(3)



 さっと青ざめたメグに、アレクはそれ以上、余計なことは聞かないでくれた。


「振り返っては駄目だ。向こうはもう君を見つけている。さっきからずっとこちらを睨んでいるからね」


 冷たくなり、小さく震えているメグの手を、アレクはしっかりと握りしめてくれる。


「どうしたい? 彼はきっとダンスが終わったら話しかけに来るだろう。そういう顔をしている」

「彼に会うわけにはいかないの」

「わかった」


 アレクはたくみにメグをリードして、その男から距離を取った。

 十分に距離を取ってから、ごく自然な仕草でダンスをやめ、そのままメグの手を取ってホールを出ていく。

 メグはそんなアレクに手を引かれていくだけで、リカルド・レオがこの場にいるというショックに放心していた。


 リカルド・レオに、このパーティーの招待状が行ったはずがない。

 ダニエルとメグが吟味して招待客を決めたのだから。招待していたら絶対に知っているはずだ。


 リカルドは有名なホテルチェーンのオーナーであり、ダニエルと仕事上で少なからず親交がある。

 招待されていても誰も不思議には思わないだろうが、今回、ダニエルは彼に対する招待を見送った。


 それなのになぜ。どうして。

 この十年、彼の視界には入るまいと、あれほど気をつけて生きてきたというのに。


「メグ」


 それとも、魔法をかけられていい気になって、少し楽しもうと思った自分を罰するため、彼は現れたのだろうか。

 お前にそんな資格などないのだと。


「メグ!」


 強い力で肩を揺さぶられ、メグはようやく顔を上げた。

 とても心配そうな顔で、アレクが顔をのぞき込んでいた。


「……アレク」

「大丈夫かい? 真っ青だ」

「はい。大丈夫です」


 周囲を見回せば、ホールの喧噪からはもう遠く離れた静かな回廊にいた。

 綺麗な空気の中で息をつき、メグはようやく少し冷静になった。


 何度か深呼吸して目を閉ざし、落ち着こうと務めているメグを見つめ、アレクは言葉を選びながら口を開いた。


「リカルド・レオが、君に何か危害を加える可能性はある?」


 アレクの心配をありがたく思いながら、メグは小さく、しかしきっぱりと首を横に振った。


「それなら、会いたくないというだけなんだね」


 メグは小さく頷いて見せる。


「ごめんなさい。アレクにまでパーティーを退席させてしまって」

「俺がそれを逆にありがたく思っているのを、君は知っているだろう?」


 と、アレクが口の端をあげてにやりと笑って見せたので、メグは強ばりながらも笑顔を返すことが出来た。


 その時、屋敷の使用人の一人が、アレクを見つけてホールの方から走り寄ってきた。

 ジェイが遅れてついさっき到着し、とりあえず部屋で夕食をとっているという伝言だった。


「すぐに行ってあげてください」


 伝言を聞いて、さっと嬉しそうな表情をうかべたアレクに、メグはなんとも羨ましい気持ちで声をかけた。


「君とリカルドの事を、今すぐダニエルに報告した方がいいんじゃないかい?」

「必要ないです」

「それなら、君を部屋まで送るよ」

「それも必要ないですよ。部屋といっても、秘書室のロッカールームまでですから、送ってもらうような距離じゃないです」


 あくまでアレクはエスコート役をきちんと務める事にこだわっていたが、メグは早く一人になりたかった。

 一人になって、心を静めたかった。


「勿論、君の家まで送るつもりだ」

「私、車で来ているんですよ。送ってもらったら、明日出勤する時に困ります」

「だが……」

「アレク、私、遠慮しているわけじゃなくて、本当にそうして欲しいんです」


 アレクはしばしメグの瞳の中を見つめていたが、その中に何を見つけたのか、小さく吐息をついて頷いた。


「わかったよ。ただし、もし俺が必要になったら、すぐに連絡してくること」

「ありがとう、アレク」




 ジェイの元へと帰っていくアレクの背中を見送りながら、メグはほっと安堵のため息をついた。

 アレクが気を使ってくれているのはありがたいのだが、これ以上一緒にいて、リカルドと自分の関係について聞かれるような事があると困ってしまう。

 なんと答えたらいいのか、わからないから。


 メグはじっと目を閉ざした。


 ……十年前。


 メグは十六だった。

 まだ子供だったが、本当の大人の恋に夢と憧れを持っていた。

 そして、リカルド・レオに出会ったのだ。


 当時、リカルドは二十五歳。

 すでにホテル業界で頭角を現し始めていた青年実業家だった。

 十六だったメグにとって、リカルドはとても大人で素敵で魅力的で。一目で恋に落ちた。


 だが、二人の結末は、悲惨なものだった。

 メグは自分の幼さと未熟さで、リカルドを傷つけてしまい、自分も傷つき、最悪の形で別れることになった。


「メグ」


 背後から聞こえてきた声に、メグは硬直した。


 聞き間違えるはずもない。

 聞き忘れるはずもない。


 メグは震えながらも、ゆっくりと振り返った。


 回廊の先に立ち、じっとメグを見据えていたのは、リカルド・レオ、その人だった。

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