六回表.

 ヒデと連れ立って寮を出た瞬間から強烈な熱気と蝉時雨が襲ってくる。予報では今日は三十度後半まで上がるらしい。いよいよ夏本番といった感じだった。


「いよいよ、やな」


 ふとヒデが声をかけてくるので静かに頷いて返す。いよいよ今日は地区予選決勝の日だった。


 これまで行われてきた予選の試合では、天京高校は「強打の天京」の名に恥じない強力打線を武器に、大量得点での勝利を重ねていた。


 自分は最初七番打者として出場していたが、試合を重ねるごとに中軸を任されるようになっていき、準決勝ではついにクリーンナップの一角、五番打者に抜擢された。そこでも三打数二安打二打点をあげ、異例の采配に応える結果を残してきていた。


 対するヒデは、勝負の場面での代打出場が多く、結果は現在までで五打数四安打四打点。四安打の全てが外野の頭を越える長打と、その豪快なパワーヒッターぶりを遺憾なく発揮し、こちらも強力打線になくてはならない活躍を見せていた。


 宗中島の204号一年生コンビの活躍は各メディアに取り上げられていて、一部からは「天京のSN砲」と呼ばれ出しているようだった。母からは「記事を見つけては切り抜きにして父にも見せてあげている」という報告を受けていた。


 自分の活躍が賞賛されることにはまだ強い拒否感がある。マレビトの力を借りて活躍すること自体にも完全に納得したわけではない。でも、みんなが自分に対して期待してくれることはとても嬉しく、それに応え続けることで、さらに周囲が喜んでくれることも嬉しかった。


 ライバルの活躍、ベンチ内外からの様々な声援、加速度的に高まっていく周囲からの期待、そして亡き父への思い。マレビトからもらった”結果を出す力”がなければ、これら全部を背負って試合に出るなど到底不可能だったことだろう。しかし今や、そうした要素から生じる重圧はほとんど感じなくなっていた。この決勝にたどり着くまでなんとか自分を保っていられたのは、マレビトのおかげだった。


 いや、むしろそれ以上だった。背番号をもらった日。自分の中にある"結果を出す力"を自分のものと受け入れる覚悟をしたあの日から、試合の前のコンディションは以前とは比べものにならないくらい良くなっていた。昔の状態からは信じられないことだが、次の試合が楽しみで仕方がなくなっている自分がいる。自分はこの力のおかげで、今確かに幸せだった。


 時刻は正午。夏の暑さがいよいよその勢いを強める中、天京高校ベンチでは二十人の選ばれた選手たちがすでに試合への用意を始めていた。


「集合!」

 

 キャッチャー防具を付けた沖原キャプテンが大きな声をあげ、全員が監督の元に集まった。今から先発メンバーの発表だ。監督はゆっくりと一人一人を見渡しながら、先発メンバーを読み上げる。


「一番、ショート三上。二番、セカンド高田」


 呼ばれた先輩方が順に大きな声を上げていく。その度に少しずつ、チームの熱気のギアが上がっていくように感じた。


「三番、センター中津。四番、キャッチャー沖原。五番、ファースト宗」


「はい!」


 自分は今日も五番でのスタメン出場だった。決勝でもこれまでと同じかそれ以上の結果を残さなければならない。そんなことを思っていたら、サプライズはその後すぐに訪れた。


「六番、サード角。七番、レフト中島」


「……はい!」


 なんと、今日はヒデもスタメンだった。県予選決勝で、ついに一年生が二人揃ってスタメン出場することになる。ヒデは横にいた先輩にニヤニヤ笑いながら小突かれながら、今まで見たことがないくらいそわそわしていた。それを見て周りと同じように思わず破顔する。


 こういうチームの愛されキャラみたいな部分がこいつのいいところだ。そして自分がいくら努力しても手に入れられないものの一つでもある。ヒデは誰もが羨む天才で、でも天然で、明るくて、憎めないやつなのだ。自分のようなただ結果が良いだけの選手ではない。しかし今の自分はそんな嫉妬でも心を曇らせることはなかった。試合中のグラウンド上では結果を残す者が何よりも賞賛されるのだから。


「八番、ライト伊藤。九番、ピッチャー桐生」


 最後までメンバーを言い終わると、監督は静かに円陣を見渡した。


「やることは今まで通り」


 力強い言葉だ。その宣言通り、予選一回戦から今まで、試合前の円陣で選手にかける言葉はまったく変わっていない。そこに監督の揺るぎない芯を感じた。


「目の前の一球に集中する。自分の力を信じる。仲間の力を信じる。最初から最後まで勝利を目指してプレーする」


 そこまで言うと、監督は小さく一呼吸した。その刹那、般若の形相を解放する。


「諸君らは強い! さあ、今日も勝って来い!」


「はい!」


 まずはシートノックが始まる。名将に鼓舞され、勇ましき戦士となった天京ナインは、勢いよくグラウンドへ飛び出した。ファーストでノックを受けながらチラリと三塁側のアルプススタンドを眺める。日の照り返しが強くてよくは見えなかったが、あの中にたくさんの人がいるのだ。


 金田先輩をはじめとした自分がここに立つために押し退けた人たち。メグさんや応援団など、選手と同じくらいにチームの勝利という結果を待ち望む人たち。そして応援団の中にいるであろう自分の両親。


 ここに立つ自分たちが彼らに報いる方法はただ一つ。結果を残し、チームの勝利を勝ち取ること、ただそれだけだ。


「ファースト! ボーッとすんな!」


「は、はい!」


 慌ててホームのノッカーに視線を戻す。試合はもう目の前に迫っていた。ここからは自分たちの戦いだ。ヘイゾーから飛んでくる白球を確実に処理しながら、改めて気合を入れ直した。


 シートノックも終わり、キャプテンを中心にした最後の円陣も終わった。気合の入った両チームはすでにホームベース前に整列していた。


「ほんまに、いよいよや」


 審判の言葉に混じり、自分の隣にいたヒデの誰とも知らず呟いた一言が耳に届いた。見上げれば空の青と雲の白が見える。観客の騒めきに混じった蝉の鳴き声までクリアによく聞こえる。ジリジリと照る太陽を少し鬱陶しいと感じる。肺には酸素が問題なく入ってきている。この大舞台を楽しむことができる余裕がある。それだけでもかつての自分とは大違いだった。それだけでも自分は幸せだと思えた。


「試合開始!」


 その審判の声とともに両チームは再び各々の場所へと散っていく。時刻は午後一時。大きなサイレンがこだました。夏の全国高等学校野球選手権大会、地区大会決勝開始を告げる大きな音が、球場の抜けるような青空に響く。


 先攻となった天京高校ブラスバンドの大きな演奏が聞こえてくる。宇宙戦艦ヤマトのテーマ。一番打者、三上先輩のテーマでもある。きっと応援団の控える三塁側アルプス席では、父の遺影をもった母も駆けつけてメガホンを叩いているに違いない。


「いよいよだ」


 ヒデの先ほどの呟きに返すように、一人呟いた。ここで勝利すれば、残すべき結果を残せば、甲子園出場だ。全国高校球児の夢の舞台で自分は結果を残すことができる。その時が待ち遠しかった。


 試合は例年の直接対決同様、シーソーゲームの様相を呈していた。二回表に自分を含めた連続長打で早々と1点を先制。三回にも二巡目に入った天京の上位打線がさらに1点追加点を加えるも、四回ウラ、桐生先輩が相手の主砲に逆転スリーランホームランを浴び逆転を許す。しかし後続をきっちり打ち取り、完全に流れは渡さなかった。4回終わって二対三。息の詰まる接戦に、球場の盛り上がりもどんどん大きくなっていた。


 その直後の五回表、1アウトランナーなし。相手エースの甘く入った球を、恐怖の七番打者として打席に立っていたヒデは見逃さなかった。思いきり引っ張った超特大アーチがレフトスタンド上段まで届く。逆転を許した直後にすかさず同点。試合を再び振り出しに戻す、値千金の一打だった。


「よっしゃ! どや!」


 ヒデがダイヤモンドを回りながら吠えている。初スタメンのここぞの場面で、ここまで完璧な当たりを見せられてしまうと、ライバルとしてももはや何も言えなかった。ただただ感嘆し、帰ってきたヒデをもみくちゃにする輪に加わって、笑顔でハイタッチを交わす。こんな規格外の化け物と同い年かつ同室であることに、改めて野球の神様への恨めしさが湧いたが、すぐに頬を叩いて試合に集中を引き戻した。


 そこからゲーム中盤は互いにランナーを出しながらも両投手が粘り、得点は入らず緊迫した展開が続く。五回、六回、七回は両チームヒットの数は増えながらも結局得点板にはゼロが刻まれた。


 八回にやっと両チーム一点ずつ取り合い、得点は四対四。勝負はそのまま九回まで進んだ。そして迎えた九回表、天京は再度得点のチャンスを作り、ワンアウト。ランナーは一、三塁。


 一打勝ち越しの場面で迎えるのは四番キャプテンの沖原主将だった。ダブルプレーがない限り、自分まで打席が回ってくる。しかもまたとないようなチャンスで。


 ネクストバッターサークルで球場の盛り上がりを感じながら、改めて心の中でマレビトに感謝する。かつての丸腰の自分であれば逃げ出したくなる場面だった。でも、今の自分なら、この大事な試合に最後の決着をつけることができる。周りの期待に応えることができる。皆が望む結果を出すことができる。今打席に立つ沖原先輩などよりも、ずっとうまくやれることだろう。


『さあ先輩。自分なら確実に結果を出せます! さっさと自分に回してください!』


 そんな自分の念が通じたのか、目の前で沖原先輩がゆっくりと一塁へと歩いていく。四個のボールでフォアボール。これでワンアウトランナー満塁。出来過ぎた舞台だった。これ以上なく結果が必要な場面だ。


 三塁側アルプスの大歓声。ベンチから聞こえる「ソウ! 決めてこい!」という、かつて嫉妬の対象だった天才からの発破。極限まで膨らみうねる自分への期待が、自分のせいで一気にため息、落胆に変わる未来に、今や怯える必要はなかった。そんなものはもう存在しない。そんなものはあの忌まわしき中学生最後の夏に置いてくることができたのだから。


 さあ、みんなのために、最高の結果を残そう。今日も、この先も。どこまでも不遜にそんなことを思いながら、かつての自分が見たら全力で嫉妬するほどに悠々とした足取りで、力ある自分は輝かしい晴れ舞台へと向かっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る