唯一色

将平(或いは、夢羽)

唯一色


「ジョハリの窓」と言う言葉を知っているだろうか。

「解放」「盲点」「秘密」「無知」の、四つの窓からなる自己分析の為の心理学モデル。自他共に認める自分、相手から見た自分、自分しか知らない自分、自分も相手も知らない自分。

私は、貴女に出逢って、知った。

自分の中に、こんなに熱い感情があるのだと言うことを。







ふわり、と甘い香りがして振り返った。


「あ…」


一目見て、狼狽えた。

なんて可愛い女子がいるのかと、驚いた。

高校三年のクラス替えで初めて、彼女と同じクラスになった。

制服でこの高校を志望した友達がいるくらい、私の通う高校の制服は可愛いデザインをしている。そんなブレザーがよく似合っていた。

肩に触れるか触れないかくらいのボブの髪に時々毛先だけパーマをかけるのも似合っている。

授業の時にだけかける黒縁メガネも。


気が付けば、毎朝、教室に入れば彼女の姿を探した。


…好きなのかも。


自然と目で追うのだから、そう自覚するまでに時間は必要なかった。


「紬ちゃんって、夕霧さんと仲、いいの?」


昼休み。

いつものように親しい友人と机を並べお弁当を食べながら、なるべく不自然がないように切り出したつもりだった。


「ああ、結亜ちゃん?同じ美術部だからね」


ふーん?と、自分から話題を振っておいて興味が無さそうに相槌を打つ。

紬ちゃんはそれでも話題を変えずに「可愛いよね」と続けるので、一瞬ドキリと心臓が跳ねた。


「…か、可愛いよね…。私、仲良くなりたいと思ってるんだけど…」


女の子同士のハグや、「好き!」「私も好き!」なんてやり取りは、わりと日常だった。

中学生の頃は女子に告白されたこともあったし、それについて抵抗なんて無かった。…でも、その子の事は友達だと思っていたし、彼氏もいたので振ってしまったのだけれど。

男子にも女子にも、そこそこ友人がいた。

私は、初対面には人懐っこいところがある。関われば段々と人見知りをしてしまう節があって、『真の人見知り』は寧ろそうなんだと誰かから聞いたことがある。

何が言いたいのかと言うと、初対面で「仲良くなりたい!」と思った夕霧さんとは、まだ一言も会話をしたことが無いのだということ。

彼女の顔を正面から見るなんて、出来ない。

きっと、誰が見ても明らかなくらい、赤面してしまう。


「…好きなの?」


飲んでいた紙パックのいちごミルクのストローから唇を離して、にやり、と紬ちゃんが笑う。

私はまたしても口から心臓が飛び出しそうになったが、平静を装う。


「…可愛い女子は、誰だって好きでしょ?」


『ほんとうの事』は、言えない。

紬ちゃんとは高校一年の頃から同じクラスだが、なかなか喰えないところがある。まさか、言いふらしはしないだろうけれど、まだ信頼しきれないところがあった。


「美里が、誰かに興味を持つなんて珍しいから」


実は少し、私は紬ちゃんが苦手だった。

時々、鋭いことを言うから。…因みに、ブレザーが可愛くてこの高校を志望した友達と言うのはこの紬ちゃんのことだ。県内でもわりと有名な進学校だと言うのに、志望動機がカッコいいなと思ったのが、彼女に対する第二印象だった。

第一印象は、ゴスロリが似合いそうな美人。


「本当にね!美里ちゃん、結亜ちゃんみたいな子がタイプだったんだ?へー!」


紬ちゃんの言葉を拾い上げたのは、彩。この子も、高校からの付き合いだ。紬ちゃんとは対照的に、ショートカットな髪の毛がよく似合うボーイッシュな出立ちだ。


「タイプって…。そんなのじゃない……ことも、無いけど…」


さらりと嘘がつけなかった。

もっと自然に、平然と、話題に出したかったのに。あわよくば、仲を取り次いで欲しいと思っていたのに。ガチガチに本気だと言うことが既にばれてしまっているかもしれない。


「おもしろ。美里、そんな感じなんだ?いいよー、今度、話といてあげる!『喜多さんが仲良くしたいっていってたよ』って」

「あ、ありがとう…!」


気持ちを着飾れない私が、素直に目を輝かせてしまったものだから、紬ちゃんと彩は目を合わせて笑った。





次の日。

隕石でも落ちたのかと思った。


「おはよう。喜多ちゃん」


あの、夕霧さんが、私の姿を見て挨拶をしてくれた。


「お、おはよう…!」


挙動不審になるな!と自身を叱咤しても、無理だった。彼女の顔が直視できなくて、ブレザーの肩辺りを見てしまう。目が合わないこと…変に思われないかな。


「昨日、紬に聞いたよ。私と喋りたいって思ってくれてたんだって。嬉しい」


きっと、世界を平和にする女神のような笑顔で微笑んでくれたのだろうけど、残念ながらそれを拝むことは出来なかった。


「喜多ちゃんって、呼んでいい?」


ふわり、といつものあの甘い香りがする。シャンプーなのだろうか。それとも、可愛い女の子は体臭からしてこんなにいい香りがするのだろうか。


「勿論…。私も、夕霧ちゃんって…呼んでいい?」


本音を言えば、「美里」って下の名前で呼んで欲しかった。「結亜」って呼んでみたかった。けれど、クラスに誰も「喜多ちゃん」と私のことを呼ぶ人が居なかったのでそれも特別な気がした。

何より、夕霧ちゃんが私の名前を呼び、私と話しているのだと言う事実で手一杯だった。幸せ過ぎて、胸が張り裂けそうだった。


それからは、朝は挨拶をしたし、時々お互いの席で話したりもする仲になった。

夕霧ちゃんは基本的にクラスの美術部の子達と話していたけれど、紬ちゃんも美術部だった為自然な流れでグループは合体し、春の始めは三人で食べていたお昼も、夕霧ちゃん達を含めて七人で食べるようになった。


季節は移ろっても、夕霧ちゃんとの特別な想い出は特に増えない。


夏服も似合うな。可愛い。

白のブラウスに反射した光が夕霧ちゃんの産毛を光らせるのも、艶々な髪の毛に光が反射しているのも、まるで太陽は夕霧ちゃんを引き立てる為に存在しているんじゃないかと思う。


なんで私は、こんなに彼女の事が好きなんだろう…。

特別なことなんて、何もなかったのに…。


放課後、部活の弓道をしている時以外、頭の中の殆どを占めるのが、夕霧ちゃんだ。

今日はどんな会話をしたとか、あの時のこんな仕草が可愛かったとか。借りた漫画から、夕霧ちゃんの趣向を探った。共通の話題が欲しくて、観ていると言っていたアニメも全部観た。


知らなかった。これが、恋なのか。


私の「歴代彼氏」は既に三人いた。

それが、多いのか少ないのかは分からない。

好きだなと思ったから告白して、大体、仲良くしていた人だったから、たまたま両想いだったのか付き合うことになる。

自分の好きな人が自分のことを好きっていうことは「奇跡」なんだって、知らなかった。

付き合えたら嬉しいし、別れたら寂しかった。

でも、そこには他に、あんまり感情が入っていかなかった。


恋人なんてものは、自分の寂しさを埋めるだけの存在なんだろうなと、薄々気が付いていた。

自分はきっと、仮面を持っている。

人付き合いや恋愛を人並みにこなしているようで、心の奥底には誰もいない。入れない。


………それなのに。


夕霧ちゃんは、違う。

付き合えなくても、いい。

彼女の傍に居られるのなら、いい。

笑いかけてくれたらそれだけで幸せで、他に何も要らないと本気で思う。

彼女が私に恋愛感情を抱かなくてもいい。

少しでも、彼女を喜ばせられるようなことをしたいと思う。

一人の時はいつも、心の中にいる、彼女のことを思った。


今、何してるかな。


なんて、放課後や休日はよく思った。

当の夕霧ちゃんとは、連絡手段も無いような距離感のまま。聞かれるわけでもなく、私も、恥ずかしくて聞けないでいた。


そのまま、月日は巡る。

春が夏になったように、私達を置いてきぼりにはしてくれない。

テスト。夏休み。部活の引退。文化祭。それが終わったらもう、入試のことだけ。それから、卒業式のことを意識する。


勿論、私はこの一年、まるで勉強が手につかなかった。


「……告白を、しようと思う」


耐えきれなかった想いは、遂には紬ちゃんと彩に打ち明けてしまっていた。彼女達は、別に変な目で見たりしなかった。勿論、言いふらしたりもしなかった。


『やっと、美里のこと知れた気がする』

と、紬ちゃんは笑った。

『実は私も…。紬ちゃんのこと、好きなんだよね』

と、彩は打ち明けてくれた。…勿論、それは彩と二人の時に。


「いいじゃん。告白。頑張って」


二人はそう、背中を押してくれる。


私の告白は、フラれる事を前提とする。

この気持ちへの、ケジメみたいなものだった。

このまま卒業してしまったら、きっと、物凄く後悔する。


告白の日は、卒業式の前日にしよう、と思った。

彼女にとっても大切な卒業の日を、『喜多ちゃんをフッた日』となって思い出し難い日にして欲しくなかったから。

フラれて、気まずい日々を過ごしたくなかったから。

その二つを考えた時、卒業式の前日はうってつけだったのだ。


「彩は…、紬ちゃんに告白、…しないの?」


とてもデリケートな問題だったから、首をつっこんでもいいかわからなかったけれど、聞いてみた。

彩は「うん」と少し困った顔をして笑って、「実はもう、フラれてるんだよね」と打ち明けてくれた。


「……そうだったんだ」


驚きを、表面に出さないように努めた。

全然、知らなかった。いつ、告白したのかもわからない。思い返してみても、二人の距離感が変だなと思った時期はなかった。


「…頑張ったね」


私なら、なんて言って欲しいだろう。

なんて、言わないで欲しいだろう。

考えて、言葉を選んだ。

彩は、にこっと笑った。「友達で居たいんだって。好きな人がいるんだって」っとそのままに続くので、次にかける言葉を私は見付けられずに息を飲んだ。

次は、私の番だな。

と、思った。


朝。

相変わらずとても寒い日で、夕霧ちゃんは暖色のマフラーを首にぐるぐると巻いて学校に来た。鼻の頭や頬が赤くなっているところが可愛い。吐く息の白ささえ、愛おしく思った。

いつも、美術部の電車通学の子達と一緒に来る。

私の方が大体早く、教室にいる。


「夕霧ちゃん、ちょっといい?」


席でひたすら、彼女がやって来るのを待って。

彼女が荷物を置いて一段落したかなというタイミングで声をかけた。


「いいよ。どうしたの?」


いつもの、甘い香りがする。

ちょっとそれはバラの香りに似ているようで、ドラッグストアのテスターとかで似た香りを探したことは永遠の秘密だ。結局、バラの香りがするお菓子が一番近くて、よく買って食べた。

貴女に、少しは近付きたかった。

それでももう、明後日には卒業の日を迎える。


「明日さ。…卒業式の予行の後、少し、時間をくれない?」


相談したいことがあるんだ、と言うと、少し首を傾げて、それでも「私でよければ」と笑顔を返してくれた。

その間も、ドキドキと脈打ってうるさい心臓の音を、彼女に聞かれていないかと心配で尚更その心音の煩さを増幅させた。

呼び出し、「相談」……なんて、「明日貴女に告白します」と言っているようなものだな、と思った。

私の気持ちなんて、とうに、バレているんだろうなと思った。


予行練習の日。

いつにしよう、いつにしよう、とそればかりで、全然気が落ち着かなかった。


私は、卒業式で泣いたことがない。


誰かと、別れを惜しんだことがない。

なんて、淡白な人間なんだと思っていた。

だって、仕方がない。悲しくないのだ。感動しないのだ。寧ろ、訪れる新しい日々にどきどきとする。わりと、前向きなところがある。

けれど、人と一緒に分かち合えない感情の多さに、時々、自分で自分に落胆する時があった。


貴女だけは、別だった。

どうしてこんなに、特別なのか。


予行を終え、暫くの空き時間があった。

今しかないな、と思った。

少し臆病な自分が「いやでも、放課後でもいいんじゃない?」と声をかけたが、「もし逃したら、どうするの?」と反論すれば、臆病は黙った。


「……夕霧ちゃん、今、…いい?」

「いいよ!」


少し離れたところにいた夕霧ちゃんに声をかける。

私が声をかけているのを、何処かで紬ちゃんや彩が見守っていたのだろうけど、恥ずかしくてそんな姿を探さなかった。


人の居ないところを探した。

夕霧ちゃんが私のせいで、好奇な目で見られるのが嫌だった。

結局、女子トイレに入る。


……こんなところで。


と思ったが、決まっている休み時間の中で、これ以上連れ回して困らせてしまいたくないのが大きかった。


私はこれから、フラれるのだ。

だから、場所なんて、何処でもいいか。

始まるならまだしも、終わるのだから。


個室に誰も居ないことをさっと目だけで確認した。


「…あの、ごめんね、急に…」

「…ううん、良いんだよ。どしたの?」


俯く私の両手をとって、夕霧ちゃんは私を窺う。

繋いだ手から、好きが伝わればいいな、なんて思った。夕霧ちゃんの手は、こんなに寒い今日なのに、まるで毛布のように暖かい。彼女の存在、そのもののようだな、と思った。

早く言わなきゃ、困らせてしまう。

そう思うのに、「好き」なんて、たった二文字でいいのかな?とか、この期に及んで悩んでしまう。

好き、が一番伝わるだろう、そう思えば今度は、そのたった二文字がなかなか口から出ない。


凄く汗をかいて、恥ずかしかった。

けれど、その手を離さないで欲しかった。ぎゅっと、握り返す。


「…あの、」

「うん」

「…えっとね、」

「うん」


もうバレてると思うけど、と言う前置きは、「好き」に繋がる枕詞のように思った。

「もうバレてる思うけど」と、自分の声が鼓膜を震わすと、もう、勢いだった。


「夕霧ちゃんが、好き」

「…えっ、」


顔を見て言えばよかった。言うべきだった。けれど、やっぱり、顔なんて見れなくて。

言ってしまってからやっと、顔を見た。

驚いた顔をした夕霧ちゃんに、私の方も内心、驚いた。バレているかと思っていたから。


「ご、ごめん…!」


『ごめん』。

その、三文字がこんなにも心を打ち砕くとは思わなかった。いや、心の準備もしていたのに、現実の破壊力は想像を軽く飛び越える。


「あの、私、なんだか…深刻な相談事でもあるのかと思って…」


ごめん、はどうやら、告白の返事では無かったらしい。フライングして傷を負った心を必死に隠して、笑った。…つもり。


「もう、バレてるかと思ってた」

「ううん。全然、気が付かなかった…」


夕霧ちゃんは、握る手に力を込めてくれた。


「ありがとう。嬉しい」


彼女が偏見を持っていないことなんて、とうにわかっていた。

彼女の好きな色さえ知らないけれど、きっとそんな人間なんだろうなと、彼女が口から紡ぐ会話の一つ一つからその優しい心を想像した。


「でも、ごめんね」


今度は本当に、告白の返事だった。

フライングですっかり傷を負っていたので、今度の「ごめんね」はそれ程の威力を持たなかった。

わかっていたから、いいのだ。

困らせてしまって、寧ろごめんね。と、思う。


「………私ね、彼女がいるの」


しかし、続くその言葉は予想だにしなくて、足元が崩れ落ちるような絶望を、体験した。


「…え、」

「ごめんね!女同士で…!気持ち悪いよね…」

「ううん!違うよ!だってそれは…」


私が夢見ていた未来だから…、と口から出ていたかはわからない。


「話してくれてありがとう」


なんとか、そう口に出来た。


「ううん。こちらこそ、ありがとう。好きになってくれて」


なんて素敵な言葉なんだろうと思った。

ありがとう。好きになってくれて。

頭の中で、繰り返した。


「…貴女たち、何してるの?」


そんな時、訝しげに先生がやってきて、繋いでいた手を離してしまう。


「何でもないです…!」


それから、並んで、教室へ向かう。


「良かったら、今度、遊ばない?もっと喜多ちゃんとお話ししたいな」

「うん。…ありがとう。是非」


けれど、結局、そんな日は来なかった。

メールアドレスも聞けないまま、私達は卒業し、別々の道を歩む。








そして今、

私は二児の母になった。


大学を卒業し、就職し、結婚して、出産した。


今でも、時々、あの頃を思い出す。

貴女の香りと、文化祭の時に貴女が描いていた鮮やかな色のポスターと共に。


貴女は、私の「最初で最後」の、本当の、恋だった。

今でもそう思う。

貴女は、私の心の中にある、唯一の色。

貴女との思い出だけ、鮮やかに心を打つ。

貴女に出逢えて良かったと、心から、今でも感謝している。


また会いたいなと思うけれど、手段がない。

元気で居てくれればいいなと、思い出す日はいつも願っていた。貴女の幸せを。


子育てが少し落ち着いて、長年趣味としている『文字書き』を、また始めた。

その記念すべきスタートに、こうして、貴女との大切な思い出を文字にしてしまったことを、どうか許して欲しい。


あの日の想いが、貴女の目に留まったらいいな、なんて。祈りを込めて。


いつの日か、貴女と「私、結婚したよ。子供も二人居るの。今、幸せだよ」と、取り留めもない話をしたい。

オシャレなカフェに入って、二人で。大人になった、貴女と。

ちゃんと顔を見て、今度は、沢山の話が出来ると思う。









ー完ー

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