあ、別にいいのだが。



電車に乗り込み、ターミナル駅に行く。新幹線に乗り換えて、長野県へ。そこからは手紙に書かれていた住所をもとに、母さんの住む家へ。


「‥‥‥ここだな」

「うん」


ボロい小さなアパートの、二階の角部屋。そこには『間宮』と書かれた紙が貼ってある。間違いない、ここが母さんの家だ。ここに母さんが住んでるんだ。

俺はインターホンを鳴らそうとした。けれど。


「‥‥‥春大くん?」


――押せなかった。

怖いのだろうか、体が小刻みに震える。


「春大くんっ!」


俺は気がついたら、回れ右をして走っていた。夏が後ろから追いかけてくる。


「待って、春大くん‥‥‥っ!」


嫌だ、待たない。いや、待てない。だけど。

俺は体力がないので、すぐにバテてしまう。


「はあ‥‥‥はあ‥‥‥」

「は、はるた、くん‥‥‥」


それは夏も同じで、お互いに肩で息をする。どちらからともなく、日陰にどかっと腰を下ろした。一人分の、間を開けて。


「俺‥‥‥怖いのかな」

「‥‥‥さあ」


夏は水筒のお茶をごくごくと飲む。それを見て喉の乾きを感じ、俺もごくごくと水筒のお茶を飲む。冷たくて美味しい。


「母さんに‥‥‥会いたくないのかもしれない」

「‥‥‥」


夏は俺の言葉を無視するように汗を拭う。暑いのか、伏せてしまう。せめてなにかいいなよ、と呆れつつ俺も汗を拭う。


「でも、会わなきゃいけないんでしょ」


無視されたと思っていたのに言葉が返ってきたことに驚く。ふっとみた夏の顔は、伏せていて見えなかったけれど、きっととても、かっこいい顔をしていたと思う。



今度こそ、俺はインターホンを押そうと手を伸ばす。


「春大くん」


夏は俺の名前を呼び、俺の手の上に、自身の手を重ねた。まるで、俺の気持ちを半分持つように。

俺が夏の顔を見ると、夏も俺の顔を見た。そしてお互いに強く頷く。

そして。

インターホンを強く、押し込んだ。

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