第2輪 心のざわめき

 暑い。暑すぎる。

 高校2年の夏は今までで一番暑い。毎年そんなことを思っているような気もするが、とにかく暑いもんは暑い。

 外に出た瞬間に熱気が襲いかかり、顔や首や腕にじめっとした空気がまとわりつく。

 俺は−蓬川神流よもがわかんな−群馬にある高校に通っている。今は夏休みで、エアコンをガンガンに効かせた部屋で高校2年の夏をのんびり過ごす予定だった。けれど、俺は今学校にいる。

 なんで夏休みに入ってまで補講なんて出なきゃいけないんだよ。夏休みって言ってるくらいなんだからしっかり休ませてほしい。授業中に追いつけなかった範囲をわざわざ補講で補うなんて、それは先生の力量の問題だろ。ちゃんと計画的に進めて、夏休み前までにはきっちり終わらせる、それがプロの教師じゃないのか。


 「・・・もがわ、蓬川!」

 「は、はい!」


 しまった、心の中で文句垂れ流しながらぼーっとしていたらしい。数学の太田先生は口をねっちゃねっちゃさせながら、俺を睨みつけていた。


 「お前、今の話聞いてたか?」

 「あー、いやー・・・」

 「補講も授業なんだからしっかり受けろ。そんな窓ばっか見てるようなら、俺の授業だけ、俺の目の前に席移動させてやろうか?」


 あんたの授業スピードが遅いからこうして貴重な夏休みを返上して学校に来てるんだろうが。なんて直接言えるわけないから、心の中だけに留めておく。


 「嫌です。ちゃんと受けます。」


 太田先生は、ふんっと言って再び板書を始めた。周りからクスクスと笑う声が聞こえる。こういうことはよくある。俺が基本やる気のない性格のせいで、先生に注意されることは珍しくない。その度にクラスの奴からは小馬鹿にされるように笑われる。

 ま、慣れたもんだがな。

 俺は再び窓の方へ顔を向けようと思ったが、斜め右の奥の方にいる女子と目が合った。

 目が合うと彼女はすぐに目を逸らした。俺は急に恥ずかしくなった。

 彼女の名前は三船佐波みふねさわ。丁寧に手入れされているであろう、長い黒髪がウエディングドレスのベールのように華奢な背中にかかっている。学校のマドンナとまではいかないが、うちのクラスでは一番の美人だ。かつ、俺が一目惚れした人でもある。

 正直、自分でも驚いた。俺が一目惚れをするなんて、俺が一番予想しなかったことだったからだ。

 すごいベタな展開だったのだが、2年になってすぐに俺が配布物を職員室に運んでいた時、うっかりその配布物をばら撒いてしまった。急いでかき集めていると、一人の女の子が手伝ってくれた。

 ありがとう、と言おうと顔を上げ俺の目の前にいたのが三船佐波だったのだ。あんな近くで女子の顔を見たことなかったが、凛とした少し儚げな瞳が、俺の心を震わせた。

 配布物を拾い上げるたびに、黒髪がふわりとたなびき、その儚げな瞳を際立たせる。心臓のドキドキが止まらなかった俺は、急いで配布物を拾い上げ、お礼もそこそこにその場を後にした。

 これが一目惚れというやつなのかと実感し、しばらくの間彼女の顔が頭から離れない日々が続いた。我ながら気持ち悪いと思った。

 しかし、それが最初で最後の彼女との接触で、それ以降は話すこともなく今に至る。

 久々に彼女と目が合ったと思ったら、恥ずかしさでいっぱいになった。今、俺の顔どうなってる?赤くなって、頬の緩みで顔面崩壊してるんじゃないか。顔をよく見るために窓と睨めっこする。

 相変わらず7年前のあの雷によってくるくるになった髪の毛は健在だ。それにこのやる気のない目、よし、いつもの顔だ、とうなずいていると、


 「よーもーがーわー?」


 太田先生に再び見つかり、クラスは失笑の渦だった。


 「よぉ神流。なーにぼーっとしてたんだよっ。」


 帰り道に後ろから抱きついてきたのは同じクラスの水沢紅人みずさわくれとだ。目がクリッとしていて人懐っこくて、クラスの人気者な彼は俺とは正反対な人物だ。


 「暑い。抱きつくな。うっとしい。」


 俺は絡まれた腕を解きながら悪態をつく。こんな蒸し暑い日に抱きつかれたんじゃ、体感温度が+2℃くらいになる。なぜこいつはこんなに人に抱きつくのが好きなんだろうか。


 「えー、いいじゃんかぁ。それより今日はいつになくやる気なかったんじゃないの?」


 最初に太田先生に言われた時は、確かにやる気がなかった。だが、2回目に注意された時は、別にやる気云々の話ではなくて、俺の心の問題だった。あれは予期しない状況だったのだ。

 それでも俺がいつもと違うことを察知した紅人は流石の観察眼だ。


 「そうか?いつも通りだったろ。」

 「いーや、僕の目は誤魔化せないよ。仮にやる気がなかったわけではないとしても、何かあったに違いないね。」


 仔犬のようにちょこまかして、少し上目遣いで追求してくる。

 こいつのめんどくさいところはこの狙った獲物は逃さない精神だ。真実を解き明かすまでしつこく近づいてくる。


 「残念ながら、お前の推理は間違っている。時間の無駄だからもうやめとけ。」


 これ以上詮索されると面倒なので適当にあしらった。俺はまっすぐ前を向き再び歩き始めるが、紅人はくるっと俺の前に立ち塞がり、憎たらしい笑みを浮かべながら追求を続ける。


 「ふふーん、なるほど。三船さんか。」

 「なっ!」


 俺は動揺を隠すことができなかった。暑いのと焦りが相まって汗が額を、背中を滴り落ちる。


 「ほーん。本当に三船さんが関係してたんだ。」

 「おまっ、かまかけやがったな。」


 やられた。こいつの策略にまんまとハマってしまった。三船というキーワードに反応してしまった俺も大概だが、この誘導技術を持っているなら紅人は刑事か探偵を生業にしたほうがいい。俺は犯人役としては逸材だがな。


 「まぁでも、神流が三船さんになんらかの感情を抱いているっているのはなんとなく気づいてたんだ。」

 「そうなのか?」


 紅人は腕を組みながら得意そうな顔で話始める。


 「僕は後ろの席だから、クラス全体を見渡せるのさ。だから授業中に藤岡がスマホいじってるとか、吉岡さんが足組み直すたびにパンツが見えてしまっているとか分かるのさ。」

 「お前、最後のはラッキースケベポイント高いぞ。」


 声高らかに紅人は話していたが、多分こいつだから犯罪臭がしなくて、俺が同じことを声高らかに話していたら、110番通報されてるに違いない。


 「まぁそんなことは、置いておいて、神流が三船さんをチラチラ見ていることもわかってしまうのだよ。」

 「お前の前に座ると隠し事もクソもなくなるな。」

 「そして、なんと三船さんも神流をチラ見していると言うこともわかっているのだ。」

 「三船さんも秘密握られているようで災難だな。同情するよって、、、え?そうなのか?」


 話が自然すぎて、衝撃的な内容をスルーしてしまうところだった。三船さんが俺を見ている?本当にか?

 流石にここで、「それって俺のこと好きなんじゃね?」みたいな自惚れはしない。何かの間違いだ。それは多分俺ではなくて、俺の近くにいる誰かだ。

 野球部の金井か?いや、あいつは野球部の中ではかなりガタイがいいやつで、三船さんのタイプとは到底思えない。知らんが。

 クラス一の秀才の宮原か?いや、あいつは勉強しかできないし、めっちゃガリガリだし、三船さんのタイプとは到底思えない。知らんが。

 などと頭の中で失礼極まりない自問自答を繰り返すが真実は不明のままだ。


 「僕が確認してるんだから本当だよ。まぁ流石にそれが好意の表れなのかはわからないけどね。でも、なんらかの理由があって神流を見ていることには違いはないよ。」


 俺は改めて紅人の観察眼に感服した。それが本当かどうかはわからないが、なぜだか的は外れていない気がする。


 「なんらかの理由ってなんだよ。」


 紅人の口に出す推理が逆に気になり、話を続けるように促してしまうまでになってしまった。


 「そこまではわからないね。僕は全知全能の神ではないからね。その理由を知っているのは、神流、君の方なんじゃない?」


 理由。俺が考えられる理由はただ一つ。だってそれしか彼女との繋がりがないのだから。


 「ま、話しづらいこともあるだろうから、僕はそこまで追求しないよ。僕は君に真実を伝えたかっただけさ。」


 紅人は俺に一歩近づいて肩に手を置いた。汗もだいぶかいているが紅人は気にするそぶりを見せない。その手は何か俺に責任を感じさせるような、なんとかしろよって伝えてくるような気がしてならなかった。


 「あ、あぁ。ありがたくその情報は受け取っておくよ。」


 俺は、はぁっと観念するように項垂れた。


 「うん。素直でよろしい。」


 にっ、と紅人は憎むに憎めない無邪気な笑顔で俺の肩をぽんぽんと叩いてきた。

 再び前を向き少し歩くと、今度は振り向かずに言葉を発した。


 「そういえば、三船さん、来週の夏祭に行くらしいよ。僕も行く予定なんだよね。ただ、誰と行くかは決めてないんだ。7時には駅前にいる。君がくるかどうかは自由だけどね。」


 そう言い残して紅人は歩みを進めた。

 俺はそれにどう返答したらいいかわからなかった。夏祭に行けば何かが変わるのか。この平凡な生活に彩りが加えられるようになるのか。はたまた俺のこの平凡な生活に終止符が打たれるようなことが起きるのか。なぜだか心がざわつく。

 辺りはアブラゼミの大合唱が響いている。今は静寂に包まれるより、耳障りな方が心地いい。この心のざわめきを少しでも紛らわしてくれるような気がして。

 俺は意を決したように紅人に続いて自転車を押し進めた。

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