・神はいた。神は巨乳ちゃんだった

 とまあ、そこまではよかった。

 少年時代を過ごした草原へと帰り、そこで人に頼られて生きられるのはきっと幸せなことだ。


 突然降ってきた自由に困惑しながら、何をしてもしっくりこない日々を過ごすよりもずっといい。

 騎士団にいたあの頃よりも、今度こそ己のあるべき生き方が出来るような予感がしていた。


 ただ運命の女神様は、いつだって意地悪で気まぐれでひねくれ者だ。

 いや運命の女神っていうより、女神のクソ女が俺の枕元に立って、運命を司る歯車の回転をあらぬ方向にねじ曲げやがった、とでも言うべきか。


 神はいた。神はクソ女――もとい、とんでもない自己中女だった。



 ・



「起きろ、バーニィ・リトー。せっかくわらわが神々の園に案内してやったというのに、このまま寝て過ごすつもりか?」


 こういう気位の高いしゃべり方をするやつは、いつだって俺に厄介事を運んでくる。

 やれあの騎士様の気を引きたいから手伝えだの、やれ闘技大会で私のために戦ってだの、俺を利用しようとするやつばかりだ。


 そのくせこっちが尻を触ったらキレ散らかすんだから、高飛車女には関わらんに限る。

 俺は呼びかけを無視して、眠気の方に従った。


「なんとふてぶてしいやつじゃ……。わらわを前に二度寝するでないっ、起きよっ!」

「うるせぇな……。ん、誰だ、お前さん? ん、んん……てかここ、どこだ……?」


 ギャーギャーやかましいので声の方角に目を向けると、20代前半ほどの若い女がいた。

 しかしそんなことよりも、この場所が問題だ。


 俺は2人用の小さな天幕を立ててもらい、昨晩はそこで寝たはずなんだが……。

 なんでか花々が咲き誇る草原を寝床にして眠っていた。


 いや、おかしいのはそれだけにとどまらない。

 妙に明るいので空を見上げてみればそこに太陽がなく、熱を感じさせないまぶしい光がこの妙な世界を照らしている。


「神々の園はさぞ珍しかろう。だがそんな光景より、わらわの方に興味を持てっ!」

「っかしいな、酒は飲んでなかったはずなんだが……」


 そいつは白い巻き毛が特徴的な美しい女だった。

 薄手の黒っぽいドレスをまとっていて、その胸元からこぼれ出しそうなほどに谷間を露出させている。


 その美人さんの指先が動き、座れと小さなテーブルに指を指した。


「わらわは女神エスリン。広義で言うところの神だ」

「俺はバーニィ・リトー、準騎士だ。……まだ一応な」


 女神様は頬杖を突いて、いかにも気の強い眼差しでこちらを値踏みしている。

 美人は好きだが、この手の高飛車なタイプは苦手だ……。


 とはいえ地べたにしゃがんでいてもしょうがないんで、俺はその要望に従って向かいの椅子に腰掛けた。

 そっちが値踏みをするならば、こっちだって魂胆を探ってやろうと視線に視線で返した――つもりだったんだけどな。


「おい、バーニィ・リトー……そなた、どこを見ておる……」

「おっと悪い。ついな」


 神はいた。神はそこらじゃお目にかかれないほどの巨乳ちゃんだった。

 薄いドレスの隙間から弾けそうなほどに溢れるそれは、見るなと言われても視界に入る以上は目をそらすなんて不可能だ。


「そう思うなら少しはわらわの胸から視線をそらせっ!」

「わかった」


 しかしおかしいな。顔が上手く上がってくれない。


「おい、そなた全然わかっておらんじゃろっ!? いつまで女性の誇らしい部分をガン見しておるつもりじゃ!?」

「すまん、首が動かん」


「んなわけあるかーっ! ええい、なんて男じゃっ、騎士団を首になったのも納得じゃぞっ!」

「え……? お嬢ちゃん、なんでそのことを知ってるんだ?」


「人の話をちゃんと聞けと教わらなかったのかそなたはっ!? わらわは女神エスリンであると、さっき自己紹介したであろう!」

「へー、神様な。だったら地上の戦を今すぐ終わらせてみやがれ」


「ふんっ、甘えるな。そなたらが勝手に始めた戦じゃろう、なぜわらわが仲裁せねばならん。戦乱くらい、自分たちで鎮めろ。わらわは人間の召使いではない」

「まあ、言われてみりゃそうだが……。神様なぁ……」


 ようやく女神エスリンの内面に興味を覚えて、俺は一カ所に釘付けだった視線を上げた。

 俺がついにその美貌に見とれると、彼女は得意げに口元を微笑ませた。


 俺に厄介事を運んでくる女は、こちらがだらしない顔を浮かべると本題を切り出してくる。

 そう世界が始まる以前から決まっていた。


「さてバーニィ・リトー。そなたにはこれから、世界の命運を左右するとある使命を果たしてもらうぞ」

「待てよ。なんで俺が話を受けること前提で言う」


「そなたがこちらの世界の人類全ての中で、最も今回の任務に適任だからじゃ」

「ははは、なんかそれ、詐欺の誘い文句みたいな言い方だな」


「……はぁっ、なんて無礼な男じゃ……。この女神エスリンからの頼み事を、詐欺の誘い文句じゃと? 無礼にもほどがあるのじゃ……」

「だったら大仰な言い方しないで普通に頼めよ。どうかお願いしますってな」


 女神エスリンは鼻息を荒げて俺を睨んだ。

 しかしあまり威圧感がない。彼女が心の底から怒っているようには見えなかった。


 美人が怒ると恐ろしいと世の中相場が決まっているものだが、この女神様には妙な愛嬌が感じられた。


「それでは人と神のやり取りらしくないじゃろ……」

「いや、なぜ急にしょげる……」


「むぅ……わかった、ならばこうしよう。そなたへの親愛の証に、そなたが抜けた後の騎士団の話をしてやるぞ」

「それ、本当か?」


「知りたかろう?」

「神様ってのは、なんでもお見通しなんだな……。ああ、その話は興味がある、ぜひ聞かせてくれ」


「うむっ♪ わらわを尊敬する気になったか?」

「そこは内容次第だな」


「ならばこれを見よ」


 わたあめみたいにふわふわした髪をなびかせて、女神は真っ白なテーブルを奇跡の力で水鏡に変えた。


「……あの愚かな男が率いる騎士団だが、どうやら馬に逃げられたようじゃ」

「へぇ……そりゃ面白そうだな」


「この水鏡に映る映像は、今より2日前のことじゃ。やつらの醜態を、とくと見るがよいぞ」


 迷信深い連中は、鏡は別世界への入り口だとことさらに言い張る。

 だがそいつらの気持ちが今、少しだけわかった。


 おっさんと女神様を映し出していた水鏡は、女神の指先に波紋を作り出されると、乱れながらも騎士団領の姿を映し出していった。


「エスリンちゃん、もしかしてお前さん……マジで神様だったのか……?」

「だからそう言っておるじゃろ……」


 鷹のように高い視点から見下ろしていた映像は、少しずつ地上へと降下してゆき、やがて俺が追放を受ける舞台となったあの庁舎、あの回廊と東屋をクローズアップしていった。

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