真田 春大の章 1
「おはよう、夏」
「あ‥‥‥おはよう、春大くん」
小学校の前で会った夏こと間宮夏は、うわべの笑顔を浮かべて校内に入っていく。俺はその後ろ姿を少しだけ目に止めて、隣にある中学校へと入っていった。
彼は俺――真田春大の弟である。しかし、父親の違う、異父兄弟だ。
彼の父親は、母の不倫相手。夏が生まれたことが原因で両親は離婚した。その頃、俺はまだ、二歳と少しだった。母は次の日になっても、その次の日になっても家に帰ってこなかった。父さんは、出ていったんだよと優しく言ったけれど、その目はとても寂しそうだった。
俺は小学校低学年のとき、ひょんなことから彼の存在を知った。母親が同じ、でも父親の違う異父兄弟。ああ、こいつのせいなんだな。俺はそう悟った。俺から幸せを取り上げたのは、俺から日常を取り上げたのは、すべてこいつのせいだったんだな、と。
小学五年生のときに転校した。父さんが再婚し、義母さんと共に暮らすためだった。義母さんは
たまたま隣の席になった
そこで見かけたのが、彼、間宮夏だった。
そっくりだった、見にくいほどに。俺に、そして母さんに。俺はふつふつとこみあげる怒りを抑えるのに必死だった。
俺はその夜、父さんに言ったのだ。弟に、夏に会った、と。父さんはびっくりしてた。母さんにあったのか、と、そう問うた。俺は首を横に振った。そうか、と父さんは言い、それ以上はなにも聞かなかった。
「春大」
その夜、布団に入ってじっとしていた俺に、父さんはそう呼んだ。俺は寝たふりをした。話す気分ではなかったから。
「聞いてなくてもいいか」
父さんは、俺が狸寝入りをしているのがわかったのか、苦笑して俺のすぐそばに腰を下ろした。
「夏のこと、憎いかな。
夏のこと、嫌いかな。
父さんは、憎くないよ、嫌いじゃないよ」
一人話し出す父さん。顔は見えないけれど、声が震えていた。
「春大、夏は悪くない。お願いだから、夏を責めないであげてくれ」
ぴくっと肩が震えた。今日の俺の言動を、全てを、知っているかのような口調だった。
父さんはおやすみ、と俺の頬を少し撫で、部屋を出ていった。残された俺は、静かに涙を流した。
次の日、夏は俺に声をかけた。一番聞きたくなかった、母さんのことだった。僕の母さんは、
いなければよかったなんて、言ってないよ。
この言葉は、夏に向けて、そして俺自身に向けて言った言葉なのかもしれない。
夏は驚いたような、そして嬉しいような、そんな顔で笑って、春大くん、と呼んだ。なんだか胸が温かいような、でも痛いような。そんな気がした。
それからの俺たちは、特に変わりはなかった。確かに半分血の繋がった兄弟であるが、それは母親の不倫が理由で。それがわかっているからお互いに踏み込むことができない。
俺が話しかけても、夏はかなり、そっけない。きっと俺が夏のことを嫌っているとでも、思っているのだろう。そんなことはないのに。
そうして四年の歳月が過ぎていった。
俺は家に帰って、ポストを開いた。そこに入っていたのは、義母さん宛の手紙と、俺宛の手紙の二通。義母さん宛の方は北海道の、俺宛の方は長野の消印が押されていた。
「ただいま。義母さん、お手紙です」
「ありがとう、春大くん」
夜ご飯を作っていた義母さんは手を止め、手を拭きながら手紙を受け取った。
一緒に暮らし始めて四年が経ったが、まだどこか他人行儀で、一線引いて、敬語が抜けない。疲れを感じる。
俺は自室に入るとかばんを布団に投げ、畳にどかっと腰を下ろした。太陽の光に透かせるように、手紙を四方八方から眺める。いつかに見た刑事ドラマでそんな場面があったからなんとなくやってみたが、特にはなにもわからなかった。だけどどこか懐かしい、そんな匂いがする。
俺はビリビリと封を切った。中には一枚の手紙が入っていた。
拝啓
盛夏の候、元気に過ごしていますか。
私は春大のお母さんです。覚えていますか。これは多分、春大への最初で最後の手紙になると思います。お母さんのことが嫌いだったら、破り捨ててくれてかまいません。お母さんは、春大に会いたいです。記憶は二歳の春大で止まっていて、今はどんな少年になっているのか、想像しかできません。たった二歳。たった二歳の息子をおいて出ていってしまったこと。本当に申し訳ないと思っています。ごめんなさい。きちんと顔を見て謝って、それから過去のことについて話がしたいです。夏も、一緒に。信用できないでしょう。わかります。でも、会いたいです。
良い返事がもらえることを、期待しています。お父さんにも、優子さんにも、よろしくお伝えください。
敬具
七月十日 間宮洋子
真田春大
破り捨ててやりたかった、こんな手紙。何を今更、母親ズラなんて。
だけどできなかった。
俺は小刻みに震える手で、手紙を握り続けていた。
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