2話

 正午の昼休みになって、運良く急ぎの仕事に追われてなかった暇な研究員たちがぞろぞろと廊下を歩いていく中を逆走しながら、城崎は204を探していた。

 続きは午後からと言って彼女を自由にしたが、そういえば彼女がどこで何を食べているのか等の行動記録については事前資料にはなかったので、念のため把握しておくことにしたのだ。


 ──どこだ?


 少女が日常で寝泊まりしている南棟の個室にも足を運んだが、彼女はいなかった。少女の性格上、おそらく他人の視線が多い場所で食事を摂ろうとはしないだろう。どこか静かな場所を選び、支給された健康食か何かで栄養補給を済ませているはず。

 まさか食堂なんかに行きはしないだろうし、と城崎は独り苦笑する。


 ドリームボックスの昼休憩は悲惨だった。まず第一に飯が不味い。

 中央棟に職員全員分の席を確保した広い食堂が数年前の改築でひとつ設けられていたが、基本的には調理済みの食物を皿に盛り直して提供してくるだけの所なのだ。

 ここは大規模な研究施設で、国や企業からの支援があるのだから、楽しみである食事ぐらいなんとかマシにしてほしい……というのが彼ら研究員の総意だったが、上層部は知らん顔をしている。結果として、半数以上の人間が昼食を持参してくる。


 位置的に中央棟に近かったので、一応食堂を覗いてみるが予想通り少女はいなかった。城崎は少し立ち止まって考える。

 人目につかずに食事にありつける場所。

 思い当たる所がひとつだけあった彼は、腕時計の時間をチェックしてから南棟への渡り廊下を走っていった。



「204?」


 古びた扉を開け放ち、ドリームボックス南棟の屋上へ足を踏み入れて声をかける。錆がちらほらある黄緑の背の高いフェンスがぐるりと一周してはいるが、山中のここからでも海や街中が眺められるスポットだ。

 屋上の給水タンク付近に少女はいた。本を読んでいたようだが、侵入者に気づいたのか、少女は本を守るように自分の背に隠して反射的に立つと、不愉快そうに顔をしかめた。

 美しい眼光は、やはり幼い日の記憶の中に朧気にいるシロと非常に似ていた。


 とりあえずなだめて、こちらが敵ではないことを知ってもらわないと。城崎は近くにある年季の入ったベンチに静かに座った。


「やっぱりここだったか」

「……出てって」


 殺気の湿度に満ちた声色。城崎は思わず息を呑んだ。犬人の力は人間の比ではない。

 204は軍用犬ではないし生まれて間もないが、その気になれば、この場で城崎を殺すことはいとも容易い。しかし、城崎にはどうにも少女がそうしてくるとは思えなかった。


「落ち着いて。僕は君に危害を加えるつもりはない。ただ、昼食を摂ってるか気になって」


 そう投げかけると、少女は足元にある灰色の紙箱をつま先で軽く小突いた。

 目を凝らすとそれは『犬人用糧食スプラット・ビスケット』とだけ書かれた物で、支給日は今日の日付が書かれている。世界で初めて犬用ビスケットを開発したアメリカ人起業家ジェームズ・スプラットのもじりだ。


「よかった。食べてるんだ」

「出てって」


 ぐっと低い声になって命令されるが、お構い無しに続ける。


「ここはいい景色だな。空気が新鮮だし、息が詰まる施設の中なんかよりずっと──」

「出てけ!」


 少女は取り乱したように叫んだ。これ以上は駄目だと判断し、城崎は退却することにした。


「ごめん。でもね、204。僕は君の味方だよ。これだけは覚えておいてほしい」

「うるさい」

「午後になったら降りておいで。一緒に散歩しよう」


 少女は何も答えず、侵入者が屋上から消えるまで、じっと監視するが如く視線を送ってくるだけだった。

 犬の縄張り本能だろうか、と城崎は思った。その間にも向こうから舌打ちを投げられた。苦笑いして、出入口の扉に手をかける。思索にふけって時折ぼんやりするのは彼の悪い癖だ。



 午後になり、屋上を降りてきたであろう204を探すがどこにもその姿はなかった。

 まだあそこにいるんだろうかとも城崎は勘ぐっていたが、それは杞憂きゆうに終わった。中庭の木陰で芝生に気持ちよさそうに寝転がっている少女を発見したのである。


 一説によれば、犬は昼間、食事と睡眠を除くと八割近くもの時間は休憩しているらしい。犬人もそうなのだろうか。

 否、そのような習性を敢えて残しておく必要はないとは思われる──あくまで犬人は、将来の日本の労働力なのだ。無駄で不要な生理的機能は排除されているべきだ。ひどい話ではあるが。


 この時間帯に中庭を歩く人はほぼおらず、少女が人目を避けていることは汲み取れる。

 しかしそれなら一日中あの屋上にいれば絶対誰とも会わないのに、と城崎は反駁はんばくしたくなる。

 春とはいえ、天気の良い昼過ぎに日除けのないあの屋上では体力を奪われるのかもしれないと勝手に結論づけた城崎は、視界にいる少女へと集中する。

 そっと近づいて脅かしてやろうか──なんてくだらない考えは捨てる。「204」と呼びながらわざと足音を大きくして近寄った。寝ている時に音もなく何者かが来たら人間だって怖い。そんな少しばかりの配慮だった。

 それでも少女は耳を屹立きつりつさせて身体を起こし、何事かと懸命に警戒心を剥き出してくる。


「あ、驚かせた?ごめん。ほら、散歩しよう」

「……はぁ」


 従ったのではない、とでも言いたげに息を漏らし、億劫な様子で少女は渋々ついてきた。失礼かもしれないが、これでは犬というより猫ではないかと城崎は思った。


 そのまま少し歩くが、204との距離感は午前中とはなんら変化がなかった。研究員が近づいた分だけ少女は離れ、離れた分はそのままの距離を維持される。

 会話が少女から振られることはあるはずがなく、ちょっとした世間話や雑談もラリーが二往復すら出来なかった。そういった調子で、少女がまた疲労と抗議の色を放ち始めたので、止むを得ずその日の教育と観察の仕事は終えることにした。

 一日足らずではこのぐらい進捗がなくても仕方がない、と城崎は自分を励ます。


 悶々としながらも彼は今日分の報告書を書いて上司の机に提出し、着替えるため南棟の自分のロッカーへと行こうとしたが、ポケットからの電子音に足止めを喰らう。

 204の関係者からの電話。彼は今朝、応接室に来るよう連絡を寄越した人物だ。


「もしもし?」

「城崎さん。204の方はどうです?」

「初日ですので良いも悪いも分からない、というのが本音です。とにかく今後も彼女となるべく友好関係を築けるよう善処します。報告書を毎日提出するので詳細の通達にも問題はないかと」

「そうですか。ありがとうございます。実は204に関して一件苦情が来ていまして。城崎さんに対応をお願いしたいのですが……」

「苦情?」


 眉をひそめつつ、廊下の壁にもたれかかる。


「はい。どうも以前から204は図書管理室から書籍を何冊か無断で借用しているみたいで。城崎さん、何か心当たりはありませんか?」


 言われてみると、城崎には思い当たる節がいくらでもあった。少女は昼休みの屋上にて本を読んでいた。それを目撃されて咄嗟に隠したし、彼女と初めて出会った応接室の時も、何かを大切そうに両腕に抱えて職員から守っていた。

 あれは本だったのだろう。凶暴な犬人を前にして私物の有無なんて気にもしなかったが、言われてみるとこれは結構な問題だった。

 苦情が出ているならこれも担当の責任に当たるのは避けられない。早急に対応しなくては──。城崎は空咳をした。


「204が本を読んでいる姿なら自分も見ています。明日中には対応しますので図書管理室にはそのようにご連絡を」

「分かりました。よろしくお願いします。では」


 通話が切れて、城崎はうれいげに窓からの夕日に目を細めた。新人研究員と犬人との毎日はまだ始まったばかりなのだった。

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