第7話 エピソード・・6



 俺がこの話を聞いたのは小学六年に上がる時だった。

初めて聞かされた両親と姉の事故。ある程度の成長で、覚悟が出来てから聞かせてくれたのは、親方と兄の優しさからだろう。


三人の葬儀は親方があげてくれた。


 親方は兄弟を引き取ることを兄に話したが、兄が断った。

養子になって親の姓を失う、自分が風邪を引かなければと思う葛藤が、その葛藤だけが兄の中の唯一の自尊心だったのかもしれない。


 養子縁組の話は丁寧に断ったが、その代わりに、弟子入りすることを認めてもらった。

 当時十六歳だった兄貴は高校を辞め、親方の所で大工の修行をしながら俺を育ててくれた。


 事故当時、まだ赤ん坊だった俺は、親方が以前修繕工事を受け持った産婦人科に、口をきいて貰い、昼間はそこで面倒を見て貰っていた。


 一六歳の男の子が赤ん坊を育てるのは無理だと、何度も役所の方から市の児童養護施設を進められたが、兄は頑なに断った。

 隣に住む隆志君の母ちゃんに、ミルクやら離乳食の作り方を教えて貰いながら、俺を育てることに兄は一所懸命だった。


 兄は両親がお見合い結婚して数年後に生まれた。父親が出てくるまでは、母親の愛情を独り占めして生きていたことも兄の優しさを際立たせてのかもしれない。


 兄が一九歳の頃、俺は兄と一緒に近所の市立幼稚園の面接に行った。

市立の幼稚園は市内に数カ所あり、本来くじ引きで通う幼稚園を決めるのだが、アパートから近く、他の幼稚園の様に制服が無い幼稚園はここしか無かったので、役所の方にお願いして園長先生に面接で入園を決めて貰うことにしていただけた。


 この頃には、市役所の担当の係長も、四年も育てた実績があった兄には、全幅の信頼を置いてくれていた。

 ここ以外の幼稚園は、制服以外にも、お昼がお弁当持参、終わる時間も二時頃と、   兄と俺が通うにはかなりハードルが高かったこともあり、お寺さんが営んでいるここの園長先生は、快く入園を認めてくれた。


 入園後数日は、兄が見送りをしてくれていたが、幼稚園で仲良くなった健の父ちゃん母ちゃんが、兄に見送りをかって出ることを告げてくれてからは、まるで兄弟の様に毎日健と一緒にいた。


 まだ二十歳だった兄は、外に飲みに行くこともせず、帰ってきてからご飯を炊き、味噌汁を作り、買ってきた総菜のコロッケを一つずつ皿に盛って、俺に今日やった仕事の内容を話してくれた。

 兄は父親が手掛けた現場を見るのが大好きだった。


 食べ終わると俺と一緒に風呂に入り、俺がテレビを見ている間に、皿洗いをして、四角い弁当箱に白米を詰め、袋に入った海苔の佃煮を米の上に敷き、味噌汁を水筒に詰め俺を寝かしつける。


 こんな生活をし続け、俺がこの年になるまで、兄は一度も仕事を休まずに、懸命に働いていた。日曜日ですら呼ばれれば、喜んで現場に出ていた。

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