第38話 理系は文系に救われる

「えっ、あっ、そのっ……。さっきのは忘れて頂けると……」


 恥ずかしそうに俯く睦美。


「……最初はびっくりしたけど、いざ元に戻ると少し寂しいわね。もう一回できるかしら」


 そう言うと、弥生は睦美の首筋に息を吹きかけた。


 「ひゃうっ」と声がしたかと思うと、やはり寒さで頬が紅潮して──


「さぁ! どんどん進んでいきますよぉ~! レッツラゴー!」


 椿と並んで先頭を歩いて行く。……なんだこれ。


「おっ! 小さな脇道を発見しましたよ! 隊長!」


 睦美は弥生に敬礼しながら報告する。


 それに苦笑しながらも、弥生は満更でもなさそうだった。隊長って響きが気に入ったのかもしれない。


「ここの小道、少し先になにかあるみたいね。なにかしら……」


《ウィン》



『ポイントを消費して【攻略情報】を購入しますか? 〔小道について〕』



「攻略情報が出たということは、それなりに意味のある道なのかな?」


 椿が鋭い推理を言う。


「一応この道は確認しておいた方が良さそうね」


 さらに続けて、


「ボス戦前にやっておかないと詰む、みたいな展開はよくあるから、これもそのパターンかもしれないわ」


 そんなこともあるのか。やっぱりゲームの知識がある弥生がいてよかった。


 俺だけだったら、もっと序盤で詰んでいたかもしれない。


「それじゃあ、まずは様子を見てみようか」


 椿が小道に一歩踏み入れる。


「待って! まだ入っちゃ──」


 弥生が言い切らないうちに、異変は起こる。


《ウゥオォォォォォォ!》


 小道の奥から、ヘルハウンドの群れが姿を現した。


「数が多いわ! 一度退避よ!」


 その指示で、海斗、弥生、睦美の三人は後方へ退く。


 しかし。


「な、なんだこれは!」


 椿が宙を拳で叩いている。まるで見えない壁に閉じ込められているようだ。


「やっぱり罠だったのね……!」


 弥生が唇を噛んだ。


「睦美さん、回避用の原稿を!」


「駄目です! あれは敵と距離をとるもので、閉じ込められた時には使えません!」


 マズい。銃を持っているとは言えども、多勢に無勢。これじゃあ分が悪過ぎる……!


「どうなっているんだ! なにもないところに壁ができていて、逃げられない!」


 椿の切迫した声が響く。非科学的な事象に出くわしてしまったからだろうか、いつものような余裕は見られない。


《ウゥオォォォォォォ!》


 ヘルハウンドたちは一斉に口を開け、その中に焔を顕現させる。


「くっ──!」


 椿は短く声を洩らし、銃を乱射した。


 その弾丸はヘルハウンドを打ち抜いていく……が。


 妙な金属音と共に、椿の銃が地に落ちる。


 ──跳弾だ。


 狭い小道で多数の弾を撃ちだしたため、そのうちの一つが跳ね返って銃を撃ち落としてしまったのだ。体に当たらなかったのは不幸中の幸いだが、椿は唯一の武器を失ってしまう。


 そして無情にも、それを好機ととらえたヘルハウンドたちが一斉に飛びかかる。


「危ない!」


 海斗は勝手に駆け出していた。竿を構えて伸ばすも、しかしそれは群れの内の一匹にしか届かない。


 海斗の竿は強力だが、それは単体攻撃に特化したものだ。今のように集団で襲われると、守る術がない。


 駄目だ──と思った、その時。


 睦美さんが視界に入った。睦美さんは攻撃手段を持たないはずなのに……!


「ムッツ―!」


 椿が目を見開いて叫ぶ。


 睦美は攻撃用の原稿を作成していない。攻撃の余波に巻き込まれて自分たちまでダメージを負う可能性があるためだ。


 つまり、可能性は一つ。


 睦美は椿の身代わりになろうとしているのだ。


 それを、その場にいる全員が一瞬のうちに理解した。


「睦美!」「睦美さん!」


 叫び声を背で聞き、睦美は──


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」


 ──ヘルハウンドに謝りながら、複数のシャーペンを投げつけた!


《ウォォォォォン……!》


 しかもそれは、百発百中で全てのヘルハウンドの脳天にクリーンヒット。


 ……ヘルハウンドの群れを倒した!


「「「「……えっ?」」」」


 本人も含んだ四人の声が、盛大にハモった。


「え、あれ、私、あれぇ?」


 睦美さん(陽気ver)が、自分の両手を見て不思議そうにしている。


「睦美……そんな特技があったわけ……?」


「え、いやっ、初めてしましたよ……シャーペン投げなんて」


 シャーペン投げという言葉が存在するかは分からないけど。とにかく予想外の事態だ。


「凄かったな。それと助かった」


「いえいえ、私はただ、余ってたシャーペンを投げただけですからっ」


 そうか。【魔法の執筆セット】を購入すると毎回シャーペンがついてくるから、シャーペンはたくさん余ってたんだな。


「と、とにかく睦美はお手柄ね! フォーク投げするキャラは見たことあるけど、シャーペン投げは初めてよ!」


「えへへ! 褒めても大したものは出ませんよ?」


 なにかは出るらしい。


「ちょっといいかな」


 椿が神妙な面持ちで遮る。


「助けてくれたムッツ―には感謝している」


「あは、照れちゃいますねぇ」


「だけれども、もう二度とこんなことはするな」


 強い語尾に、空気が強張る。


「ムッツ―は勝算もないのに敵に飛び込んでいった、そうだね?」


「でも、倒せたからいいじゃないですかぁ」


「駄目だ。それは結果論に過ぎない」


 冷ややかに一蹴すると、明るげだった睦美も、真顔に戻る。


「君は、『自分の命』と『私の命』を天秤にかけて、『私の命』を優先したことになる。そんなことがあってはならない」


「え~? 椿さんのためだったら私の命くらい──」


「──噓をつくな」


 椿の目は、酷く冷徹なものだった。さっきまでとはまるで別人だ。


「人間とは打算的な生き物だ。愛だとか友情だとかは、表面的には非合理に見えても、根底には損得の思考回路がある。そして君のしたことは明らかに非合理なことだ。一番大切な自分の命を危険に晒したのだからね」


 三人は椿の豹変に戸惑いを隠せず、黙っている。


「みんな打算なんだよ。私には人の心が読め過ぎてしまうから、分かるんだ。少なくとも私の周りにいた人間はそうだった……」


 だから──


「だから、そんな見え透いた偽善をするな。不愉快だ」


 不愉快。鋭い言葉が、突き刺さる。


 弥生も海斗もなにか言おうとするが、上手く言葉にならない。椿のいうことは、ある意味で正しいのだ。正しいからこそ、言い返せない。


「……えっと~」


 睦美が明るい調子で切り出した。


「確かに打算かもしれないですね。だって私、椿さんが死ぬのを見るくらいなら、自分が身代わりになった方がマシだって思いますもん。だから、椿さんに生きてて欲しいなっていう、私の欲望に従ったんだと思いますっ」


 椿はジッと睦美を見つめる。彼女の目に、睦美はどう映っているのだろうか?


「……とにかく、もう二度とこんなことはしないでくれ。ムッツ―」


「それは保証しかねます~♪」


 睦美は何事もなかったかのように、ハイテンションを維持したまま椿の背中に抱きつく。


「やめないか。敵が来たらどうするんだ」


「えへへ、大丈夫ですよ! 椿さんは私が守りますからっ」


 深刻だったはずの空気が、柔らかくなる。これは睦美の、天然で真っ直ぐな性格によるものなのかもしれない。

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