第3話 エピソード・・2
健の父ちゃんは小学校に入学した時にはもう家にはいなかった。
当時はまだ国が、日本たばこ産業と一緒に大々的にたばこを売っていた時代で、セブンスターやマイルドセブンが出始めた頃。それまでは、フィルターのついていない、ホープを吸っているのが当たり前だった日本に、フィルター付きのセブンスターは健康を揶揄するようなぐらい、日本中を席巻した。国は米農家よりも儲かるからって、たばこ葉の生産を進め、税収を高めていた。
健の父ちゃんは、アパートから脇道を数メートル進んだ大通りに出たところに構えた、小さな自転車屋を営んでいた。
今みたいにお店でパンクの修理をする人は少なく、自分でパンク修理セットを使って直す時代だったから、もっぱら自転車の販売や油差しで生計を立てていた。
ただ自転車は頻繁に買い換えられるような安価な物では無かったので、とても裕福とは程遠い生活をしていた。
通学路に面している店舗だったこともあり、朝の7時には店を開け、自転車のタイヤが並んでいる棚には、数本の鉛筆と消しゴムも陳列されていた。
健の父ちゃんの体調がおかしくなってきたのは、健が幼稚園を卒園する間近だった。
このアパートに越してくる前、健の父ちゃんは地方の鉄工所で溶接の仕事をしていた。
鉄工所ではくわえたばこで作業をする程のヘビースモーカーで、トーチをライター代わりに一日3箱は当たり前、多いときは4箱ほど吸っていたらしい。
そんな健の父ちゃんが、自転車が売れないからと言ってたばこを止められる訳が無く、健の父ちゃんの肺はニコチンに制圧されていたのだろう。
通常ですら10倍以上の確率で肺がんになると言われている喫煙者なのに、健の父ちゃんは通常の人の何倍もたばこを吸うのだから、肺だってたまったもんじゃない。 ただ、健の父ちゃんの肺は思っていたよりも頑張っていたんだ。
でも卒園式の練習がピークに近づく頃には、若干滑舌の悪さが気になり始め、ほぼ会話の無かった健の母ちゃんですら、病院に行くことを進めていた。
それから数日後、脳卒中で倒れ病院に運ばれた健の父ちゃんは、戻ってくることは無く、自転車屋さんは同級生の親が営むお弁当屋さんに変わった。
そんな理由もあって、俺達はゲーセンに行かないときは、必ずと言っていいほど健の家に入り浸っている。
醤油や味噌の置き場所すら四人は把握していたし、時には近所のスーパーや、公園のトイレからトイレットペーパーや芳香剤も取り置きしていた。
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