Phase2
行ってきます、と竜持が仕事に出かける。
行ってらっしゃい、と見送る。
竜持は初めて会った時よりもずいぶん穏やかになったと七羽は感じる。
昨日、プロポーズされた。
嬉しかった。
本当に。
その後、どうしたらいいのか分からなくなった。
夜通しどうしようか考えていたら、朝が来ていた。
結論は―――
竜持が家を出て、一人になった部屋で洗い物をして、掃除をする。
一人分の夜ご飯を作り置きしておく。
洗濯物を干す。
竜持に『洗濯物取り込んどいてくださいね。合鍵はポストに入れときます』とメモを残しておく。
それから荷物をまとめる。
ひとしきり終わった後、右目の包帯を取り、部屋を見渡してみる。
ここでの思い出が見える。
この一年弱、とても幸せな時間だった。
出来ることなら、一生このままここで過ごしていたい。
でも私にはそんな資格はない。
「行かなきゃ」
七羽は荷物を持って、家を出た。
包帯は付けなかった。
そして、もう入ることのないこの部屋の鍵を閉めた。
大通りに出る。
行き交う人々の過去が見える。
幸せなことも悲しいことも、楽しいことも腹が立ったことも、全部引っくるめたような濁った色の過去。
これまでにない情報量に
すれ違う人々が七羽を振り返る。
相当顔色が悪いからだろう。
自動販売機の側面にもたれ掛かって少し休む。
サラリーマン風の若い男性が大丈夫ですか、声をかけてきた。
七羽は笑顔を取り繕って会釈して、大丈夫だと伝える。
七羽はもう一度歩き出す。
目的地に行く前にもうひとつ、どうしても行っておきたい場所があった。
大通りを抜け、細い路地で七羽は足を止めた。
過去を見る。
頭が痛い。
吐き気もする。
思わず目を覆いたくなる。
それでも七羽は、自分の過去を見続けた。
「お父さん、遊園地まだぁ?」
その日は13歳の私の誕生日だった。
私は父親にどうしてもとせがんで、遊園地に連れて行ってもらった。
普段、私の父親は外に出歩くことを好まなかった。
遊園地に行くことも乗り気ではなかったが、その日はしぶしぶ了承してくれたのだ。
「この道をもうちょっと進んだら着くよ。ほら、見えてきた」
私は気分が高揚した。
さっきから周りの人たちがじろじろとこちらを見てくるのが気になっていたが、そんなことはもうどうでも良くなった。
遊園地はすぐそこだ。
入り口前のチケット売場に並んでいると、妙に長い槍のようなものを持った、私と同年代くらいの少年がいきなり父親にしゃべりかけた。
「手前、マスク外してくんね?」
父親は稀に外出する時はいつもマスクを着けて、外さなかった。
その日も外さなかった。
「すみません。風邪をひいてまして」
「ふうん、じゃあTシャツの袖、
父親は落ち着きがなくなってきていた。
「何なんですか、いきなり?!」
「お姉ちゃんは黙ってて。ほら、捲れよ」
父親は躊躇いながらも袖を捲ってみせた。
「い、刺青を腕に彫っていまして……見苦しいでしょう?」
「いや別に、刺青なら俺はなんとも思わねえよ。まあ身分証見せてみろ」
「すみません。今日は持ち合わせていなくて……」
「ハハハハハ、手前も素直じゃねえなあ。身分証なんてそもそも持ってねえんだろ? 手前………フレンズじゃん」
そう言って青年は槍のようなもの――後に私はそれを薙刀という物だと知ることになる――を父親に向けた。
「皆さーん、今ここにフレンズがいまーす。これから駆除するので少し離れてもらえませんかー⁈」
少年が大声で宣言すると、周りにいた人々は散り散りになって逃げていく。
気づけば、そこにいるのは父親と私、そして少年だけになっていた。
「お姉ちゃんもさっさと消えてもらえる? 邪魔だから」
「嫌だ。何でお父さんから離れないといけないの?」
「こいつがフレンズだから。人を襲うかもしれないから。それ以外に理由ある?」
「お父さんは、人のこと襲ったりなんて、しない」
横から優しい声がする。
「七羽、もういいよ。そう言ってくれるだけで父さんは嬉しい。でも逃げるんだ。これは、父さんだけの問題だ」
違う、違う、絶対に違う。
お父さんだけの問題なんかじゃない。
だって、父親だから。
道端に犬のように捨てられていた私を拾って、ここまで育ててくれた人だから。
「手前フレンズのくせに、いっちょ前に父親気取ってんじゃねえよ!!」
少年は薙刀を父親に向けて振り回す。
気づけば、体が勝手に動いていた。
「やめて!!!」
私は父親を突き飛ばし、壁になるように父親の前に立ちふさがった。
その時、薙刀の先端が右目に当たった。
頭がおかしくなりそうな痛み。
「手前も一緒に死にてえんだな? お望み通り殺してやるよ」
少年が今度は私に向かって薙刀を振り下ろそうとする。
「これ以上!娘に手を出すなぁぁァァ!!!!」
父親が私の前に来る。
薙刀が振り下ろされる。
父親は右肩から左の腰までを袈裟切りにされ、真っ二つになった。
私はまばたきもできずに、左目でその一部始終を見た。
父親は跡形もなく、塵になって消えていった。
「通報のフレンズ、駆除完了しました。負傷者1名。目を斬られていて重症です。至急、手当お願いします」
少年は所属する組織に連絡をしているのだろう。
私は彼のことを睨んだ。
「なんか文句でも?」
「目を斬ったのって、あなたでしょ。これじゃあ、お父さんだけが悪者みたいじゃない」
「そうだよ、手前の親父さんだけが悪者だ。それはそいつをかばった罰だ」
少年は地べたに座り込んでいる私を見下ろして、そう言った。
悔しかった。
憎たらしかった。
この瞬間、これまでの自分に無かった感情が芽生えた。
救急車のサイレンの音が近づいてきた。
車内の人と少し言葉を交わし、少年は去っていった。
私は救急隊員の背中に乗せられながらも、彼の背中を睨み続けた。
絶対に彼の姿を忘れないように。
そして電話の時に耳に入ってきた彼の名前を呟いた。
「下山……竜持」
彼は、私が殺す。
……はずだったんだ。
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