第4話 Tension

 私の日常は変わらない。機械的に動き、機械的に食べ、機械的に寝る。学生という身分が保証されている今においてはこれに安住あんじゅうを感じていられるが、いずれそうもいかなくなる。

 人混みを抜けるとき、足が強張こわばる。視線のような何かを感じて仕方がない。思い込みだと多くの人は言うだろう。だがもはやそれを飲み込んだところでどうしようもないのである。唯一私が有機的であることの裏付けがこんな風に表れることがより一層むなしさを加速させる。

 講義棟こうぎとうの廊下を早足で、うつむきながら過ぎて行く。余計な沈黙ちんもくがうるさく感じた。上っ面では他人を拒絶きょぜつする一方で、嫌でも情報として入ってくる他人に、何かしらの関心を抱いてしまうのがなんだか苦しかった。

「あー今日の夜さぁ……っとぉ?」

 油断していた。角を曲がるその時まで、その声の主に気づかなかった。

 うつむいたまま、

「ごめんなさい。」

 息とも聞き分けのつかぬ声を発して通り過ぎようとした時、

「ま、待った!」

 明らかに私に向けられた声だった。

 すれ違いざまに何か落としただろうか。ありもしない被害妄想ひがいもうそうを浮かべながら振り返る。

「えっと……人違いだったら申し訳ないんですけども……。」

 口ごもる男の目線は泳いでいた。さっきの語気で私を引き留めただけに急に矮小な存在に見えた。

「先日、町はずれのアスガルドっていうカフェに、もしかしていませんでした?」

 この場においてこの名前を聞くとは思わなかった。そしてこの瞬間、羞恥心しゅうちしんと不快感が入り混じった何かが湧いてきた。

「は、はぁ……一応、いましたけど。」

 絶妙な空気が私たちの間を包んだ。私の心はこの間ずっと後ずさりしていた。

 男は横を向いて一瞬何かをつぶいたのち、

「あ、いや……だから何ってわけでもないんですけど、なんというか、あなたがお茶してるところたまたま見て、すっげーいい画だなって思っただけです。」

 うだうだと述べるのであった。なんなんだこの男、ナンパにしては下手すぎる。

「……それだけですか?」

 早々に立ち去りたい。

 急に男は思いついたように

「あそこ、よく行くんですか?」

 確かに、アスガルドは物好きの中の物好きが行きそうな場所にはある。

「はぁ……まぁこの大学来てから数回程度ですけど。」

 いまだにお互いの名前も年齢もわからない距離感が少しもどかしい。とはいえ私はこの関係性がデフォルトなのだが。

「えっと、俺割と頻繁ひんぱんに行ってて……いや、それだけです。また会ったら面白いっすね。」

 もはや軽く恐怖である。ほんとになんなんだこの男は。

 軽く会釈をして苦笑いを浮かべる男を横目に足早にその場を後にした。しばらくあそこへ行くのは控えておこうか……。

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