正義のヒーロー

 外から何人かの話し声と足音が聞こえる。

 健斗さんたちがもうそろそろ出発するのだろう。

 僕も合流しようと、腰を浮かし――。


 腰を浮かしかけて、やっぱりやめた。

 健斗さんはさっき、先生を捕まえるのを手伝ってほしい、って言ってくれた。

 僕のことを待っている、とも。

 でも、どう考えても行くべきじゃあない。

 だって僕はフレンズだから。

 今までたくさん殺してきたから。

 ここで一人で死んでいくのがお似合いだ。

 だいたい、僕はもうちょっとで死ぬことが確定している運命なんだから、最期くらい、ゆっくりしたい。

 ゆっくりして、自分がやりたいことを目一杯やりたい。


 ……やりたいこと……?

 やりたいことって、なんだろう?

 僕が今、心の底から渇望していることって、なんだろう?




 どうやら、健斗さんたちは出発したようだ。


 視界の端に、さっき健斗さんが置いていったチョコチップスティックパンが目に入った。

 そういえば、最近何も食べていない。

 お腹も空いてきた気がする。

 袋を開け、パンを一本取りだして、頬張る。


 ジローくんは、多分最期に、僕に道を示そうとしてくれたんだと思う。

 僕がこれから生きていく道。

 正義のヒーローへの道。

 僕は――。


 その道に戻りたい。

 でも、戻る資格なんてない。

 それは分かっている。

 僕は悪役だし、このまま悪役として死ぬべきだとも思う。


 でも僕は、やっぱり正義のヒーローになりたい。


 でもなれない。


 なりたい。

 なれない。

 なりたい。

 なれない。

 なりたい。

 なれない。


 自分がなりたいものになれないって運命づけられたとき、僕たちはどうしたらいいんだろう?


 諦めるしか、ないのだろうか。




 急に耳障りな音が聞こえた。

 辺りを見回すと、その音源はすぐに分かった。

 健斗さんが置いていった無線機。

 ――これ、スイッチ入ったままじゃん。消しておかないと。

 そう思ってスイッチに手をかけた時、声が聞こえた。


「なあ健斗。一ついいか?」


 この声は、竜持さん。

 ていうか、健斗さんが持っている無線機もスイッチ入れっぱなし……?

 何を話しているのだろう。


「なに?」

「手前、四季を誘ったんだろ?」

「うん」

「何で誘ったんだ?あいつはフレンズだし、連れて行ったら裏切って、松村先生に味方するかもしんねえ。それは手前も分かってんだろ?」

「まあね」

「だったら何で、あいつを連れて行こうとしたんだ?」

「それは……あいつがヒーローだからだよ」


 …………!!


「ヒーロー?どういうことだ?」

「ねえ竜持。お前は、ヒーローっていうのは、どんな奴のことを言うんだと思う?」

「…………」

「俺は、自分を諦めきれない奴のことを、ヒーローって言うと思うんだ。自分がどうすればいいのか分からなくて、悩んで、間違えて、また悩んで、それでもまた行動して……。そんな風に、何回、何十回、何百回転んでも、何千回、何万回、何億回って立ち上がれる、そんな奴。…………あいつは、この世界の”正義のヒーロー”になるためには何でもやった。そのためにこの組織に入った。そのためにフレンズを殺した。そしてそのために、俺たちプロテクターズのことも殺した。あいつは、自分が『正しい』って思った道を突き進んだ。その道には当然、大変なこともあったと思うよ。もう立ち上がれなくなりそうなこともあったはず。でも、あいつは走り続けた。頭では『ヒーローにはなれないかもしれない』って感じた時があったとしても、あいつの心は、諦められなかったんだろうな。その想いを持っている以上、あいつはヒーローだよ。そこにはあいつがフレンズだ、とか、人間だ、とか、全然関係ない。だから俺は、あいつを信じる」


 …………。

 健斗さん…………。

 何を言ってるんだこの人は。

 ヒーローになろうとしているやつがヒーローの訳ないでしょ。

 本当に何言ってんの。

 意味分かんない。

 ほんとに……。


 ふいに、視界がぼうっとした。

 目に手をやってみる。

 その手が濡れた。

 手を濡らしているのが涙だと分かるまで、時間がかかった。


「え?なんで?なんで泣いてんの?僕……」


 自分に問いかけてみても分からなくて。

 これまで自分の内側に閉まっていた感情が涙になって溢れ出て。

 もう収拾がつかなかった。


 僕は初めて、声を上げて泣いた。




 しばらくしてやっと落ち着いてきた。

 いつまでも泣いてはいられない。

 僕は二本の短刀を掴んで、外に出た。

 病院へと走る。




 冷たい空気が肌を刺す。

 なのに身体の中の方はとても暖かい。

 重りがやっと取れたみたいに軽い。

 まるでどこまででも飛んでいけそう。


 僕は、自分は消えた方が良いと思っていた。

 自分の頭の中で、自分に勝手に見切りをつけてた。

 自分の殻の中で自分を憐れんでた。

 でも、今さら気づいた。

 信じられるが教えてくれた。

 僕はまだ、走り続けてもいいんだって。

 僕はまだ、ここにいるんだって。


 今なら、分かる。

 あの時の七羽さんの表情の意味も。

 あの時の慧他さんの言葉の意味も。


 僕はどうするのが正解なのかは、まだ分かんない。

 だけどもう、そんなのはどうでもいいよ。

 僕は、僕だから。

 も。

 も。

 も。

 紛れもないだから。

 いくつ仮面を付けていたとしても、そこにいるのは紛れもない、僕自身だから。

 そこにはフレンズだとか、人間だとか、関係ないから。

 何が正解なんか考えない。

 僕は、僕自身の心に従いたい!

 僕の十二年の人生と、この十年の想いを、無駄にしたくない!

 無かったことにしたくない!




 迷わず院長室へと向かった。

 壁の向こう側では銃声やガラスが割れる音など、戦闘音が不調和なメロディーを奏でている。

 ドアノブに手をかけた。

 その時、戦闘音が止んだ。

 何が起こったのかは分からないけど、これはまるで……。

 まるでヒーローの登場シーンのようじゃあないか。

 僕は、勢いよくドアノブを開ける。

 バン、という大きな音に反応して中にいた二人が僕を注目した。

 部屋の中を少し観察して、それからゆっくりと倒れている友人の方へと向かう。

 そして冗談を言ってみる。


「あれ?苦戦してる感じだね。もしかして、僕の登場を盛り上げるために?」


 健斗さんは僕を見上げて、少し驚いたような表情。

 顔を上げて先生の方を向いたら、彼も同じような表情をしていた。


「四季ちゃん……なぜここに?」

「うーん、そうですねえ。あんま分かんないです。でも、僕は友だちを助けたい……これが僕の選択です」


 先生はなぜか少し寂しげにうつむいた。


「そっか。君も、自分の道を見つけたんだね」


 そう言って、顔を上げる。


「ならば祝福しよう。君が自分を取り戻した記念のプレゼントに、そうだなあ、黄泉の国へのチケットとか、どうかな?」


 僕は笑ってみせた。


「いらないいらない。丁重に廃棄させていただきますよ……………………さあて」


 さあ、宣言しよう。


 ”先生”の前で。

 ”友だち”の前で。

 この運命の歯車の上で。

 今、ここで。


 大きく息を吸い込む。

 裏返らないでよ、僕の声…………!


「自意識過剰な正義のヒーローの、復活だ!!!」


 大好きなヒーローの台詞を大声で丸パクリした。

 ちなみに、「復活だ!!!」のところで短刀を掲げて『ビシィッ!!!』ってポーズをとった(あんま伝わんなさそう)。

 顔から火が出そう。

 久々にめっちゃ恥ずかしい。

 穴があったら入りたいとはまさにこのこと。

 でもこの恥ずかしささえも、今の僕は力に変えていける。


 横たわっている健斗さんが、

「遅いよ……」

 と言った。


「当然じゃん。ヒーローってのは、遅れてくるもんだよ!」


 僕は左手を健斗さんへと差し出す。


「ほら、いつまでも寝そべってないで、早く立ってー。事情は大体分かってます。さっさと終わらせましょ」


 健斗さんはにやりと笑って僕の手を取った。


「おう、相棒」


 僕は頷いた。


「行くよ、健斗さん……ううん、健ちゃん」




 健ちゃんが先生へと突進していく。

 二人の距離はほとんどゼロになった。

 すごいスピードで攻撃と防御の応酬が繰り広げられている。

 僕はその様子を見つつ。


 ”ぼく”の時のように。

 短刀に手をかけて目を閉じた。

 それから息を吸って、吸って、吐く。

 そして目を開けて呟いた。


「――水連海」


 途端に、僕の短刀から水がほとばしる。

 それは帯のような形になって、先生へと向かっていく。

 その帯は次々に先生の手足に絡まり、やがて先生は身動きが取れなくなった。

 それでも先生は帯を裂こうと必死になって藻掻いている。


「無駄ですよ。これは、みんなの想いが詰まってるんだ。そう簡単に破れやしませんよ…………決めちゃって!健ちゃん!」


 僕の言葉を合図に、健ちゃんは先生の胸に剣を深々と刺した。




 先生の口から鮮血が溢れる。

 身体は、刺されたところから崩壊していく。


「……これが、俺の結末か……。ごめんな、リンカ。パパは、リンカを助けられなかった。ごめんな、ごめんな。ごめ――え?もう大丈夫?そうか、リンカも強くなったな……最期まで弱かったのは、俺だけだ……」


 先生は棺に触れようとした。

 でも触れるより一瞬先に彼の手は粒子になって、触れることはできなかった。

 やがて松村先生は、消えた。


 最期に、先生と娘さんは会えたのだろうか。

 彼の最期の言葉を聞くと、そう思わずにはいられなかった。




 残るフレンズは、僕だけになった。




 ダダダダダ、と何人もが走ってくる音が聞こえる。

 彼らがこの部屋へと辿り着くのも時間の問題のようだ。

 ここでプロテクターズに取り囲まれたら、流石の僕でも生き残ることはできないだろう。

 僕にも、終わりの時が近づいているみたい。


 健ちゃんに向き直る。


「次は……僕の番だね」


 彼の顔を見ると、なんだかまた泣いてしまいそうになった。

 よく見ると、健ちゃんも泣きそうな顔をしている。

 だから茶化すように言った。


「……くそまずいオートミール食べた時みたいなしょげっぷりじゃん。そんな顔しないでよ」

「……俺は…オートミールは食べたことはない」

「フフフ…とにかくひどい顔ってこと」

「…………」

「…………」


 沈黙。

 僕は友人から目をそらさずに見続けた。

 やがて。


「…………俺は、お前を、殺さなくちゃ、いけない…………ごめんな…………」


 健ちゃんは、震える声でそう言った。


「うん」

「…………」


 重い空気を取り払うように、僕は宣言した。


「でも僕は、まだ僕を諦めたくない。まだ、死ぬには早すぎるよ。だから僕は…………最期まで戦うよ。健ちゃんたちと。そして、この運命と」






 長かった夜が明け、また太陽が昇る。

 健斗は、病院の最上階から、その光景をたった一人で見ていた。


「じゃあね」


 外の風景に向かってそう言い残し、踵を返してその部屋を後にした。

























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