(8)



 ホテルオープンのパーティーに、リカルドは結局、間に合わなかった。

 だが、途中から絶対に参加するからと言われ、メグはとりあえず一人で出席することにした。


 客のほとんどは、メグも知っている顔だった。

 政治家から貴族、芸能人まで、幅広い人たちが集まっている。

 彼らに共通しているのは、リカルドと知り合いであるということ。

 このホテルの最初の会員は、リカルドがごく個人的に決めたのだろう。

 リカルドのやりそうなことだと、メグは小さく微笑んだ。


 リカルドには、『ガキ大将』という言葉がとても似合うと、メグはひそかに思っている。

 ワンマンで頑固で、時には暴力的なまでに強さを見せ付けてくるが、基本的にはすごく優しくて人情に厚い。

 ビジネスにおいても、裏切り者は決して許さないし完膚なきまでやっつけるところがあるが、苦しんでいる友人には驚くほどの気安さで援助をしたりする。

 ダニエルなどは、そんなリカルドをくすくす笑いながら『甘いねぇ』と評価するのだが、メグはリカルドらしくて凄く好きだ。

 それに、そんな彼の気質のせいか、彼には傘下企業がとても多かったりするのだ。


 今夜のパーティーも、社交の場というよりも、ホームパーティーに近い雰囲気がある。

 メグは壁際に立ち、のんびりとお酒を楽しみながら、この場の雰囲気を楽しむことにした。


 今夜は、旅行中にリカルドが買ってくれたドレスと、これもまたプレゼントされたばかりのサファイヤのアクセサリーを身に付けている。

 リカルドは昔から気軽にプレゼントをくれる人だったが、この十年でパワーアップした感じだ。

 プレゼント攻撃にはちょっと困ってしまうが、リカルドからの贈り物で自分を飾ることがすっかり嬉しく楽しくなってしまっている。


 休暇旅行で、メグはおしゃれすること、メイクすることをとても楽しめるようになった。

 なにしろ、リカルドは毎日必ずメグの服装などをチェックして、恥ずかしくなるぐらいせっせと誉めてくれたから。

 そうまでされると、メグとしてもいい加減な格好でリカルドに会えないと思えて、日に日に身支度の時間が長くなってしまったぐらいだ。

 今では、綺麗にしているのが自然になってしまったし、髪についてもこだわりなく伸ばそうと思えるのがとても嬉しかった。


 一人でいる女性が珍しいのか、何度も男性に声をかけられた。

 だがメグは、人を待っていることを告げ、ご一緒するのを断った。

 そうして一人、ホールの入り口が見える位置にいると、パーティーが始まって間もなく、リカルドの姿を見つけることが出来た。


 リカルドは背が高いし、肩幅も広く、がっしりとしている。

 それだけでも目立つのだが、彼には成功者だけが持つ輝きがあった。

 人ごみの中にいても、そこに埋没することはない。きちんと、彼は自分の存在を主張する。リカルドを見逃すなんてことは、絶対にない。


 リカルドはきょろきょろと会場を見回している。

 探してくれているのだと思えて、メグは胸をときめかせた。

 手を振って合図しようかどうか迷っているうちに、リカルドが見つけてくれた。

 目と目が合い、リカルドが嬉しそうに微笑み、大股でこちらへと歩み寄ってくる。


 リカルドに気がついた客達が、話しかけようと近づくのだが、リカルドはあっさりと彼等を無視した。

 視線さえ、メグに向けたまま、動かそうとしない。


 メグもリカルドから目が離せなかった。

 ドキドキと胸をはやらせ、メグは近づいてくるリカルドをずっと見つめていた。


「遅くなって、すまなかった」


 目を合わせたままリカルドはメグの側まで来ると、メグの手をとって甲に軽く口付けた。


「謝るほどの遅刻じゃないわ。まだ、始まったばかりだもの」

「早くないさ。俺が来るまでの間、何人の男に声かけられた?」


 まるで嫉妬しているように、リカルドが怒った顔をつくって見せるので、メグは思わず笑ってしまった。


「一人でいる女なんて、私ぐらいだからよ」

「そんなことないさ」


 と、リカルドはメグの姿を、上から下までじっくりと見つめる。


「そのドレス、とてもよく似合っているよ。このホテルの雰囲気にも。今夜の君は、また一段と綺麗だ。このホテルの女王様みたいだよ」


 メグのオフホワイトのドレスは、クラッシックなデザインでありながら古臭くなく、女らしいものだった。

 リカルドからパーティー会場のホテルのパンフレットを見せてもらい、このドレスを選んできたのだ。


「ありがとう。嬉しい」

「今度から、俺の服も君に選んでもらおうかな」

「新しい秘書さんの面接はどうしたの?」

「必要ない。君がいてくれるからね」


 目元に軽いキスをされて、メグはくすぐったさに肩をすくめた。


「実は、昼から何も食べていないんだ。君は何か食べた?」

「カナッペをつまんだけど」

「それだけじゃ駄目だよ。君はもっと食べないと。何か取ってくるから」


 他の男に声をかけられても無視するようにと、厳しい顔で念を押すと、リカルドは人ごみの向こうに消えていった。


 休暇中も、リカルドは独占欲の強い夫という役回りが気に入ったらしく、ずっとこんな調子だった。

 優しくされて、ちやほやされて、たっぷり甘やかされて、わずらわしくない程度に束縛されて。

 メグは、甘いため息をついて壁に寄りかかる。


 リカルドに愛されているように思えて、幸せで気持ちが高揚する。

 どんどんリカルドに向かって、心が傾いていく。とめられない。


(馬鹿なメグ)


 そんな自分の頭を冷やしたくて、メグは声には出さず、そうつぶやいた。


 どれほど彼を愛してしまっても、別れが辛くなるだけのことだ。

 それに、リカルドに幸せな気分にさせてもらう資格なんて、どこにもないというのに。


 今度は、少々暗い表情でため息をついた。

 旅行中も、ずっとこんな感じだった。

 リカルドに胸をときめかせては、そんな自分を愚かに思い。

 リカルドと一緒にいることが嬉しくて楽しくて、幸せであればあるほど、これでいいのかと自問を繰り返す。


 幸福感、罪悪感、自己嫌悪。

 最近ずっと、メグはこの三つの感情を行ったり来たりだ。


「もしかして、メグ?」


 不意に声をかけられて、メグは物思いから現実世界へと戻ってきた。

 いつの間にか、すぐ側に若い男が立っていた。


「メグだよね? ダニエルの所の……」


 驚き、戸惑っている男に、メグはにっこりと微笑んでみせた。


「はい。そうです。お久しぶりですね、ボリス」

「やっぱり! 驚いたよ! こんな所で会うなんて。しかも、こう言っては失礼かもしれないけど、見違えたよ。綺麗になったね!」


 ボリスはダニエルの数多い友人の一人で、メグも面識がある。

 親の事業を引き継いだ二世らしい、どこかのんびりとして大らかなボリスは、秘書のメグにも気さくに声をかけてくれた。


「ありがとうございます」

「本当に驚いた。あまり言い過ぎると、失礼かな」

「いいえ。それに私、いつもスーツでしたし」

「こういう社交の場には出てこなかったよね。ダニエルはいつも連れて行きたがっていたけど」

「社交の場に秘書をエスコートしようなんて、ダニエルの方が変だと思いますけど」

「ダニエルは君を妹のように思っているからね。今日はダニエルと一緒なのかい?」


 と、ボリスは人ごみのほうを振り返る。

 一応、質問だったが、ダニエル以外の人と来ているとは、全く思っていない口調だった。


「いえ……。実は、ダニエルの秘書を辞めたんです」


 どう答えたら、リカルドの名前を出さずにすむかと、メグは必死に考えながら、慎重に答える。


「え! 本当に?」

「ええ」

「驚いたな! 彼が君を手放すなんて、信じられないよ」


 困った表情で、曖昧に微笑んで見せたのだが、ボリスは引き下がってくれなかった。


「ダニエルと何かあったのかい?」

「いえ。そういうわけでは」

「個人的な理由で?」

「そう、なんです」

「それでもう、どこかで働いているの? 僕はダニエルにいつも言っていたんだよ。もし、君を手放すようなことがあるなら、僕に連絡してほしいって。君のような秘書は、そうそういるもんじゃない。もし、次の就職先が決まっていないなら、僕の所に来ないかい?」


 と、ボリスは急に必死な面持ちになって、メグの手をぎゅっと握り締めてきた。


「サラリーは、ダニエルの三割り増しだすよ」

「あの、ボリス……」

「五割り増しでどう?」

「ごめんなさい、ボリス。私、お受けできないんです」


 ボリスの気持ちはとても嬉しかった。

 そこまで、自分の能力を評価してくれていたなんて、驚きだった。

 だが、当然、引き受けるわけにはいかない。


「どうして? もう次が決まっているのかい?」

「えっと、それは……」


 どう答えたらいいか、説明したらいいか、メグは困ってしまう。

 本当のことは絶対に言えない。

 結婚したということも、できれば言いたくはない。

 リカルドはよく思わないだろうし、メグ自身もすぐに離婚しましたと説明するのは避けたい。


「わかった。二倍出すよ。それでどうだい?」


 メグは驚き、そしてそこまで言ってくれるボリスに、何も話さないのは失礼だと思った。

 なにしろ、二倍というのは、秘書としては破格すぎるサラリーだから。


「申し訳ないんですけど、今はどうしてもお受けできないんです。個人的な事情があって。でも、来年ぐらいなら、お受けできるかもしれません」


 言葉を慎重に選び、メグは答える。

 万が一にでも、ボリスがリカルドとの契約結婚に気付いてしまったら、リカルドに迷惑がかかってしまう。


「その頃にまた、お話していただけませんか? 勿論、その時にもまだ、私を雇いたいという気持ちがあればですが」

「君を雇いたいという気持ちは変わらないと思うよ。だからよかったら、連絡先を」

「失礼」


 ボリスの言葉をさえぎるように、リカルドがメグとボリスの間に割り込んできた。

 少し失礼ではないかと思えるほどの唐突さに、メグは驚いてリカルドの顔を見上げる。


 リカルドは不機嫌さを隠さない顔で、メグを睨んでいた。

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