第7輪 兄と妹

 広沢さんに俺がシンフラワーズと戦っていた時に三船さんがいたことを伝えて、広沢さんはすぐに本部に確認してみると言って電話をかけた。やはり現場には傷だらけの俺とシンフラワーズの男しかいなかったらしい。

 だが、三船佐波という女子高生の行方不明届が届いていると本部の調べで判明した。おそらく家族か祭りに一緒にいた友人たちが届け出たのだろう。

 ベッドのシーツの裾をぐしゃりと握る手に力が入る。なぜ三船さんはあの場から消えてしまったのか。俺が意識を失う寸前、確かに三船さんが近寄ってきて、俺の名前を呼ぶのを聞いた。一体あの後、三船さんの身に何があったのか。

 病室内は広沢さんがスマホ越しに誰かと喋る声が響いているだけ。響いた声は俺の耳に届く前に霧散する。

 広沢さんは詳細の確認のため、「また連絡します」と言って名刺を残して本部へと足早に戻っていった。

 広澤さんの声だけが響いた病室も静寂へと包まれた。

 三船さんが自分の意思で姿を晦ますとは考えにくい。実際、三船さんは足を怪我していたし、まともに歩ける状態ではなかった。だとすると、考えられる可能性は−−−誘拐。

 誘拐だとして、あの場であのタイミングでそれを実行できるのは、別のシンフラワーズ?

 しかし、不確定要素が多過ぎて断定はできない。体は休めたいはずなのだが、脳が覚醒してベッドに体を預ける気になれない。

 興奮し続けている脳をなんとか落ち着かせようとベッドの背にもたれ掛かると、再び扉をノックする音が響く。


 「はい。」


 時間が時間なだけに看護師さんか担当の先生かと思ったのだが、予想外の人物だった。


 「あ、おにーちゃん。よかったぁ。元気になったんだね。」

 「なんだ、箕郷みさとか。」


 蓬川箕郷、俺の一個下の妹で同じ高校に通っている。箕郷は俺と違ってずっと続けているテニスのおかげもあってか運動神経も良くて、学業も優秀らしい。おまけに家では料理掃除洗濯もこなす。

 部活もなのだが、こういった家事をするのに邪魔だからと言って、髪はショートにしているらしい。そのおかげで、活発な妹をより魅力的に見せるチャームポイントにもなっている。

 それにしてもできる妹を持てて兄としては誇らしい限りだが、兄としての威厳が全くなさすぎて、ホントスミマセン。

 

 「なんだじゃないよ。心配したんだからね。あ、これ着替えね。」


 着替えが入っているであろう紙袋をひょいと持ち上げてニコリと微笑む。部活帰りのついでだろうか、大きなラケットバッグを背負い部活のユニフォーム姿のままでトコトコとベッド脇へとやってきて、近くにある椅子に腰掛ける。

 テニス部ユニフォーム特有のワンピースで、すらっとした足が露わになっている。スコートであることはわかっているのだが、兄としてはこの比較的露出度の高い姿に心配する。

 ちなみにシスコンではないが、妹はそれなりに可愛い部類だと思っている。


 「ありがとう。部活だったのか?」

 「うん。今日は学校で練習試合だったの。だから帰りがけに寄れたんだ。」

 「そうか、でももう面会時間とっくに過ぎてるだろ。よく入れてもらえたな。」

 

 時刻は19時を過ぎている。通常であれば特殊な事情を除けば面会なんてできないはずだ。


 「お母さんの時にお世話になってた看護師さんいたでしょ?その人にたまたま会って、看護師長になったから私の権限で特別にって入れてもらえたんだ。」

 「あー、あの人か。あの時はだいぶ世話になったもんな。」


 確か7年前、俺がここにいて目覚めた時母さんは泣きながら俺のことを抱きしめてくれた。今でもその温かな感触は覚えている。

 けれど、そんな温もりをくれた母さんも今はもういない。4年前、不慮の事故で大怪我を負い、なんとか一命を取り留めたものの、容態が急変して亡くなってしまった。

 あの頃は俺も箕郷も精神的にしんどかった。子供の俺たちにとって、精神的な柱だった母さんがいなくなってしまったのだから、心の穴は大きかった。

 そんな時に献身的に俺たちをケアしてくれたのが今は看護師長の看護師さんだ。言葉は少なかったが、泣きじゃくる箕郷を優しく抱きしめ、俺たちのそばにずっといてくれた。

 まだ若そうな看護師さんだったと思うが、その人が今は看護師長なんて、個人的には嬉しい話だ。俺や箕郷の心を支えてくれたんだ、きっと他の人にもそんな献身的なケアをしていたに違いない。看護師長になるべくしてなったのだと率直に感じた。


 「そうそう。あの時はどうなるかと思ったよ。でもね・・・」


 昔話を語らう無邪気な笑顔が一瞬陰り、一呼吸の間の後、言葉をさらに紡ぐ。


 「あたし、お兄ちゃんまでいなくなったら嫌だよ。」


 突然うつむきがちになり、耳にかかっていた髪がはらりと顔を隠すように垂れる。心なしか声まで涙声になっているような気がする。


 「ママがいなくなって、あたしのそばにはお兄ちゃんしかいなかったし、頼りにできるのもお兄ちゃんだけだった。ママが欠けた穴は大きかったけど、お兄ちゃんは私を慰めてくれたし、ずっとそばにいてくれたし、慣れない手料理まで作ってくれたよね。きっとお兄ちゃんも辛かったはずなのに。」


 膝の上に乗る小さな拳はぎゅっと丸まっている。それを見た俺の拳も同様に力が入る。

 父さんは俺と箕郷がまだ小さかった時にすでに亡くなっている。父親も母親もいなくなった俺たち兄妹は、二人で助け合って生きていくしかなかったんだ。


 「あたし、それで助けられたんだよ。私にはまだお兄ちゃんがいる。お兄ちゃんがいれば大丈夫だって。あたしもなんとかお兄ちゃんの心の穴を埋めようってママみたいにせめて家事だけはあたしがやろうって決めたの。たまに色々言って喧嘩になることもあったけどね。それでも大切なお兄ちゃんのために・・・」


 俯き加減だった顔をあげ俺を見つめるその目には、今にも溢れそうな涙でいっぱいだった。次の口を開くと同時に決壊したダムのように、涙が箕郷のうっすら焼けた肌を流れ落ちた。


 「だから、もうやめて。フラワーズなんかにもう関わらないで。お兄ちゃんまでいなくなったら、あたし・・・」


 止めどなく流れ落ちる涙は妹の頬を濡らし続ける。

 母さんが亡くなってすぐの頃は、俺がなんとかしないとって責任を強く負うようになった。箕郷ももうすぐ中学に上がる頃ではあったが、まだまだ母さんに甘えて抱きついていた。そんな箕郷の頭を母さんは優しく撫でていたのを覚えている。

 俺に代わりは務まらない。けど、大事な家族でたった一人の妹で、箕郷が身近に頼りにできるのは俺だけだったと思っていたから、俺も母さんがいなくなって辛かったけど、なんとか気丈に振る舞っていた。

 そんな俺の想いに箕郷は気づいてくれていたんだ。家のことは俺がやっていたけど、途中から箕郷がやってくれるようになった。多分、母さんをより近くで見たいたのは箕郷だし、家事の手伝いもよくやっていたから要領はわかっていたのだろう。俺はてっきり頼りにならない兄に見切りをつけて、仕方無くやってくれるようになったのだと思っていた。

 でも違ったんだ。俺が母さんの代わりになろうとしたのと同じように、箕郷も母さんの代わりになろうと俺を支えてくれていた。

 俺はベッドに腰掛けるように座り、箕郷の頭を優しく撫でる。妹の頭を撫でるなんて多分、母さんがいなくなって必死に慰めようとしたあの時以来だろう。あの時よりも大きくなった箕郷だが、手におさまる小さな頭にまだ幼さを感じる。

 勝手に大人になったと決めつけていたと妹は、実はまだ高校1年生で俺と一個しか違わない。俺と同じようにまだまだ子供なんだ。

 そんな妹の献身的なサポートで俺も変わらない日常を送れている。それに気づけたのはこの事件のおかげと言っていいのか分からないが、きっかけになった。

 涙で濡れた目をぱちぱちとさせて、鼻水をズビズビさせてる妹の姿に俺は安心感を覚える。


 「箕郷、ごめんな、心配かけて。俺、不器用だからさ、お前にはいつも色々心配かけてるよな。でも、そんなダメダメ兄ちゃんを支えてくれてありがとな。」


 箕郷は俺の胸に飛びついて、時々嗚咽を漏らしながら静かに泣き続ける。抱きつかれた衝撃で体の痛みを感じると身構えたが、その痛みも何故か無くなっている。


 「俺は、どこにも行かないさ。」


 これも妹パワーなのか分からないが、少なくとも俺の心は箕郷によって癒された。


 ひとしきり泣き終えた箕郷は、心なしか清々しいような顔をしていた。おそらく、ずっと抱えていた想いだったんだろう。

 それを全て吐き出した今、箕郷は鼻歌まじりに着替えと一緒に持ってきたリンゴを剥き始めた。頭を横にふりふりさせると同時に動く髪はまるで振り子のようで見ていると眠くなる。


 「そういえば、答え聞いてなかったけど、お兄ちゃんはもうフラワーズには関わらないよね?」


 うつらうつらしていた意識をもう一度覚醒させ、箕郷を兄として支えると決断した同時に決めたことがもう一つあることを思い出す。

 そのことを言い出すのは憚れたが、これだけは俺の責任でもあるし、見て見ぬ振りはできない。だから、最後までその責務を全うしたい。


 「俺、ジェネラルフラワーズに入ろうと思っている。」


 言葉を発した瞬間、綺麗に途切れさせることなく剥いていたリンゴの皮をぽとりと落とし、あっけに取られたように箕郷は口をぽっかり開けている。

 それも当然であろう。俺ですらこの決断の速さに驚いている。そもそも今、俺にとってフラワーズという存在は憧れの対象ではない。むしろ関わりたくないと思っている。それは箕郷の涙を見て、より一層強いものになった。

 けれど、ここで「あとはジェネラルフラワーズと警察にお任せします」なんて無責任なことは言えない。ましてや三船さんは俺が初めて好きになった人であり、あの戦いに巻き込んだのも間違いない。好きな人のために、なんてかっこいいこと言うつもりはないが、人として男としての責任を果たしたい。


 「え・・・だって、さっきどこにも行かないって言ったじゃん。嘘なの?」


 口元をわなわなさせ再び泣き出しそうになる。さっきまで泣きじゃくって、落ち着いて嬉しそうにリンゴを剥いていたかと思えば、理解が追いつかないような困った顔になって、また泣き出しそうになっている。

 そんなに表情をころころ変えて顔も疲れるだろうなと冗談混じりに思いながら、箕郷の顔を見ると自然と笑みが溢れる。


 「何笑ってるの?」

 「いや、ごめん。嘘じゃないさ、ただ一時的にジェネラルフラワーズに入るだけで、ずっとていうわけではないんだ。」

 「どゆこと?」

 

 首をこてんと傾げる妹の頭にはクエスチョンマークが3つほど浮かんでいた。


 「実はこの事件で、俺と一緒にいた同級生の女の子が行方不明になったんだ。これは俺の責任でもあるから、警察やジェネラルフラワーズにお任せしますなんて責任放棄もできない。だから、せめてその女の子を見つけ出すまでは、ジェネラルフラワーズに協力しようと思う。」


 現段階で、三船さんがどういう状況にあるのか全くの不明だし、どれくらいの期間ジェネラルフラワーズとして活動するか分からない。

 けれど俺の決意は変わりはしない。

 俺の話を聞いて納得したのか、ふーむとうめき腕を組みながら考える素振りを見せる。


 「お兄ちゃんは、その人のことが好きなの?」

 「な、え、あーと、そのー、まぁ色々あってだな。」


 突然の追及に俺は焦りを隠せなかった。なにこの子、名探偵?あの情報量だけで俺の気持ちに気づいちゃうあたり、探偵事務所を即座に立ち上げた方がいいとすら思ってしまう。


 「好きなんだね。お兄ちゃんがそこまで真剣になるんだもん。きっとそうだなぁって思ったよ。」


 探偵というより、母親だな。ほら、母親ってなんか知らないけど子供の考えてることわかっちゃうじゃん?なんでそんなこと知ってるの?って思う場面結構あると思うんだけど、それに近い。さすが母さんの代わりを務めてくれていただけあって、俺の考えもお見通しのようならしい。

 

 「さすがだな。出来の良すぎる妹を持つのも良い事だらけではないかもな。」

 「何それ。ていうかお兄ちゃん動揺しすぎ。まじウケる。」


 けらけらと笑いこける箕郷の顔にはさっきとは異なる涙が浮かぶ。


 「おい、笑いすぎだろ。」


 とかいう俺もなんだか面白くなって一緒に笑ってしまう。この時間は絶対に守らなければならない。だからこそ、箕郷の想いを裏切らないために、かつ俺の信念を貫くために俺は決めたんだ。


 「はー、面白かった。わかった。お兄ちゃんがそう決めたんならあたしも協力するよ。」


 優しく微笑みながらもキリッとした眼差しはなんとも頼もしい。

 俺の決意とともに、箕郷も決意してくれたようだ。理解してくれただけでもありがたいのに、協力意思も示してくれる箕郷には感謝しきれない。

 

 「ありがとう。」


 不穏な闇夜を照らす月光。温かなその月明かりは、人の心を抱擁し安堵させる。

 そして俺の目の前には、その燦々と光る月に負けないくらいのキラキラした笑顔がある。

 かげっていた俺の心に、一筋の希望と勇気を与えてくれる妹の存在に俺は決意を固めるのである。

 

 

 

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