(4)
「久しぶりだな」
この十年、リカルドの姿を直接見たことはないが、雑誌で写真は何度も見てきた。
経済誌には勿論、女性との関係も派手なリカルドは、ゴシップ誌の常連でもある。
リカルドがとても魅力的に年齢を重ねていたことを知っていたつもりだったが、こうして目の当たりにすると、メグはただ呆然と彼に見とれてしまった。
軽くウェーブのかかった黒髪は、今も艶やかで柔らかそうだ。
がっしりとした長身は、十年前と何ら変わらず、鍛え上げられ堂々としている。
そして、意志の強いくっきりとした緑の瞳は、憎しみを露わにメグを睨んでいた。
いや、憎しみというよりも、侮蔑だろうか。
それでも、メグはリカルドに見とれていた。
憎まれているのも、恨まれているのも、よくわかっていた。
この十年、リカルドは憎しみの余り、会うことさえ許してくれなかったのだから。
今こうして、自分の前に姿を見せてくれていることだけで、メグは十分に嬉しかった。
「シュタイン伯の個人秘書だって? ずいぶん出世したものだな」
リカルドは尊大にメグを見下ろしながら、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「ついでに、弟のお相手もしているってわけか。いい気なものだな」
リカルドがダニエルやアレクとの肉体関係をほのめかしている事に気が付いて、メグは愕然とした。
勿論、メグはダニエルやアレクとそんな関係になってことは一度もない。
秘書の仕事を手に入れたのも、きちんと面接を受け、メグの能力をダニエルが認めてくれたからだ。
今まで、そんな下劣な噂がたったことすらもない。
なぜ、リカルドがそんな誤解をするのか、メグには全くわからなかった。
あまりにも意外な言葉に、メグは否定するのも忘れて、呆然としてしまった。
「ダニエルもどうしてお前みたいな女を秘書になんか」
「そ、それは誤解です」
ダニエルまで非難の対象となり、メグはようやく否定の言葉を発することが出来た。
「ダニエルとは、そんな関係ではありませんから。ダニエルを」
メグは、唐突に言葉を失った。
十年ぶりだ。
十年ぶりに、リカルドに対して口をきいた。
もう絶対に、リカルドと話が出来るなんて思ってもいなかったというのに。
いつの間にか、涙が頬を伝っていた。
メグは嗚咽をもらしそうになって、両手で口を押さえる。
泣いてなんていられない。
ずっとずっと、こうしてリカルドが会ってくれる時を待っていた。
そして、リカルドに会えたら、話さなければならないたくさんの言葉を抱えてきたのだ。
「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
突然のメグの謝罪に、リカルドは顔をしかめた。
「私……ずっと、謝りたくて」
「なんのことだ」
「じゅ、十年前の、あの」
「そのことなら、謝罪など必要ない」
リカルドはたちまち不機嫌な顔になると、メグから顔を背けた。
「謝罪など聞きたくもない」
「でも」
「なぜだかわかるか? 謝罪などされても、俺は君を許すつもりなどないからだ」
メグは嗚咽を殺すために、ぎゅっとかためた拳に、歯をたてる。
拳も、歯も、ぶるぶると震えていた。
「滅茶苦茶にしてやりたい」
毒のこもったリカルドの言葉に、メグは目を閉ざす。
「だが、俺は君達親子とは違う。君を陥れるつもりなどない。無視するだけだ」
「リカルド」
そう吐き捨てて、そのまま行ってしまおうとするリカルドに、メグは必死に追いすがった。
無視すると言うリカルドが、今どうして声をかけてきてくれたのかはわからない。
十年前の事など忘れたような顔をして、ダンスを楽しんでいるメグを見て、腹が立っただけなのかもしれない。
それでも、メグにとっては、十年待って、ようやくつかんだチャンスだ。
このまま、終わらせるつもりはなかった。
「リカルド、待って。待って、お願い」
メグがリカルドの腕をつかむと、リカルドは足を止めてくれた。
肩越しに振り返ったリカルドの目は苛立っていたが、メグはつかんだ腕をはなさなかった。
「お願い。私は、あなたに償いがしたいの」
「償い?」
リカルドはメグの必死の言葉を、鼻先で笑った。
「ひどい事をしてしまったと思っているの。ずっとずっと、悔やんできたわ。謝りたかった。でも、あなたは会ってくれなくて」
「俺は会いたくもなかった」
「わかっているわ。だから、あなたに会わないことが、私に出来る精一杯の償いだった。でも、そんなことではなく、きちんとあなたに」
「なんて利己的な女だ」
リカルドの腕を掴んでいたメグの手は、乱暴に振り払われた。
「君の言う償いは、俺のためではなく君自身のためだろう? 償いをして、君の罪悪感をなくしたいだけだ。もっとも、君に罪悪感などというものがあるだなんて、俺は今日まで知らなかったが」
嫌悪感を露わに、リカルドはメグを睨みつけている。
そんなリカルドを、メグは必死に見返していた。
会いたくないとまで言うリカルドに、償いをしたいと願うのは、リカルドの言うとおり利己的なのだろう。
この十年間そうしてきたように、リカルドの目に触れないようにひっそりと生きていくことが、自分に出来るただ一つの償いかもしれない。
だが、それでも。
それでも、なにか償いがしたい。
この十年、ずっとずっと願い続けたことだ。
「私、なんでもするわ。どんなことでもいい。あなたのためになることなら、なんでもする。だから」
胸元をぎゅっと押さえながら、メグは必死でリカルドに訴える。
「どうか、私に償いをさせて。私に十年前の罪を償わせて。どうか、お願い」
メグは深く頭を下げた。
頭の上で、リカルドが呆れた風にため息をつくのが感じられる。
メグはそのまま、その場に膝を突いて土下座しようとした。
「いい加減にしろ」
だが、リカルドに二の腕を強く捕まれて、メグは強引に立たされた。
「リカルド、お願い」
必死に見上げてくるメグを、リカルドはしばし無言で見下ろす。
二人は、無言で見つめ合った。
メグにとっては、永遠とも思える時間の後、リカルドが先に目をそらした。
「それなら一つ、君に頼みたいことがある」
「なんでもやるわ」
「俺と結婚してもらおう」
あまりにも意外な言葉に、メグは言葉を失った。
「俺は今、妻を必要としている。だが、結婚生活を続けるつもりはない。結婚期間は半年。その間、君には俺の貞淑で誠実な妻を演じてもらう。そして半年後には離婚だ」
「………」
「今の仕事は辞めてもらう。当然、半年間は他の男と付き合うのも禁止だ。身も心も、俺の妻になりきってもらおう」
「……身も、心も」
「そうだ」
薄笑いを浮かべると、リカルドはメグに一歩近づき、メグの細い腰に腕を回した。
そして、それが当然という顔をして、メグを抱き寄せる。
「たった一度だけだったが、俺達の相性は悪くなかっただろう? 特に君は、初めてだというのに燃えていたじゃないか」
「!」
羞恥に頬を真っ赤に染めると、メグはリカルドの胸を両手で突いて離れようとした。
だが、リカルドの腕は力強く、メグを離そうとはしなかった。
「俺も君の体には未練がある。ほんの少しだが」
低く笑いながらつぶやくと、リカルドは強引にメグに口づける。
反射的にメグはキスを拒もうとしたが、しっかりと抱くリカルドに阻まれて出来なかった。
そしていつしか、リカルドの情熱的なキスに、メグは抵抗を忘れてしまう。
十年前、メグはいつもリカルドのキスに翻弄され、我を忘れ、リカルドに夢中になった。十年たっても、それは何もかわらない。
いつの間にか、メグはリカルドの首に両腕をまわしてすがりつき、夢中になってリカルドを貪っていた。
「半年間、君を楽しませてあげるよ」
キスの余韻にうっとりと浸っていたメグは、リカルドの言葉に身を震わせる。
傷ついた顔で見上げてくるメグに、リカルドは楽しげに唇の端を上げた。
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