(8)
翌朝、メグは朝遅くにようやく起き出していた。
何度もあくび混じりのため息をかみ殺しながら、メグはゆっくりと食堂へと降りていった。
昨夜、リカルドはあのまま寝室には帰ってこなかった。
勝手もわからない屋敷の中をリカルドを探し回ることも出来ず、また会えたとしても何を話せばいいのかわからなくて、メグは明け方までベッドに横たわっていた。
眠っていたわけではない。
目を閉じると、リカルドの絶望に満ちた表情が鮮明に思い出されて、眠ることなど出来なかった。
それでも数時間眠ったのだが、夢の中、昨夜のリカルドと、十年前にメグの嘘を知った時のリカルドの表情が重なって、ひどくうなされることになった。
(彼は、満足していると思っていたのに……)
昨夜のリカルドは、とてもではないが、復讐に満足しているような男の顔には見えなかった。
リカルドは本来、とても優しい人だ。
嫌がる女性を無理に抱こうとしたり、喜んで人を傷つけて笑っていられる人では絶対にない。
少なくとも、十年前のリカルドはそういう人だったし、それは今も変わっていないとメグは思いたかった。
だとすれば、メグを傷つけるたび、彼自身も傷を負っているのではないだろうか。
自己嫌悪して、それで昨夜のような絶望的な顔をしていたのではないだろうか。
(………)
憎い自分が側にいると、リカルドは自然と復讐したくなってしまうのかもしれない。
償いのため、彼との結婚を承諾したが、それは本当にリカルドのためになっているのだろうか?
リカルドに傷つけられ、償いをしている気になっているけれど、リカルドは傷つけるのと同時に彼自身をも傷つけているのではないだろうか?
もしそうだとすれば、側にいればいるほど、リカルドを深く傷つけてしまう。
これでは、なんのための償いかわからない。
それこそ、ただの自己満足だ。
早い内に、リカルドと話し合わなければと思いながら、メグは食堂に入る。
するとそこには、リカルドが食卓でメグを待っていた。
「!」
メグは昨夜の事がどうしても頭に残っていて、ぎくりと足を止めた。
今日のリカルドは仕事が休みなのだろうか、スーツではなく、カジュアルなベージュのズボンに、瞳と同じエメラルドグリンのシャツを着ていた。
よく眠れなかったのだろう、どこかぼんやりとした顔でテラスの外を見ていたのだが、メグの気配に気がついて、さっと顔を上げた。
「……話があるんだ」
声には力がなかった。
そして、無表情を装うとしていたが、痛みを隠しきれていなかった。
リカルドも傷ついていると感じたのは間違っていなかったのだと、メグは自分の罪深さを再確認した。
「丁度よかったわ。私からも話があるの」
そうメグが答えると、リカルドは軽く眉を上げたが、そのまま話し続けた。
「夕べはすまなかった。その……酔っていたことだ」
「あの……いいのよ」
「いい?」
驚いたように、リカルドが顔を上げた。
メグはきゅっと唇を噛み、頷いて見せた。
「相手が、私だもの。仕方がないわ」
「………」
美人でも魅力的でもない憎い女を、復讐のためだといっても、抱こうとするのにはアルコールの勢いが必要になるだろう。
今の自分は、美人と付き合い慣れているリカルドが、欲しいと思うような女ではない。
メグは無惨なほど短く切っている髪に手をやり、小さく苦笑した。
十年前、この髪は背中の半ばまであった。
痩せっぽっちで少年のような体型のメグだったが、金色の髪はとても豪華で美しく、それでようやく女らしく見えていたようなものだ。
リカルドも髪を気に入っていて、会うときはいつも誉めてくれた。
だから、リカルドと別れた後、真っ先に切った。
「やっぱり、この結婚生活には無理があるんじゃないかしら」
即座に、リカルドから非難の視線を向けられ、メグは続きを言うのに躊躇した。
強引に償いを迫ったのはメグの方だというのに、もうやめると言うのかとリカルドの目には書いてあった。
「私達は……あの、どう見ても仲のいい夫婦には見えないわ。遺産相続のために便宜的に結婚したんだと、すぐにばれると思うの」
「………」
「愛する妻を憎む夫なんて、不自然でしょ」
「君は俺の態度に問題があるから、続けられないと言うのか」
「そ、そうじゃないわ! あなたを責めているわけじゃなくて、ただ、相手役が私では無理だと言いたいだけなの」
「………」
「勿論、悪いのは私よ。あなたから憎まれて当然の事をした、私が一番悪いわ」
リカルドは黙り込んでしまう。
厳しい表情の横顔を、メグは固唾をのんで見つめた。
「結婚は続ける。それが最初の契約だ」
メグに横顔を向けたまま、リカルドはきっぱりと言った。
「でも」
「だが、君が言うことももっともだ。この結婚生活が半年続くように、いくつか決め事をしよう」
「決め事?」
「十年前の事は、持ち出さないようにする。俺達に過去などないように振る舞うこと」
それは、リカルドが憎しみを忘れる努力をするということだろうか。
メグは驚きに目を見張って、まだ目を合わせようとしないリカルドの横顔をじっと見つめた。
「俺達は、対外的には恋愛結婚して仲のいい夫婦で通さなければならない。普段いがみ合っていて、人前でだけ演技するのは難しい。不自然になるだろうし。それに、この屋敷の使用人達にも不審に思われる。二人きりの時でも、出来るだけ仲のいい夫婦の演技をしよう」
そんな演技、メグにとっては簡単だ。
だが、リカルドは全く逆のはず。
リカルドの憎しみはとても強い。
それを押さえるだけではなく、愛している演技までしなければならないのだ。
強い忍耐と我慢を強いられることになるだろう。
やはりそれでは、誰のための償いで、誰が償いをしているのかわからない。
「それは無理だわ」
リカルドにそんな事はさせられない。
メグは即座に首を横に振った。
「これを言い出したのは君の方だということを忘れるな。今更、君に拒否権などない」
断固とした厳しい口調に顔を上げると、リカルドが怒りを露わにしてメグを睨んでいた。
リカルドはプライドの高い人だ。
一度始めたことを、そう簡単にやめることなど出来ないのかもしれない。
「……わかったわ。それでうまくいくように、最大限努力するわ」
「結構だ」
話は終わったという風に、リカルドはさっさとメグから目をそらした。
憎い女など、見ていたくもないと言う態度だと思えた。
それなのに、この先、リカルドはそこまで憎い女を愛している演技をしようと言うのだ。
「……本当に、私は利己的な女ね」
十年前、リカルドを傷つけただけではなく、今もまた彼に忍耐を強いている。
自分の罪深さに、メグは泣きだしてしまいたい気分だった。
「今まで自覚がなかったなんて、驚きだな」
ぼそりとつぶやいて、リカルドは席を立つ。
そのまま、一度も振り返らずに食堂を出ていくリカルドの背中を、メグはじっと見送った。
この結婚生活を続けなければならいのなら、出来るだけリカルドの負担にならないようにしなければ。
完璧な妻を演じて、極力、彼を苛立たせないようにするのだ。
どうやら、自分に出来る償いは、もうそれしか残されていないようだと、メグはため息をついて肩を落とした。
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