・女神エスリンの水鏡 自由を求めた軍馬たち

『大変だーっ、馬たちが脱走したぞーっ!!』


 何を見せてくれるのかと好奇心を膨らませていると、映像の中で早速事件が起きていた。


「騎士団の馬は気が荒いそうじゃな?」

「まあな。俺たちがまたがってるのは軍馬だからな、臆病じゃ使い物にならねぇ。だから気が荒くなるように、気の荒い馬同士の近親交配もそう珍しくなかった」


 馬たちが厩舎を飛び出してゆく。ソイツらは調教用のトラックコースまでやってくると、一斉に後ろ足で柵を蹴り破った。


 するとそれに呼応するように、調教中の軍馬たちが突如として暴れ馬に変わった。そのあまりに凄まじい抵抗に、騎士たちが次々と背から振り落とされてゆく。


 こうして馬たちはまんまと仲間を救い出して、共に柵の外へと逃げ出していった。


「ふむ。その割にずいぶんと賢いようじゃな」

「暇を見つけては俺が育ててやったからな。はははっ、こりゃ、すげぇな、大反乱じゃねぇか」


 馬たちの反乱は止まらない。さらに次々と厩舎やコースを襲い、またたく間に仲間へと自由の身を与えると、まるで野生の裸馬のように群れをなして騎士団領を飛び出していく。


 見事、脱走成功だ。人が騎乗した馬が裸馬に追い付けるはずもなく、1度こうして逃げられてしまっては捕獲など到底不可能だった。


「あの馬たちはなんと言っているのじゃ、バーニィ」

「バーニィを捜しに行こう。あいつらはそう言っているな……」


「おお、やはりそうか。フッ、面白き光景じゃのぅ……」


 馬たちが俺の追放にヘソを曲げるだろうとは予想していた。

 それがまさか、大脱走に繋がるとは思ってもいない。


 人間が馬たちの力に敵うわけもなく、馬を止めようと進路を塞いだ者たちはあえなく吹き飛ばされ、厩舎の壁は後ろ足で蹴り破られて、穴だらけにされてしまっていた。


 騎士たちは慌てて馬を駆って追いかけようとしたが、最後は振り落とされて自分の愛馬まで失う始末だ。

 騎士団がまんまと馬たちに逃げられてしまった一部始終を、俺は映像の中で見届けた。


「思ってたよりひでぇな、こりゃ……」

「そなたを追放したあの愚か者どもは、今はちっちゃなラバにまたがっておるぞ。あまりにみすぼらしい光景で、ついつい笑いがこぼれてしまったほどじゃ、ククク……」


「女神様は意地が悪ぃなぁ……。お……」


 映像が切り替わると、水鏡に怒り狂うエルスタン騎士団長の姿が映った。

 ちょっと前まで俺にマウントを取っていた男が、怒りに顔を赤くしたり、大損失に青ざめたりと忙しくしていた。


 室内の一角には厩舎の人間が集められている。

 その代表である調教師のおっさんに、エルスタンは鞭を取って何度も振り回した。


『あの馬たちはっ、お前より銭がかかっているのだぞっ!! それを逃がしたなど、ふざけるな貴様らっ、貴様らは全員首だっっ!!』


 服が裂け、皮膚が裂けて血が飛び散ろうともエルスタンは残虐なその行為を止めない。

 そうなると案の定、そこにいた良識派の騎士ロッコが見るに見かねて、エルスタンに飛び付くことになった。


『お止め下さい、エルスタン様!』

『離せロッコッ、不敬であるぞ!!』


『ですが彼らは悪くありません! そもそも、バーニィ先輩を追い出したからこうなったのではないですか!』

『貴様ッッ、これが、俺のせいだと言うのかっ!?』


『気性の荒い軍馬たちをなだめていたのは、バーニィ先輩です。それを貴方は――』

『黙れ!! 貴様のように下民に尻尾を振るバカがいるから、騎士団の統率が乱れるのだ!!』


 まるで地獄のような光景だった。

 その返り血を浴びた姿からは、とても騎士団長の器には見えなかった。


「騎士団では馬を持たない準騎士たちに、馬を貸し与えているらしいな」

「ああそうだ。だから俺たちは逆らえねぇ。騎士団のお偉方に嫌われたら、馬なしで戦場を駆けるはめになる。死ねって命じられたようなもんだ」


「そうそう、そうだった、ここから先が面白い。よく見ておけ、バーニィ」

「いや。既にムチャクチャ胸くそ悪ぃぞ……?」


 そう言われたので水鏡を眺めてしばらく様子を見る。

 するとそこに、エルスタンの取り巻きの一人が飛び込んできた。


『た、たたたっ、大変ですエルスタン様ッッ!! エルスタン様のエビフリャー号も、ご領地からっ、姿を消したと伝令が……!!』

『なっ、何ぃぃぃっっ?!!』


 そのエビフリャー号は、俺がロッコのために育てた馬だ。

 言わば友情の証であるエビフリャーを横取りされたロッコは、その報についついほくそ笑んでいた。


『エビフリャーはバーニィ先輩が育てた馬です。他の馬たちと同様、バーニィ先輩を追いかけていったのでは?』


 エルスタンの耳にロッコの言葉が届いていたかどうかはわからない。

 あの高慢ちきな騎士団長様は、愛馬の喪失に膝を突き、頭を抱えて絶望した。


『わ、私の、愛馬……エビフリャー号が……。下民に、寝取られ、た……』


 それを言うなら最初に俺たちの馬を寝取ったのはお前だろう。

 エルスタンは最高級の軍馬の喪失に、茫然自失となったまま動かなくなっていた。



 ・



 水鏡が再び乱れて、そこに女神様とおっさんの顔が映った。

 どうやら終わりのようだ。顔を上げると、どこか得意げな女神ちゃんの姿がある。


「そういうわけじゃ。そなたの古巣は貸し馬の大半と、大切な名馬エビフリャー号を失ったそうじゃ♪」

「しかしお前さん、本当に神さんだったんだな……」


「どーじゃどーじゃ、わらわは凄かろう?」

「おう、これなら風呂とかのぞき放題だな」


「うむ、発想がチンケな上に最低じゃな、そなた……」


 汚い物を見るかのように、女神ちゃんが自分の胸元を隠して前屈みになった。

 しかしそれもほんの少しの間のことで、女神ちゃんはまた頬杖を突いて挑戦的な眼差しをこちらに向ける。


 おっさんはその無防備な谷間が気になってたまらなかったが、話がまたこじれるんで仕方なく見つめ返した。


「ではそろそろ本題に入るぞ。バーニィ・リトーよ、そちはこれから異世界に転移して、ジャパンダービーに勝利してくるのじゃ」


 女神ちゃんはバッチリ決めたつもりのようだったが、生憎と俺には彼女の使う単語の半分も理解出来なかった。

 いせかい? てんい? だーびー……? ダービーって、馬のレースのアレか?


「実はこちらの世界に転移させたい勇者候補がいるのじゃ。しかしそいつはギャンブル依存症が酷くてな、今のうちに手痛い目に遭わせたおきたくての……」

「すまん。俺にはお前の言っている言葉の意味が、半分もわからん……。てんい、ってなんだ?」


「なんと、察しが悪いやつじゃのぅ……」

「単語の意味がわかんねーって言ってんだよ。いせかいがてんいでダービーとか言われても、わかるわけねーだろ……」


 こっちに非はないはずなのに、女神ちゃんはバカを見るようなジト目で俺をしばし観察した。

 コイツと俺では住む世界が違う。そこはまあわかった。


「要するにじゃな……そなたはここではない別の世界に行く」

「なんでだ?」


「そなたが騎手としてジャパンダービー1位を獲得すれば、勇者候補は賭博で大失敗する。これにより人格矯正が出来るからじゃ」

「なるほど。んなしちめんどくせぇことしねぇで、ソイツに説教でもしてやればいいだろ」


「フフ、面白い冗談じゃ。説教一つで人間が変わるなら、そなたは首になどされてなかろう?」

「それは――それもそうだな。……だがその依頼は断らせてもらう。一昨日までならまだしも、今の俺には新しい仲間を導く義務がある。『てんい』ってのはできねぇ」


「フ……安心するがよいぞ。あちらとこちらでは時間軸が異なっていての、向こうの1年がこっちの1日になるよう調整しておいてやる」


「すまん、質問だ。じかんじく、ってなんだ……?」

「……うむ。もしやそなた、わらわの話を全くわかっておらんな?」


「おう、意味わからんぞ……」

「だったら言葉だけ覚えておけ。向こうに行けば、おいおいわかることじゃ」


「だから行くとは言ってねーだろ……」

「もちろんタダとは言っておらんぞ。あちらでの働きに応じて、あちらの物品をこちらの世界に持ち帰ることを許そう。あの世界は高度に発展しておるからな、マグダ族の助けになる物ばかりじゃろうて」


 そこまで聞いて、話はよくわからんが俺は態度を変えた。

 別世界の珍しい物品を持ち帰って、それを好事家に売るだけでも金になる。その金はマグダ族の再起の資金源になるだろう。


「……その話、嘘じゃねぇだろな?」

「ああ、本来ならばチートアイテムとして回収するべき品じゃが、特別に目こぼししよう。あちらには自動で畑を耕す道具もあるのじゃぞ?」


「ははは、んな便利なもんあるわけねーだろ。冗談はよせよ」

「フ、いい歳したオヤジのくせにそなたは無知じゃのぅ……」


 族長代理になったはいいが、どうやって定住を強いられた遊牧民たちを豊かにするか。そこは難題だった。

 彼らは放牧と織物にまつわる知識しかなく、草原の大半を外の勢力に切り取られてしまっている。普通に考えれば詰みだ。


「本当に、お前さんの言う世界には、自動で畑を耕す牛がいるのか……?」

「牛ではない、トラクターじゃ、覚えておけ。……では、これは契約成立と見ていいのじゃな?」


 そうか、牛ではなく虎だったか。

 もう一つの世界に行ったら、必ず捕まえておくとしよう。


「そっちこそ、本当に俺でいいのかよ?」

「うむ、そなたが最適解じゃ。そのチートも同然の『馬育成スキル』とたぐいまれな馬術に、馬と意志疎通が可能な才能が、ダービーの番狂わせに必要なのじゃ。いいか、出来るだけ人気のない馬に乗るのじゃぞっ、誰も賭けないような大穴が理想じゃ!」


「へいへい、まあ覚えておくわ」

「なぜ、人の胸を見ながらこのオヤジはうなずくのじゃ……」


「すまん、男ってそういうもんなんだ」

「世の男がみんなそなたみたいになったら、もはやそれはこの世の終わりじゃろ……」


 女神ちゃんは俺の才能を買ってくれているようだが、人格の方がお気に召さないのか、蔑み混じりの疲れた表情をしていた。


「はぁ、そなたと話していると疲れるの……。ではバーニィよ、これよりそなたをホッカイドーに転移させる。準備はいいか?」

「やってくれ」


「ジャパンダービーは約半年後じゃ。期待しておるぞ」


 女神エスリンちゃんが話を打ち切ると、世界が融けた。

 まるで最初からそんな場所存在していなかったかのように、女神ちゃんごと空間そのものがなくなって、俺はここではないどこかへと飛ばされていた。

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