・異世界転移したおっさん騎士、ホッカイドー・ヒダカタウンの大地に立つ

 前略、神。お前さんはいかがお過ごしやがりだろうか?

 俺か? 俺はテメェのせいで今――


「ブエクショォォーイッッ!! ざっけんな、あのおっぱい女神っっ!! なんだこの酷寒の地はヨォォォッッ!?」


 目覚めるとそこは豪雪地帯だった……。

 歩行すらままならない雪の大地が、この世の終わりかと絶望するほどの酷寒が、騎士の鎧とマント、グリーブをまとったおっさんをジワジワと死へと追いやろうとしていた……。


「騙された! 騙したな、あのクソ女神!! せめてあっちは寒いですよ、あったかい格好で行きましょうね。とか言ってくれりゃいいのに、殺す気かーっ!!」


 俺は雪の中を歩いた。熱量を求めて叫んだ。

 だが吹雪が視界を奪い、どこに人里があるのかすらまるでわからない。


 俺は新世界ホッカイドーへと異世界転移イセカイテンイするなり、生命の危機に直面していた。

 こんな酷寒の世界で、金属鎧をまとって歩くなんて正気のさたではない。


 だがこの鎧は義父より継いだ何よりも大切な家宝だ。

 脱ぎ捨てるなど絶対に出来はしない。


「あ、ヤバ……これ、マジで……し、しぬ……」


 バーニィ・リトー。異世界ホッカイドーにて死す。完。



 ・



「姉ちゃんっ、大変大変! なんかヤバいヤバいヤバいっ、ゲームキャラみたいなおっさんが凍ってるっ!」

「あらやだ、タルトちゃんったら。ゲームばっかりしてるからー、そういう夢を見るのよー?」


 声が聞こえた……。

 元気でやかましい女の子の声と、聞いていると眠くなってそのままご臨終してしまいそうな、ゆったりとした声が聞こえた……。


「夢じゃないよっ、ほらこれっ、これ見てよーっ!?」

「やーね。うちの牧場で知らないおじさんが凍死してたら、そんなのご町内を巻き込んだ大事件――まぁっ、大変っっ?!!」


 危うく凍ったおっさん像になりかけたところを、俺はタルトという赤毛の娘と、その歳の離れた姉のシノさんに救われた。

 俺が飛ばされたそこは、ホッカイドー州ヒダカタウンの地に在する馬牧場の一つ、エナガファームだった。



 ・



「うへぇぇ、さぶさぶ……今日も死ぬほど堪えるなぁ……。こんだけ寒ぃと、あん時のこと思い出すな、シノさんよ」


 12月11日。こちらの世界にやってきて、かれこれ半月が経った。

 今日も馬たちのために雪の積もる牧場を駆けずり回り、一通りの雑務を終えるとこの暖かな自宅へとようやく戻ってこれた。


「ふふふー、あのときは私も驚いちゃいました♪ 本当にゲームみたいにー、剣を持ったおじさんが氷付けになってたんですからー♪」

「いや、シノさんはマジで命の恩人だわ。おまけにこんな美人に拾われるなんて、俺ぁついてるわ」


「あらやだ、バニーさんったらお上手なんですから♪」


 もしシノさんが俺の世界にきたら、さぞモテるだろうと思う。

 その穏やかで整った容姿もさることながら、女児みたいに艶のある黒髪は奇跡的だ。


 その髪を俺が褒めると、毎日リンスしてますからとシノさんは言う。

 リンス。それは素晴らしい発明だった。


 これがあるおかげでこちらの世界の女の子は、みんな髪が綺麗だ。ピッカピカだ。

 俺は町でかわいい女の子を見かけるたびに、ホッカイドーに転移させてくれた女神様に感謝せずにはいられなかった。


「いやいや、どうしてシノさんみたいな美人が未亡人やってんのか、俺にはわかんねぇよ。その気になれば、王の側室にだって入れるぜ」

「ありがとうございます♪ だけどー、ホッカイドーに王様はいませんよー?」


「そういやそうだったな……」


 この世界には驚きの連続だったが、貴族がいないと聞かされたときは特にぶったまげた。いるのは形式上の皇帝だけで、そいつも権力を持っていないらしい……。


「バニーさんったら、トラクターのことを虎だと思っていましたもんねー♪」

「その話はもうよしてくれよ、シノさん……」


 少し前に虎狩りに行きたいとシノさんとタルトに生息地を聞いてみれば、ジャパンに虎はいないと言い捨てられた。


「どうぞ、ほうじ茶です」

「ありがとよ、シノさん。このほうじ茶ってのはうめぇよな。元の世界に帰ったら、仲間にも飲ませてやりてぇよ」


「バニーさんったらまたそんなこと言って。よっぽど強く頭を打ったんですねー……」

「信じてくれよ、シノさん。俺は本当に異世界から転移してきたんだって」


「はいはい♪」

「信じてねぇだろ、その態度……」


 ほうじ茶をすすってほっこりすると、もう動きたくなってくる。

 だがそうもいかねぇ。俺の目的は日本ダービー制覇だ。


 しかしこちらの世界は、俺たちの世界よりもずっと社会が複雑だった。


 馬は俺たちの世界でも目玉が飛び出るほどの値段の付く乗り物だったが、こっちの世界では加えて鼻水垂れ流しながら土下座したくなるほどの、超超超金持ち専用の贅沢品だった。


 このエナガファームでも育てられている、一番安いサラブレッド種の子馬だけで、15000回分の晩飯が食えると聞いたときは思考回路が吹っ飛んだ……。


 良血と呼ばれる成績の良い牡馬と牝馬を掛け合わせた子馬は、1頭で1億エンを軽く超えると聞いたときは、俺はこの世界の経済規模に戦慄した……。


「本当に異世界があったら夢がありますねー♪ 私、転生したらー、お菓子専門の錬金術師になりたいですー♪」

「んな都合のいい世界、あるわけねーだろ……」


「バニーさんの世界、錬金術師さんいませんかー?」

「いやいるけどよ、シノさんが想像しているような職業じゃねーぞ……」


 どっちかというとペテン師に近い。そう言い掛けて止めた。シノさんが喜ぶような話ではない。


「大丈夫です。異世界転生したら、チート能力を貰えるんですよー。タルトちゃんが呼んでた御本に載ってましたからー♪」

「いや、んな都合のいい話あるわけねーって……」


 シノさんのほんわかしたペースに飲まれていると、気づけばほうじ茶が冷めきっていた。

 まあともかくだ。この世界は何から何までとんでもない。


 そんなとんでもない世界のダービー出場馬にまたがりたいと願ったところで、どこの馬の骨かもわからない怪しいオヤジには叶わぬ願いだ。

 乳だけでけぇ女神さんよ、これ端からとんでもねぇ計画倒れだぞ……。


 まあそういうわけで、俺はここの従業員からスタートすることになった。

 ちょうど給料が払えなくて、従業員に逃げられたところだったらしい。『倒産寸前ですけどー、それでも構いませんかー?』と言われた。


 どこの世界に行っても、生きるのって大変なんだな……。


「姉ちゃんっ、バーニィ兄ぃっ、ただいま! 今日のご飯なーにっ!?」

「お帰り、タルトちゃん。今日はアスパラのシチューと、白いご飯よー♪」


「わーい、今日も同じだー! あたし着替えてくる!」


 タルトはチュウガクセーというやつらしい。シックな制服姿で慌ただしく廊下を駆けて、2階の部屋へと階段を飛び上がって行った。


 14歳にしてはガサツでガキっぽいが、こっちの14歳はこんなものらしい。もしもこのエナガファームが潰れたら、あの無邪気なタルトもこれまで通りではいられなくなるだろう。


「がんばろうな、シノさん」

「はい。バーニィさんが住み込みで働いてくれるおかげで、今はどうにかなっています。ありがとうございます……。ご飯代だけで満足してくれるなんて、バーニィさんは聖人かお馬さんです……」


「たまたま利害が一致してるだけだから気にすんな。こっちこそ、苦しいのにこんな素性の怪しいオヤジを受け入れてくれてありがとな」


 まずはここから始めよう。騎士だった頃は半端に持ち腐れていたこのスキルで、この牧場のかわいい子馬たちを、良血のエリートどもに負けない有望株に育て上げよう。


 そうすればそれが馬主の目に止まって、馬の背にまたがるチャンスがやってくる。

 去年まで体重制限や、特別な学校を出ていなければジョッキーにはなれなかったそうだが、なぜか今年からそれが変わったらしい。


 絶対に裏がある。女神エスリンの介入を疑うに十分だった。

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