(6)



 クローゼットの中には女性物の服がきちんと整理されて並んでいる。

 リカルドに住所を聞き、メグが先に送っておいたものだ。

 数はそれほど多くはないが、どれもデザイナーズブランドの物ばかりで、決して安くはない。

 リカルドぐらいの大金持ちにならどうという事のない金額だろうが、個人秘書をしてサラリーを貰っていただけの若い女性が簡単に買える額ではなかった。


 勿論、メグは簡単に買ったわけではない。

 この六年、ろくな趣味もなく仕事ばかりしていた。学資のため、将来家を買うために貯めてきたお金を使ったのだ。

 リカルドの隣にいることになるのなら必要だろうと思ったから、そしてリカルドに買って貰うことだけは出来ないと思ったから、メグは無理をして購入した。


「どうせ、ダニエルなんだろう? それとも、弟の方か?」

「何を言って……」


 ようやくメグは、リカルドが自分と伯爵兄弟の仲を誤解していることに気が付いた。

 再会したパーティーでも、そういえばそんなことを言っていた。

 あの時は、リカルドに会えた驚きと喜びで、ほとんど頭に入っていなかったが。


「ちょっと待って。私と伯爵は、リカルドが思っているような関係じゃないわ。きちんと面接して履歴書も提出して、それで採用してもらったのよ。それに、伯爵は私を妹のように思ってくれて親切にしてくれていたけど、それだけだったし。アレクにはちゃんと恋人がいるわ」

「履歴書を提出して採用?」


 リカルドは思いっきり馬鹿にしたように笑い飛ばした。


「伯爵家の個人秘書に、なんのコネもない新人が採用されるわけがないだろう? しかも、君には立派な推薦状をつけてくれる身内だっていないじゃないか」

「そ、それは……」


 リカルドの言うことも、まるっきり偏見というわけでもない。

 メグ自身、採用してもらえた時は、あまりの幸運がにわかには信じられなかったぐらいだ。

 だが、六年間ダニエルの側で働いてきて、今ならなぜ採用してもらえたのかわかる。

 ダニエルは貴族とは思えないほど、骨の髄まで実力主義者で、縁故に頼る者には最初から目を向けない。

 彼が人を選ぶときに必要とするものは、その人の履歴書と客観的な身上調査書、そしてなによりも彼自身の人を見る目だ。彼のカンは外れたことがない。


 メグはそれをリカルドに説明しようとしたのだが、うまく言葉を作ることが出来なかった。

 リカルドは痛烈に、メグが庶民であること、ろくでもない父親を持っていることを当てこすっているのだ。

 自分に向けられている強い侮蔑と嫌悪に、メグは身を震わせることしかできなかった。


「嘘をつくのなら、もっと上手くつくんだな。十年前のように」


 ぎゅっと、メグは目を閉ざした。


「君は俺の妻だ。俺は妻を他の男と共用するつもりはない。これから半年、身を慎んでくれ」

「ええ勿論……」

「この服はすべて片づけろ」

「リカルド。お願い……わかって。誤解なの」

「その言葉をどう信じろと?」


 信じてもらえないだろう。

 十年前、リカルドを騙したことは偽りのない事実で、リカルドはその過去だけを元に今のメグを見ているのだから。


「私は、ただあなたにお金を使わせたくないだけよ。あなたのお世話になるわけにはいかないと、そう思っているだけなの」

「妻のために金を使うのは当たり前だ」

「そんなことないわ。それに、私は本当の妻というわけでもないもの」

「半年間は本当の妻だ」


 ぐいと顎を捕まれて、メグは驚愕に目を見開く。

 いつの間にか、リカルドが至近距離でメグを見下ろしていた。

 そして、メグが拒否する時間を与えず、リカルドは唇を塞いできた。


 メグは咄嗟に拒否しようとしたが、やはりすぐにリカルドのキスになだめられてしまう。

 我が物顔で強引なキスをする男に、震える体でしっかりとすがりついた。


 唇がはなれると、メグだけではなく、リカルドの息も乱れていた。

 うっすらと頬を紅潮させ、目がきらきらと輝いてメグをじっと見下ろすリカルドは、恋人との情熱的なキスに満足している男のような顔をしていた。


 だが、次の瞬間には、リカルドの表情はぐっと苦々しく歪む。

 メグの肩を乱暴に押しやって、二人の間に距離を作った。

 まるで、少しでもメグの側にはいたくないという仕草に、メグのキスの熱も急速に冷めていった。


「娼婦め」


 吐き捨てられた言葉に、メグは大きなショックを受けた。

 体が震えだすのをとめられなかった。

 涙がこぼれ落ちていくことも。


 リカルドは唇をかむと、何も言わずにメグに背を向ける。

 そしてそのまま、部屋を出ていってしまった。


 扉が閉まるのを見届けてからようやく、メグは声を出して泣くことを自分に許した。






 リカルドは夕食に姿を見せなかった。

 使用人達は当たり前のようにメグの分だけを、テーブルに運んでくる。

 妻であるはずの自分が、使用人に夫の行く先を聞くのはおかしいと思えて、メグは平静を装って一人で食事しなければならなかった。


 だが、一人にしてもらえてありがたいと、メグは思ってもいた。

 今日一日だけで、心はぼろぼろになったような気がする。


 リカルドが自分を憎んでいる事はわかっていたつもりだったし、結婚生活が楽しくなるなんて思ってもいなかった。

 だが、これほどまでに辛くなるとも思っていなかった。

 メグはため息をついて、銀器をテーブルに戻す。


 リカルドに翻弄されている。

 情熱的で巧みなキスで燃え上げられ、娼婦だと嘲笑される。

 口では嫌だと言っていても、触れられればすぐにその気になる、淫乱な女だと。

 そしてひいては、だから十年前、抱かれたくて誘惑して騙したんだろうと、なんて酷い女だと、そう言われているような気がする。


 気がするだけではなく、本当にそうなのだろう。

 メグが償いをしたいように、リカルドは復讐をしたいのかもしれない。


(そうなのだとしたら、私は半年間をやりとおさなければ)


 メグは償いをすることで、十年前の罪悪感から開放される。

 そしてリカルドもまた、十年前の憎悪から開放されるのかもしれない。


 だとすれば、リカルドの復讐を受け入れることが、最大の償いなのではないかと、メグは思った。

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