七回ウラ.

「全く、頭にくる食べ物もあったものだね」


 人々でごった返す三塁側アルプススタンドに腰をおろし、マレビトは口をハフハフさせながら怒り心頭だった。


「球体なのは素晴らしい。だが表面の完全性に騙された。まさかタコが入っているのは不完全なほんの一部だけとはね。たこ焼き。なんてふざけた食べ物なんだ」


 そう言いながら爪楊枝を次の球体に突き刺し、爆弾でも扱うかのような警戒態勢で全力で息を吹きかける。どうやらかなりの猫舌のようだった。


 周囲の喧騒は彼の耳に入っているのかいないのか。試合が動き、周囲がどよめいても、マレビトは顔すらあげず、黙々とたこ焼きを処理し続ける。


「本日の第三試合、畔上高校対黒陶第二高校の試合は、五対二をもちまして畔上高校が勝ちました。これより畔上高校の校歌を斉唱いたします」


 どうやら試合が終わったらしい。反対側のアルプスから勇ましい、歓喜の歌声が聞こえてくる。そこで初めてマレビトは顔を上げた。


「ふうん、勝ったら歌を歌うのか。勝どきを上げるようなものかな。オリンピック? とやらでも確か、競技後には優勝国の国歌が流れていたっけ。自分の所属する集団に紐づくものを見せつけることによって、自分たちの優位性をアピールする、という意味では同じ理屈か。その辺人間っていつの時代も結構動物的だよね。様式を整えてる分、猿山なんかとは違う趣があるけれど」


 ブツブツとそんなことを言いながら、電光掲示板に目を移す。例の実験台、宗忠晴の出場する試合は次の試合のようだった。周囲の応援団たちが涙ながらに撤退していく。慰め合いながら、目を腫らしながら、名残惜しそうに球場を後にする。


 マレビトはしばらくその様子を不思議そうに見つめた後、やはり何事もなかったかのように次のたこ焼きに手を伸ばした。


「あ、あなたってもしかしてあの時の?」


 そんなマレビトに一人の少女が背後から声をかけた。自分のこととすぐには分からなかったらしいマレビトは、肩を叩かれてようやく後ろを振り返った。


「ん? ああ、君か。河川敷以来だね。瀬戸恵さんだっけ?」


「あれ? ウチあなたに名前言ったことあったっけ?」


「さあどうだろう。俺が知ってるってことはきっと言ったんじゃないかな」


 微妙にはぐらかすような物言いをしながらマレビトは立ち上がり、たこ焼きと格闘しつつ恵の方へと向き直る。


「応援に来てるってことはやっぱりソウ君の知り合いなんだね」


「知り合い? うーん、正確には実験者と被験体ってとこだけど、まあ知り合いと言っても外れてはいないかもね」


 フーフーとたこ焼きを冷ましながら応えるマレビトは、彼女にはほとんど興味を示していない様子だった。


「え、被験体? なんかよくわかんないけどクラスが一緒とか? 見た感じ一般生みたいだけど、どういう知り合いなの?」


「学内の友人というわけではないね。それ以外のところで知り合った、と言うことになるかな」


「えーっと、幼馴染とかそう言うやつ?」


「オサナナジミ? なんだいそれ?」


「え? あの、昔からの知り合いってこと? たぶん」 


 マレビトは恵の言葉に少しだけ考えてから、閃いたような顔をした。


「なるほど。幼い頃から彼とはお馴染みだったのか? と言う質問だったわけだね。そう言う意味では僕と彼とは今年馴染みになるかな」


「???」


 ドヤ顔で返したマレビトとよく分からない顔をする恵の間に変な空気が流れる。


「え、えっと、まあいいや。とりあえずソウ君とは知り合いなんだね」


「最初からそう言ってるじゃないか。なんだか会話が進んでいかないね。君は彼の知り合いであるこの俺に何か聞きたいことでもあるのかな?」


 多少不満げな口調でマレビトは恵に問いかける。たこ焼きの一件に加えて意思の疎通があまりうまく行っていないことにも少々不機嫌になっているようだった。


「ああ、えっと。この前会った時に、ソウ君は毎日夜の素振りをしてるって言ってたじゃない。あれってほんとに毎日?」


「ああそんなことかい? この学校へ入学した時から、ほんとに毎日だよ。聞いたところによると入る前も毎日だったらしいね。まったく飽きもせずによくやるものだ。父との習慣の名残だとか言っていたけど、そんな理由ごときでどうしてあんなに頑なになれるんだろうね。不思議な生態だよ」


「そうなんだ……やっぱりソウ君はすごい人なんだね」


「何をもってすごいと評価するのか、基準が不明なのでよく分からないな。まあ今の彼が野球選手として相当すごいのは確かだろうけれど」


 マレビトはそう言うと、しばらくまじまじと恵の方を見つめ、やがて再び閃いたような顔をした。


「ああ、なるほどね。君は彼に対して劣情を抱いているのか」


「レツジョウ……?」


「あれ? この表現じゃなかったかな。他になんて言うのだっけ。ああそうだ。君は彼のことを愛しているんだね?」


「あ、愛し……ええ!?」


「あははは、いやいやこれは失礼した。まあ優秀な雄に対して雌が反応するのは自然界において当然のことだよ。何も恥じることはない」


 マレビトは先ほどまでの不機嫌とは打って変わって嬉しそうだった。


「なるほど。被験体に力があればこういった副作用も当然起こりうるか。これは思わぬ効果だね。いずれにせよ実験にはかなりプラスに働きそうだ」


 マレビトはぶつぶつ勝手に早口でそんな独り言を口にすると、突然のことにまだあたふたしている恵の手をガシッと握り、ぶんぶん振った。


「うんうん、君のその想いは彼にとっても、何を隠そう俺にとっても大変素晴らしいものだよ。どうか彼のことを今よりさらに幸せにしてあげてほしい」


「え、いや、幸せにって……」


 訳もわからないまま、恵の顔がどんどん赤くなっていく。上機嫌なマレビトはそんな相手の反応などお構いなしだった。


「あっはは、愉快愉快。一気に気分が良くなった。さっきまでは忌まわしきたこ焼きのせいで心が折れかけていたけれど、改めて出店での掘り出し物探しを続行することにしよう。では恵さん、忠晴君とお幸せにね」


 言いたいことだけ言い残し、再び球場の売店の方にマレビトは歩いて行ってしまった。残された恵はマレビトの去った方向をしばらく呆然と見つめた後


「なんなの、なんなのもう……」


 耳まで真っ赤になりながら思わずその場にへたり込んだのだった。


 前の試合の応援団が完全に撤収を完了し、天京高校の応援団が続々とアルプスに勢揃いをし始めた頃、マレビトは再びそのアルプスの中段付近に座っていた。今度は手にベビーカステラの袋を持ち、興味深そうにそ中身をのぞいている。


「あ、あれ? ここ私の席のはずなんですけど……」


 続々とアルプススタンドへ入ってきていた天京高校の応援部隊に混じった一人の年配の女性が、困ったような口調でそんなマレビトに声をかける。


「ああ、失礼失礼。ついこの不思議な食べ物に夢中になってしまってね」


「いえいえ。制服が息子と同じということは、天京高校の方なのですよね?」


「ん? まあそうだね。そんなところだ」


 見た目、自分より明らかに年上の女性に対する返答とは思えない物言いをしながら、マレビトはゆっくりと席を立つ。その女性は手に大きな写真を持っていた。


「おや、その写真は……」


「これですか? 去年死んだ主人の写真です」


「ほうほうなるほど。では君が俺の探していた人で間違いなさそうだ」


「探していた人、ですか?」


 不思議そうな顔で自分の顔を指さしながらそう聞き返す女性に、マレビトは悪戯っぽく笑う。


「宗忠晴の母で間違いないね?」


「ああ、忠晴のご友人でしたか。そうです。宗明子と申します」


 マレビトはニヤリと笑うとレストランのウェイターの如く恭しく席を譲った。


「あなたは?」


「俺かい? そうだな。マレビトと呼んでくれたらいいよ。君の息子もそう呼んでくれている」


「マレビトさん……」


 忠晴の母は、彼の不思議な佇まいに少し狼狽えている様子だったが、マレビト本人はやはり気にしていない。彼女の後ろに立ちながらベビーカステラを一つ取り出し、ヒョイと口の中に放り込む。


「あの……席がないならお隣いかがですか?」


「ん? ここの席は空いてるのかい?」


「主人のために取っていたのですが、もしよければどうぞ」


「そうかい。助かるね。ありがとう」


 あたかも展開を予測していたかのようにマレビトは示された席に腰掛ける。途端、日光に温められたベンチの熱に顔をしかめる。


「ふふ、なんだか知らない間に変な友達ができたみたいね」


 まるで初めて熱いベンチというものに座ったかのようなその様子を見て宗の母はおかしそうに笑った。


「まあ確かに、俺は君たちとは一線を画す存在だからね。異質に見えるとは思うけれど、笑われるのは心外だな」


 ベンチから熱攻撃を加えられたことが相当不愉快だったのか、マレビトはブスッとしながら応える。


「俺からしたら、こんな炎天下にヘンテコな大会を主催して盛り上がれる君たちの方がよっぽどお笑い種なんだけどね」


「野球、お嫌いなんですか?」


「別段嫌いではないよ。好きでもないけどね。分からない、というのが正しいかな」


 ベビーカステラをもう一つ袋から取り出し、器用に口に放り込みながらマレビトは応える。斜め前ほどの一帯では、着々とブラスバンドやチアガールの応援団たちが準備を進めていた。


「ああ、それなら私も一緒ですね」


 彼女は少し寂しげに笑った。


「主人も息子も野球が好きで、でも私にはその良さはわかりません」


「へえ、それは意外だね。じゃあなぜ今も息子に野球をさせているんだい? 親が良さを見出せるものを子供にやらせる方が筋は通っていると思うけれど」


「それは……そうかもしれませんね。実際中学の頃に、一度野球を辞めてみたらどうかって言おうと思ってはいました」


 景気良く両方のアルプススタンドから楽器の音が流れ始め、遠くの電光掲示板にメンバーが表示され始める。表示される度に、向こう側のスタンドが律儀に一人ずつに対して歓声をあげていた。


「ふうん。じゃあなぜ言わなかったんだい? 野球のトクタイセイ? として高校に入学することがすでに決まっていたからかな?」


「それもあるにはありましたけど……。でもやっぱり一番は、息子はきっと野球が好きなんだろうと思い直したからだと思います」


 彼女は言葉を選びながら想いを紡ぎ続ける。喧騒の中でも凛として良く通る声だった。聞きしに勝る預言者の母だ、とマレビトは感心する。あのどこか小心者な性格はどうやら父親譲りのようだ。


「どうしてそう思ったんだい?」


「あの子、父が死んでからしばらくしてから、また素振りを始めたんですよ。私からは何も言わなかったのに。何も言わずにそれが当たり前みたいに。本当に野球が嫌いになっていて、主人を立てて無理やり続けていたんだったら、もうあれっきりバットにも触れないはずだと思うんですけど、でも素振りを続けたんですよね。一回隠れて素振りの様子を見に行ったんですけど、あの当時は泣きながらバットを振ってたんです、あの子」


 相手のシートノックが終わり、こちらのスターティングメンバーが発表されていこうとしていた。周囲のボルテージが徐々に上がっていく中、マレビトと宗の母だけが、喧騒から取り残されたような、空間から切り取られたような、そんな不思議な雰囲気に包まれていた。


「父の染み込ませた習慣が生きているだけなのかもしれません。言い方は悪いですけど何かの呪いみたいに。でも、あの子自身も進んでその呪いに身を投じているように感じたんです。父を思い出して辛いのに、練習なんて厳しいだけなのに」


「五番、ファースト、宗君、背番号、3」


「ワアーーーー!」


 ウグイス嬢が息子の名前をコールした瞬間、弾かれたように宗の母は立ち上がって喧騒に加わる。その目は少し潤んでいるようにも見えた。


「辛くても、しんどくても、それでも練習を積み上げていくなんて、自分が好きじゃないとできないことだと思ったんです」


 立ち上がったまま電光掲示板に刻まれる我が子の名前を見ながら「本当のところは分からないですけどね」と寂しげに付け加える。周り全員が立っていて気まずくなったのか、マレビトも面倒そうに立ち上がる。


 目の前のグラウンドではシートノックが終わり、試合開始までは秒読み体勢となった。先ほどまで空を覆っていた雲はいつの間にか姿を消し、少し傾き出した日光が戦場を照らすスポットライトの如く、グラウンドに照りつけていた。


「さっきあの子の姿を見てきたんです。あの時とは比べ物にならないくらいに元気そうで、少し安心はしました。でも何故か、不安にもなったんですよね」


 両ベンチの前に選手が整列する。球場はこれから来る嵐を待ち望むかのように、ジリジリとした静けさを湛えていた。


「忠晴に"積み上げることの本当の意味"を教えてあげたい。そう言ってあの日プロ野球の試合を見せてあげたがった主人の思いは、本当に伝わっているのかなって。何故かふと心に思ってしまって」


 母はなんでも知っているってね。かつて自分が戯けて言った一言をマレビトはなんとなく思い返していた。


「君の言っていることはよく分からないけれど、今の息子さんは幸せ者だと思うよ。そして今日さらにその幸せは膨らむはずだ」


 大きなサイレンの音が鳴り響く。両チームが雄叫びを上げながらホームベースまで駆けて行った。一斉に周囲のメガホンが音を立てる。


「幸せ、か。だといいんですけれどね」


 戦いに出る息子を思いやる表情を見せながら、彼女は遺影を抱える腕に力を込めた。割れんばかりの歓声とともに天京高校が守備に着く。


 そして試合が始まった。

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