・放牧地のメイシュカクツル号

 春の万緑に映える褐色のカクツル号に跨がって、2人の待つトラックコース前までやってくるといの一番・・・にこう言われた。


「おや、馬具はどうしたかね?」

「実は俺、裸馬に乗るのも得意なんですよ」


「そのままで行くつもりかね!? いやしかし……万が一落馬でもしたら、最悪は骨折では済まないのではないかね……?」

「まあそこは見ていて下さいよ。……そんじゃシノさんや、タイムをお願いするぜ」

「はーい、私にお任せを♪ 押し忘れないようにー、気を付けますねー♪」


 シノさんにストップウォッチを投げ渡すと、なんとも不安な返事が返ってきた。


「……シノくん、その役は私が代わろう」

「あらー?」


 しかしタマキさんもシノさんと付き合いが長いらしく、彼女の性質をよくわかっていたようだ。

 シノさんが両手で大切に抱えていたストップウォッチは、直ちに品の良い老紳士により横取りされていた。


「ではいきますよ、バーニィくん。くれぐれも気を付けて行って下さいね」

「おう、いつでもいいぜ。……カクツル、ピッと鳴ったら全力で走り出せ。トラックコース1周だから温存はしなくていい、お前の馬主さんに良いところを見せてやれ」


 俺が馬の首を撫でながら耳元にそう語りかけると、カクツル号はいななきを上げてうなづいた。


「では……」

「ああ、やってくれ」


 さあパフォーマンスの始まりだ。タマキさんのかけ声と共に、ストップウォッチがデンシ音を響かせると、続けて彼の驚嘆の声が背中越しに届いた。


 鞭も蹴りもなしに馬が人間の言葉を聞き分けて、迅雷の如く最速のスタートを切ったのだから、驚くのは当然だ。

 俺は裸馬に張り付くようにまたがって、エナガファームの短いトラックコースを快速で突っ走った。


 実はコイツが放牧地にきた時点で目を付けていた。

 成績には恵まれていないが、このカクツル号は優れたやつだ。


 もっといい成績を上げてほしくて、俺は密かにコイツを鍛え上げていた。


 今朝、馬育成スキルで調べた限りではこんな感じだ。

 放牧入りして間もない頃から比較して、これだけの成長をしてくれていた。


――――――

【馬名】メイシュカクツル

【基礎】

 スピードB → B+

 スタミナD → C

 パワー C → B

 根性  A → S

 瞬発力 D → D+

【特性】

 投擲スキル強化

 槍術強化

 馬鎧適正

――――――


 まあ若干、俺に育てられたせいで軍馬としての才能が開花してしまっていたが、まあ何もないよりはいいだろう。

 何かの機会に馬鎧をまとったり、競馬場で槍を持ったジョッキーを乗せる日がこないとも限らない。


 俺の得意武器の一つに投擲槍ジャベリンがあるが、あいにくとコイツはタマキさんの馬だ。

 コイツをあちらの世界に持って帰ったら面白そうだが、さすがにそういうわけにはいかなかった。


「へへへ、楽しかったぜ、カクツル」

「俺もだ。これまで俺の背中に乗ったどのジョッキーより、お前は馬の扱いをよく知ってるよ。ほら見ろ、タマキさんにも好評みたいだぞ」


「おう、お前さんのおかげでチャンスが掴めそうだ。ありがとよ」

「お互い様だ。放牧明けのレースは俺に賭けてくれよ、バーニィ」


「悪ぃ、金持ってないんだわ、俺」


 トラックコースを1周して馬の背から降りると、タマキさんが自分の杖を肩に担いで飛んできた。

 よっぽどぶったまげたのか、白髪だらけの年寄りなのに少年みたいに目を輝かせていた。


「なんだねあのスタートはっ!? それにあの人馬一体となった走り、あれは生半可な訓練で出来るものではない……! まったく驚いたよっ、ストップウォッチを止め損なってしまったほどだっ!」

「おいおい、そりゃないでしょ、タマキさん」


 鼻先に突き出されたストップウォッチは、ホッカイドー驚異の技術力で今もコンマ秒単位の計測を続けていた。

 俺はタマキさんからそれを受け取って計測を止めると、がんばってくれたお礼に軽く撫でてから腰に戻す。


「ふふふ~、やっぱり私がするべきでしたねー♪」

「いや、どっちにしろ結果は同じだったんじゃねぇかな」


「あらー? そういう言い方する人はー、シチューの具をよそってあげませんよー? ぜーんぶ、タルトちゃんにあげちゃいますからねー♪」

「待ってくれよ、そうやって胃袋に訴えるのはずるいだろ……。わかったよ、次の機会はシノさんにお願いするよ」


「ふふふー、あんまり自信ありませんけど、がんばりますねー♪」

「なら言うなっつのっ!」


 タマキさんはまだ興奮しているようだ。彼に両腕を左右からガシリと掴まれたまま、俺とシノさんはのんきに晩飯の話を続けた。

 この家にはおかずが1品だけしかない。


 ここでは牛の乳が安く手に入るそうなので、もっぱらヒダカタウンの名物アスパラや、ナメコと呼ばれるキノコやらがシチューの具だった。


 ……あ、肉? それは1度も見たことがねぇな。


「世の中には、馬を育てるのが上手い騎手がいるものが、これほどのジョッキーは見たことがない……。よもやカクツル号が、見違えるような名馬に変わるとは……!」

「そんなにおだてないで下さいよ。ああそうだ、もしよかったら他の馬もエナガファームに預けませんか? 馬をゆっくり休ませながら、それなりに鍛えられると思いますよ」


「それはいい! シノさん、放牧地は空いていますかなっ!? 他の子たちも彼に任せたい!」


 やはりこの爺さん、本当に馬が好きなのだろうな。俺の次はカクツル号の方に駆けていって、その筋肉質な馬体を撫でて、ニコニコと笑いながら話しかけていた。


 その姿はまるで孫にベタ惚れの爺さんだった。


「はい、不安になるくらいいっぱい、いーーっぱい、空いていますよー♪」

「そうですかっ! では放牧中の子をこちらに移して、バーニィくんに育て直してもらうとしましょう! いや今からレースが楽しみです!」


 カクツルもタマキさんに褒められて嬉しそうに尻尾を振っていた。


「ありがとよ、バーニィ。俺、もうちょっとだけがんばってみるよ」

「おう、お前さんはきっと超晩成型だ、まだまだこれからだと思うぜ」


 まさか俺のこの力に、これほどまでに人を幸せにする力があるとは思っていなかった。

 ホッカイドーはいいところだ。冬はおっさんの氷像になりかけるほどに寒いが、人間の心は温かい。


「やりましたね、バニーさん♪ これでやっと、シチューとお米だけの生活にお別れできますねー♪」

「だな。今日はなんか美味い物作ってくれよ。ああそれと、俺ぁテレビで見たアレが飲みてぇよ。あの、ハイパードゥライってやつだ!」

「はいはい、いつもCMが入るたびに、バニーさんったら物欲しそうに固まっていましたものねー♪」


 タマキさんのおかげで、これから俺はビールにありつける。

 既に目標を達成した気分だったが、そういえば女神から授けられた使命の方が残っていたのを思い出した。


「ところで話を戻しますがタマキさん、もし――」

「うむ、わかっているよバーニィくん。まずは地方競馬のレースでもいいかね?」


「勿論だっ、レースに出してくれるならどんな馬にも乗りますよ!」

「実はちょうど替えの騎手が見つかっていない馬がおりましてな、格上相手なので勝ち目も薄い。君に任せてみるのもいいでしょう」


「ありがとうございます、タマキさん!」

「君が乗ればあの馬ももしかすると、もしかするかもしれないな」


 地元ヒダカタウンで開催される地方競馬ではあるが、これは大きな一歩だ。

 素性も定かではない怪しいオヤジはこの日、レースの出場権と、キンキンに冷えたシュワシュワの缶ビールを手に入れたのだった。


 美味い! 美味過ぎる! 最高だぜ、ホッカイドー!

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