第9話 文学少女、現る
「か、帰ってきた……」
「余程あんたを土に還してやろうかと思ったわ」
階段を上り、天井の穴を通って出発地点の小部屋に入る。
「でもそしたら、お前洞窟内で迷子になってたんだぞ」
「ぐっ……」
痛いところを突かれた様子の弥生だ。
「これね、あんたが言ってたやつは」
弥生は壁の凹凸にがっちりとはまった金属──錘を見て言った。
「錘に糸を結んで、もう一端を持ちながら歩けば、糸を辿って戻ってこられる。……確かに正論よ」
そう言って、錘を取り外すが。
「……ん?」
弥生は部屋の隅の方を見てなにかに気付き、距離をとる。海斗も弥生の異変を感知して、彼女の傍に移動した。
「(部屋の隅になにかいるわ)」
「(分かった。とりあえずお前はいつでも階段から下りれるように準備しておいて)」
「(了解)」
耳打ちでやり取りを済ませると、海斗は赤いライトで隅を照らした──
「……っ!」
浮かび上がったのは──目に涙を浮かべた美少女の姿だった。
「えっ……?」
海斗はライトを白色に切り替え、もう一度隅を照らした。
灰色のベレー帽に赤い額縁の眼鏡という、見るからに文学少女っぽい外見。白のフリルブラウスにブラウンのロングスカートを履いており、どこかのうさぎパジャマと違ってオシャレだ。体育座りで身を縮こまらせながらも、決して声をあげまいと、両手で口を塞いでいる。
そして、つい目が行ってしまうのは本人の両腕でむぎゅっとされている、なにとは言わないが柔らかいのであろうあれである。口を手で塞ごうとすると、ただでさえ立派なそれは腕で挟まれて強調されてしまい、思春期男子の精神衛生上よろしくない。
「あの……」
「はわわ、つ、土に還すのだけは勘弁して下さいっ! 持ってるもの全部差し上げますから!」
そう言って、原稿用紙の束とシャーペン数本、さらに背負っていたリュックサックを地面に置き、土下座で命乞いをしてきた。いや、命を奪う気はさらさらないんだが……。
「あんた、名前は?」
弥生が一歩前に出て、尋ねる。
「わあ、わわ、ふ、文月(ふみつき)睦美(むつみ)といいます……。つ、土に還すのだけは勘弁して下さいっ!」
「ふーん、睦美っていうのね」
「ひゃ、ひゃい! 土に還すのだけは勘弁して下さいっ!」
「『土に還すのだけは勘弁して下さい』って語尾に付けるの流行ってるわけ?」
「やっ、いえっ、先程『土に還す』って聞こえてきたので……もしかしたら私がそうなるのかと思って……」
海斗は無言で弥生を見つめ、糾弾した。弥生はどこ吹く風で、口笛を鳴らす。
「とりあえずその心配はないよ。こいつ口が悪いだけだから」
「おい」
弥生が蹴りを入れる構えをしたので、少し離れる。
「よ、よかったです……安心しました……」
睦美はホッと胸をなでおろした。
「で、睦美さんはどうしてここに来たの──」
「ちょっと! あんた私のことは『お前』呼ばわりするのに、なんでこの子は下の名前で呼ぶわけ?」
「なんでって、お前だって俺のこと『あんた』呼ばわりしてんじゃん。それとも『弥生』って呼んで欲しいのか?」
するとみるみるうちに弥生の顔が赤くなり、
「なっ、ばっ、馬鹿ね! んなわけないじゃない! 蹴り殺すわよ!」
「ひ、ひぃ!? 土に還すのだけは勘弁して下さいっ!」
「なんで睦美さんが命乞いしてるんだ?」
睦美の顔は青ざめている。察するに臆病な性格なんだろう。
「とにかく、今は睦美さんから話を聞くのが先決だろ? 少しくらい静かにしてろよ」
「は? 今さらできる男アピールするわけ? さっきまでエリマキトカゲ見て悲鳴上げてたくせに?」
グサッ。正論を言われて精神的に80のダメージ。
「そ、それで睦美さんはどうしてここに?」
「えっと、くしゃみをして目をつぶって、目を開けたらここに居ました」
「なんでもありだな……」
とにかくこれは理屈ではないということだ。「なぜこうなったか」ではなく、「これからどうするか」を考えるべきだろう。
「うぅ、私……小説を書いてただけなのに……」
《ウィン》
「あ、出てきた」
海斗は睦美の隣に移動し、画面を覗き込む。
『ポイントを消費して【魔法の執筆セット】を購入しますか? 〔書いた出来事が事実になる魔法のペンと、原稿用紙。破格の0ポイント!〕』
「いや、怪しすぎるわよ」
睦美を挟んで反対側に来た弥生が、そう声を漏らした。
「でも、0ポイントなら買っておいていいんじゃない?」
ポチっ。購入。
「あんたねぇ、そういう軽率な行動は慎むべきよ。何気ない選択肢が推しキャラとのバッドエンドにつながることだってあるのよ、ゲームでは」
と言いつつも、現れた原稿用紙とボールペンを拾い上げる弥生。
「……見たところ普通の紙とペンね」
「よし、試してみよう」
「これ本当に大丈夫かしら……」
明るい海斗とは対照的に、弥生は心配している様子だ。
「え、え、どういうことですか?」
睦美は状況が掴めず、困惑している。その声を聞いて、海斗は取っていた筆を一度地面に置き、
「そっか。まだこの洞窟のことを知らないんだよね。いちおう俺たちが知っていることを話すと、ダツダツしカジカで……」
「ダツダツ……? しカジカ……?」
「あー、そこは気にしないでいいわよ。でも、今置かれている状況は理解できたでしょ?」
「はい……俄かには信じ難いですけど……」
だが、この境遇を説明するにはそれしかないと思ったのか、睦美は頷いた。
「で、話を戻すけど、この魔法のペンが使えるなら、ここから脱出できると思うんだ」
「まぁそうね。『三人は脱出した』って書けば出れるのかもしれないけど……」
そこまで言って、口を噤む弥生。
「ど、どうしたんですか……?」
「……こういうチートアイテムには、往々にしてデメリットが生じるものよ。でないとゲームバランスが崩壊するから」
「……チートー?」
睦美は小首をかしげる。ゲームのことは彼女も分からないらしい。
「なんで今チーズトーストの話になるのよ。つまり、これを使うとなにかしらの代償が必要になるかもしれないってこと。だから慎重に──って、おおおおおおいいいいいい!」
勝手に書き始めた海斗を止めようとするが、時すでに遅し。一文を書き上げ、句点をつけたところだった。
《ウィン》
「ん? なになに? この原稿用紙を破ると効果が発生します……か。なるほどな」
両手で掴み、引き裂こうとする。
「なるほどじゃないわよ! 破ったら駄目だから! それ以上、駄目よ!」
《ビリィッ!》
弥生を無視して、海斗は原稿用紙を引き裂く。
すると目の前に煌煌とした光が満ちて──
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