(5)



 リカルドが準備のためにくれた時間は、一週間だけだった。

 メグはその短い間に、今までの自分の人生を整理する事に追われた。


 ダニエルには結婚することを伝え、秘書の仕事を辞めたいと申し出た。

 だが、ダニエルはなかなかメグの辞表を受け取ろうとはせず、何度も引き留めようとしてくれた。

 メグとしても、辞めたくて辞めるわけではなく、ダニエルに引き留められればられるほど、悲しみは増した。


 ダニエルには、リカルドと結婚すること、この結婚は強制されたものではないことを、何度も説明した。

 アレクからパーティーの事を聞いているのだろう、ダニエルはなかなか納得しようとしなかったが、最後には折れてくれた。

 そして、メグが驚くほどの退職金をだしてくれた。

 結婚祝いも入っているからというダニエルの言葉に、メグはありがたく全額頂戴することにした。


 この先、半年間は勿論無収入になるし、離婚後の職もどうなるかわからない。

 それに、結婚するとはいえ、リカルドにすべて生活費を負わせるつもりは、メグにはなかった。

 リカルドの負担にはなりたくなかったから、出来るだけ出そうと決めていた。

 リカルドがどういった結婚生活を考えているのかわからないが、別居してもいいのなら、自分で家を探すつもりでもいた。






「俺達の結婚は、内外に対して正式かつ本物であることを示さなければならない」


 役場で簡単な結婚式をすませ、自家用ジェット機の中で二人きりになってから、メグはようやくリカルドにこれからのことを聞ける時間が持てた。


「別居は考えていない。俺達は俺の屋敷で一緒に住み、同じ寝室を使い、普通の夫婦のような生活をする」

「……どうしてそこまで」

「勿論、相続の条件にそう書いてあるからだ」


 リカルドが急に結婚相手を必要としたのは、先月亡くなった叔母の遺産を相続するためだった。

 遺産といっても、リカルドが欲しいのは動産ではなく、その叔母が所有していた古城だという。

 その古城をクラッシックホテルとして改築したいのだそうだ。


 日頃リカルドが独身で遊び回っていることを心配していた叔母は、相続の条件として、リカルドが結婚することを遺言で指定してきた。

 詳しい内容をメグは聞いていないが、遺産相続するために偽装結婚をしないよう、細かな条件が入っているのだろう。


 その話を聞いたとき、メグは強い違和感を覚えた。

 遺言に従って結婚までするなんて、リカルドらしくないと思えたのだ。

 メグの知っているリカルドは、欲しい物を手に入れるとき、こんな下手にでる人ではなかった。

 遺言の無効を訴えるとか、一度相続を拒否してその古城を手に入れた人から買い上げるとか、そういう方がずっとリカルドらしいのに。


「あなたらしくないのね」


 思わず本音がぽろりと口からこぼれてしまい、メグは慌てて口を閉ざした。

 だが、一度出た言葉を消せるはずはなく、リカルドに物凄い目つきで睨まれることになった。


「結婚するつもりはなかった。半年間だけ結婚生活に付き合ってくれるという都合のいい女性は、それほど多くいるものじゃない。君がいなければ、結婚など考えもしなかった」


 リカルドは、メグの全身に視線を走らせる。


「君を見ただけでは、半年間だけの結婚に合意するような女性とは思えない。半年間、娼婦のような真似事をするような、安っぽい女にはね」

「わ、私は、そんな……娼婦だなんて」

「何が違う。十年前からそうだったじゃないか」

「ひどいわ、リカルド。私、そんなつもりは」

「十年前、俺は君のバージンと引き替えに、たくさんの物を失った」


 メグは言葉を失う。

 十年前、リカルドから何かを奪うつもりなんて、なにもなかった。

 彼に愛して欲しかっただけ、愛してもらっているという確証が欲しかっただけ。

 だが、結果として、リカルドからたくさんの物を奪ったことは否定出来ない。


 十年たった今も、こうして憎しみを露わにするリカルドを見ると、かなり大きな損害を与えてしまったのだろう。

 メグは申し訳ない気持ちで一杯になり、小さく謝罪すると、リカルドから視線を逸らしてうつむいた。




 ジェット機から降りると、二人は空港で待っていたリムジンに乗って、リカルドの屋敷へと向かった。

 広大な敷地と豪華な家屋からなる、屋敷というより城というのに相応しい規模で、三年前に購入したとだけリカルドは説明してくれた。


 メグは十六で家を出てから、自分の家を持つことが夢だった。

 勿論、こんな豪邸ではなく、こじんまりとした小さな家しか考えていなかったが。

 猫の額ほどの庭でもいい、誰にも気兼ねなく好きな花を咲かせたいと思っていた。


 今、目の前に広がるリカルドの屋敷は、とても大きな庭がある。

 専門の庭師が入っているのだろう。植え込みは綺麗に切りそろえられ、季節の花が咲き誇っていた。


「素晴らしいわね」


 メグは感嘆のため息混じりにつぶやいた。

 純粋に屋敷の素晴らしさに感動し、その持ち主にも賞賛の微笑を向ける。


「君達親子にどん底へ突き落とされた後、ようやくここまで来たよ」


 だが、返ってきたのは、そんな冷たく突き放すような言葉だけだった。

 しかも、痛烈に十年前の事を当てこすられて、メグは真っ青になってうつむくことしかできなかった。


 リカルドはそんなメグを横目で見ながら、何も言おうとはしない。

 ただ、不機嫌そうな顔で、窓の外へと視線を移動させた。


 そのまま二人は会話もなく、玄関前に横付けされた車から降りた。

 リカルドの不機嫌は続いており、出迎えに出ていた使用人達にメグを紹介しようともせず、執事らしき初老の男性となにやら話し始めてしまった。

 メグはどうしたらいいのかわからず、玄関口に並んで主人を待っていた使用人達の視線を感じながら、黙ってリカルドの後ろに立っていた。


 これだけの屋敷なのだから当然なのだろうが、使用人の多さにメグは気が重くなった。

 自分も長くシュタイン伯爵家で使用人として働いていたからわかる。

 使用人というのは、主人達の私生活に踏み込んだりはしないが、内輪ではたっぷりと噂話にする。

 この先、娼婦のように扱われている女主人を使用人達が影でどう噂するのか、想像するだけでぞっとしてしまう。


「メグ!」


 強い口調で呼ばれ、メグは驚いて顔を上げた。

 どうやら、リカルドはすでに何度か呼んでいたらしい。

 不機嫌そうな顔を隠そうともせず、メグを睨んでいた。


「ご、ごめんなさい」


 メグの視線が自分に向いた途端、リカルドはすたすたと屋敷の中に入っていった。

 どうやら、使用人に紹介もしてくれないらしい。

 メグは使用人達の好奇な視線を感じながら、リカルドの後を追って二階へと上がっていった。


 二階の主寝室らしき広い部屋に、リカルドは入っていった。

 後を追って部屋に入ったメグは、扉口に立ち止まって部屋の中をそっと見回した。


 部屋の奥にあるキングサイズのベッドに、まず目が奪われた。

 結婚生活が現実味を帯びてきて、メグは必死に目をそらす。


 落ち着いた色調で統一された家具はどれも高価そうだが、居心地いい雰囲気を作り出してくれていた。

 部屋の奥にはバスルームへ通じているらしい扉と、もう一つの両開きの扉。

 リカルドはその両開きの扉を開けて、中をのぞき込んでいた。

 どうやら、そこはウォークインクローゼットらしい。


「君のサラリーは随分いいんだな」


 リカルドはひどく苦々しくつぶやいた。


「それとも、これは『お手当』ってやつか」

「……何を言っているの」


 ウォークインクローゼットの扉を大きく開きながら、リカルドは侮蔑を込めた目つきで、メグを睨んでくる。

 メグには、なぜリカルドが急に怒り出したのかわからなくて、そしてまた傷つけられるのかと恐れて、無意識のうちに両腕で自分を抱きしめるようにしていた。

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