・G3モンベツ記念 - タカミサカリ -
3月下旬、ようやくこのエナガファームに俺の乗り馬がやってきた。
競馬の世界には中央競馬と地方競馬があり、中央に所属する馬たちはホッカイドーではない別の州を拠点にしているそうだ。
そこんところは複雑なのでよくわからんが、とにかく海を越えて俺の馬がやってきたってことだ。
俺に与えられた馬の名は『タカミサカリ』、こいつもこいつで変な名前だった……。
「よう、ホッカイドーまで遠路遙々お疲れさん。早速で悪ぃが、お前さんの能力のぞかせてもらうぜ」
「能力って、なぁに……? なんでおじさん、ボクとお喋り出来るのー?」
「さあな、俺ぁ昔からこうなんだ」
馬スキルでタカミサカリの能力を鑑定してみると、こんな感じだった。
――――――――
【馬名】タカミサカリ
【基礎】
スピードC
スタミナB+
パワー A+
根性 A
瞬発力 B
【特性】
ダート巧者
芝適正 ×
【距離適正】
2000~2800m
――――――――
「ありゃ……?」
スピード以外に光る物を持っていたが、いきなり難題発生だ。
今回のレースは芝だ。重いダート(土)じゃない。さらにレースの距離はマイル1800m。コイツの距離適正から200mも短い。
「なーにー、どうしたの、おじさん?」
「バーニィって呼んでくれ。しかしお前さん、芝が苦手なのに、なんで芝のレースに出されてんだ……?」
今回挑むのは一流馬たちが集まる重賞だ。これに乗って中央と地方の強豪が集まる大レースに勝つのは、なかなかもって難しいことだった。
タカミサカリは一瞬で見抜かれたことに驚いていたが、やがて疲れた様子でしょげだした。
「だって、調教師さんがね、ボクがダート馬だって、ぜんぜん気づいてくれないんだ……。ダートなら、もっと早く走れるのに……」
「まあそんなところだと思ってたけどよ……。競走馬って、大変だな……」
どんな馬をあてがわれようと勝つつもりでいたが、馬場適正も距離適正も不一致となるとこれは難しい。ならばここは入着、賞金の出る5着以内を目指すべきだろうか……。
いや、そういう逃げ腰はよくねぇ。俺は己の両頬をぶっ叩いて気合いを入れ直した。
それだけで驚くところからして、このタカミサカリは根性こそあるが、かなり大人しい性格のようだ。
「しょうがねぇ、無理はさせるなと言われてるが……ちょっとだけ俺とお前で特訓といくか!」
「え……?」
覚悟が決まったところで、そこに学校帰りの赤毛のチューガクセーがやってきた。
ホッカイドーでは誰も彼もが黒髪で、赤毛はかなり珍しい部類だ。
「うわ、また馬と大声で喋ってる……。あ、それって姉ちゃんが言ってたタカミサワリ!?」
「タカミサカリだ。頼むからタマキさんの前では間違えんなよ?」
「あははっ、お尻触りだったらバーニィとお似合いだったのにね!」
「触ってねーよ、ガキの尻を叩いただけだ」
「ふーん……あたしのお尻触ったの、姉ちゃんが知ったらどんな顔するだろね」
「そ、それは……それは止めてくれ……」
「わかればよろしい! あーあ、バーニィって顔は渋いのに、性格は残念だよね」
ガキのケツを叩いただけでああだこうだと、この世界は凄ぇ物がいっぱいだが息苦しくてよくねぇ。
これでも俺は我慢してるんだぞ。未亡人の尻は、なんつーか、さすがにまずいからな……。
「残念な性格は自覚してんよ。ああそれよか、悪いがコイツに馬具を付けるの手伝ってくれねーか?」
「え、いいけど……まさか、その子に乗るの……?」
「おう、レース前に鍛え直してやらねーといけねぇ」
「ん……わかったっ、いいよっ! バーニィのおかげで、姉ちゃん明るくなったしっ、ご飯もお肉が増えて美味しくなったしっ、特別に手伝ってあげるっ!」
「悪ぃな」
「重賞勝ったらさっ、焼き肉とか奢ってね! 回るお寿司でもいいよっ!」
地方交流重賞モンベツ記念は今週末だ。
4日しかないが、俺は少しでも不利を覆せるように、のんびり屋のタカミサカリをタルトやシノさんと一緒に鍛え直した。
・
――――――――
【馬名】タカミサカリ
【基礎】
スピードC
スタミナB+ → A
パワー A+ → S
根性 A
瞬発力 B
【特性】
ダート巧者
芝適正 ×
【距離適正】
2000~2800m
→ 2000~3000m
――――――――
4日間ではこの辺りが限界だ。
まだまだ育て足りないが、後は本番のレース運びに賭けるしかないだろう。
・
ヒダカ競馬場はでかかった。
今回のレースは昼ではなく、夜に照明の下で行うナイトレースだとは聞かされていたが、実物をこの目で見るなり度肝を抜かれた。
この世界は技術も経済力も何もかもが凄まじい。ここには炎なしで強力な光を灯す装置があり、それが輝かしくも競馬場と人々をまぶしく照らし上げていた。
おまけに地ビールまで飲めると聞いて、俺のテンションはうなぎ登りだったが! ジョッキーがレース前に酒を飲んでいいはずがなかった……。
「バーニィくん、今回の作戦は先行で頼む」
「あーー、そのことなんだがタマキさん、ここは大逃げでいかねーか?」
「なんと、大逃げかね……?」
「コイツはもっと長い距離の方が向いている。2000~3000くらいがいい。芝よりもダートの方がきっと輝くと思うんだ」
出走準備前、タマキさんとレース方針について打ち合わせをした。
俺が大逃げを提案すると、老人は目を丸くして驚いていた。
「ふむ……」
「頼むよ、タマキさん。俺もタカミサカリも勝ちたいんだ」
「だからって普通、大逃げを選ぶかね……?」
「アイツには1800mにそぐわない豊かなスタミナがある。それを生かすならここは逃げだ。絶対いけると保証するよ」
スピード勝負ではなく、スタミナ勝負に持ち込むには逃げしかない。
俺とタカミサカリがレースを引っ張って、根比べに持ち込んでやるんだ。
「まあ、入着も難しいところですからな……。わかりました、愛馬が先頭を突っ走る姿は、いくら見ても飽きないものです。大逃げでお願いします」
「タマキさん、アンタ話が分かるから大好きだ。シノさんが信頼するはずだよ」
「ホッホッホッ、ニッポン人は外国人と押しに弱いのだよ」
「外国人……? まあ間違っちゃいないが、正しくは俺ぁ異世界人なんだけどな」
女神エスリンが言うには、こっちの1年があっちの1日になるそうだから、ラトとツィーはまだ天幕の中で眠っている頃だろう。
ときおり元の世界が恋しくなってくるが、あっちの世界には強い炭酸の利いた冷たいビールなんてどこにもない。
「ほう、イセカイ国とは、どのあたりかね?」
「あー……あっちの方だ」
「はっはっはっ、バーニィくんは不思議な人だねぇ……。では、レースを期待しているよ。他の馬主にはテレビ馬呼ばわりされるかもしれないが、私は君を信じているからね」
テレビ馬というのはこちらの世界特有の文化だ。先頭を走る馬がテレビでは注目されるため、脚質を無視して逃げを命じられる可哀想な馬がいるそうだ。
「任せてくれ。次はアイツをダートに出してやってくれよ」
「ふむ、ダートの長距離はレースそのものが少ないのだがね、まあ考えておこう」
そういうことで、今日は大逃げと正式に決まった。
誰もタカミサカリには注目していないが、競馬場のどこかにいる穴党と、テレビの向こうで見ているタルトとシノさんのために、ここはいっちょ湧かしてやろう。
・
さて、レースまで剣でも振って落ち着くか。そう思い描いても、もちろん腰に剣なんてない。
そんな物を吊して町を歩いたら、ジュートホー法違反で捕まるとシノさんに没収されたっきり、かれこれ3ヶ月以上が経ってしまっている。
あれは騎士になった際に、義父リトーが無理をして買ってくれた大切な1本だ。
なのにいくら言ってもシノさんは剣を返してくれない。
シノさんのことは信頼しているが最悪、質に入れられたりしてなきゃいいんだが……。
「おい、デブ」
しかし騎手というのは大変だな。夢と生活のために身体を絞るだなんて、なんて過酷な世界だろう。
そこに俺1人だけデカいのが混じっていると、当然ながら悪目立ちするようだ。人々の奇異の目が集まっていた。
「……お前だ、お前っ、そこのオヤジ、お前のことだってっ! おいっ、無視すんなっ!」
「あ? もしかしてそれ、俺のことか?」
競技用のヘルメットをかぶり、あれやこれやと準備をしていると、20過ぎの若造に絡まれた。
……若造といえば、エビフリャーに逃げられたエルスタンは、今ごろは眠れぬ夜を過ごしているのだろうか。
「お前、騎手学校にも行ってないくせにレースに出場するらしいな? 減量もしてないオヤジのくせに、玉城さんに取り入りやがって……」
「おう、それがどうかしたか? 全部事実だぜ」
「気に入らねーな……」
「そっちの都合なんて俺が知るかよ。……そういうのはもう飽き飽きだからよ、よそでやってくれ」
「コネで出場したくせに偉そうな言い方するなっ! 競馬はおっさんの遊びじゃねーんだっ、観客席に戻って酒でもあおってろよっ!」
「美味ぇよなぁ、ハイパードゥライ……。でもな、最近は発泡酒が多くてよぉ……」
しかし! このレースに勝ったら稼ぎで酒が飲める!
貧しい牧場の世話になっている手前、女遊びはとてもじゃねぇができねぇが、毎日がハイパードゥライでジンギスカンだ! 俄然やる気が出てくるってもんだ!
「本当に観客席の酔っぱらいが迷い込んできたかのような男だな……。ふんっ、お前みたいな重いオヤジを乗せてたら、ビリッケツ確定だな」
「それはねぇだろ。タカミサカリはいい馬だぜ。俺はアイツに重賞馬の勲章をくれてやりてぇ」
「夢見てんじゃねーぞ! その馬もお前と同じ才能枯れかけのジジィじゃねーか!」
「じゃあ俺が勝ったら、地ビール奢ってくれよ。出走前には飲んじゃいけませんからねー♪ ってシノさんに釘刺されててよ、ここのビールが飲みたくてたまんねぇんだよ、俺……」
「いいぞ、そっちが負けたら玉城さんと縁を切れよ!」
「おいおい、んな不公平な賭けできるかよ。こっちもなけなしの小づかいから奢ってやるよ」
そろそろ本場入場だ。
俺は尻の青い若造と別れて、元の世界じゃなかなか見られない穏やかな馬、タカミサカリと合流した。
「パドックおつかれさん、さあがんばろうぜ」
「バーニィ! 会いたかったよーっ!」
「おおよしよし、競走馬ってマジで大変だな。終わったら一緒に地ビール飲もうぜ」
「ボクにビールを飲ませる気なのっ!? ダメだよ、怒られることしちゃダメだよ、バーニィ……」
俺たちの信頼度は既にマックスだ。
小柄な騎手たちに混じって、おっさんもタカミサカリの背に跨がった。
勝てば奢りで地ビールだ。絶対に勝つ。
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