第24話エピソード・・23
無意識のうちに電話を切ってしまっていた。
この十八年間フル回転してきた頭の歯車が音も立てずに、崩れ落ちた。
冷蔵庫の音だけが頭の中を行ったり来たりしている。
自分が癌。
しかも、あの時の醜いおやじが理恵の父親。
幼い時から俺はある意味、特別な人間だった。
両親を事故で無くし、悲痛な眼を向けられ、小学校の参観日にやる親子競技の時だって誹謗な眼を向けられ、好きな女の子に告白した時だって、その子の親に反対、中傷を受けてきた、でもどんな時でも俺は微笑んできたんだ。
小さい時に近所の親父に言われたことがある、強い男は我慢の出来る男だって、悔しい時、悲しい時、常に我慢し次に備える。
だから俺はずっと笑い続けた、いつか来る幸せな時を迎える為に。
学生の時はいつも通信簿に、クラスの中心ではあるが、軽薄な部分もある、活発ではあるがやり過ぎる面もあると書かれた。とにかく全てのことを受け入れ楽しんで生きてきた。
俺が癌。
しかも余命があと数ヶ月。
昔、クリスマスの夜に健と死に付いて語り合った事がある。
人が死にまた生まれる。何回も輪廻転生を繰り返しながら人は大人に成って行くんだって、何度も死んで何度も生まれて、人は少しずつ少しずつ大人に成長していく。
人生は一度きりの物ではない、何度も死んで何度も生まれてやっと完成するんだって。
雪の降るクリスマスもあれば、雨の降る正月もある。
不幸な人生もあれば幸せな人生もある。
人生に終わりなんて無い。楽しいか楽しくないかは、自分自身が決めることなんだ。
だから人のことになんて構っていられない、今を楽しく生きること、これが幸せになる条件だって。
今まで俺が生きてきた人生は幸せだった。
俺がそう思えればそれでいい、ただ、ただ愛する人が出来た今、何故今、生まれ変わらなければいけないんだろう。
これからの理恵との幸せな生活、それこそが俺のこの人生での集大成だった。
いや、集大成なんだ。
そこにだけは矛盾は存在しない。
俺が小さい頃、兄貴と煎餅を晩餐にした事があった。サラダ煎餅を火にかけて香ばしさを楽しんだり、マヨネーズをかけて食べたりもした。
お茶をかけてお茶漬けにして食べたことも在った。俺にとってそれは些細な幸せだったのかも知れない。
俺が良かれと思ってやってきたことで苦しんでいる人がいて、その苦しんでいる人の家族と幸せになろうなんて思っていた俺が間違っていたのかもしれない。
その報いなのかも・・・俺には健に言っていない、いや言えない様なことも沢山してきた。
団地の前の畑から毎日トマトを盗んでいたこと、兄貴の財布から、金をくすねていた事、健の妹のさゆりの最初の男になった事だって、誰にも言えずにきた。今までずっと一緒だった三人を裏切ってきたことの償いがこれなのかもしれない。
人の流れの中で俺が生きてきた証に、理恵を含めた四人の為に、俺が最後のジョークを考えたのはこの時なんだ。
俺が幸せだった分、俺が幸せを与えて貰った分、最高のジョークで四人を幸せにしてあげる。
まだ俺には数ヶ月ある。
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