25話 幻の肖像画⑥

『先生、僕に絵の才能があるって本当ですか!』

『ああ本当さ。君はいずれ偉大な画家になるだろう。だからお願いがある。君に僕の最後の作品のモデルになって欲しいんだ』

『最後……?』

『そうさ。君が、君という存在が、僕に絶望を与えた。だから、画家として最後のお願いを聞いてくれるかい?』

『わかりました先生……僕に出来ることなら……』

『いい子だ。じゃあ約束をしよう。君の最初の肖像画を、私に描かせてくれると』



『先生……僕やっぱり……』

『何をしている。モデルも満足に出来ないのか?さあ、もっとよく見せなさい。あぁ、君の金色の髪はなんて美しいんだ。君は私の宝物だよ……』



『絵は……あの絵はいつ描き終わるのですか?』

『ここのところ美術商の仕事が忙しくてね。そう焦らないでくれ。そうだ、喜ぶといい。知り合いの貴族が君の絵を気に入ったと言っていた。うまくいけばパトロンになってもらえるかもしれない。そっちの趣味はなさそうだが……もし誘われるようなことがあれば、教えたとおりにやればいい。なにも難しいことはないだろう?』



『ごめんなさい……僕はもう……先生とは離れて生きたい……』

『何を莫迦な……。そんなことは許されないぞ、テオ。二人だけの秘密の絵があるだろう?約束したはずだ。あれがまだ完成していない。そうだ、地下のアトリエで続きを描くとしよう』



【嫌だ】

【逃げたい】

【誰か助けて】



「――っ!!」


 ようやく眠れたと思った矢先、吐き気のするような夢で目が覚めた。

 私は悩んでいた。

 この世界で、私にできることなんて本当に存在するのだろうか。



 ◆◆◆◆◆



「驚いた。まさか来ると思ってなかったです」

「約束したからね」


 朝日が僅かに昇る頃。

 昨日と同じ場所で、テオは画材を持って待ってくれていた。

 彼は約束を破ったりしない。

 そんな“約束”のひとつが、呪縛となってこの悲しい事件を生み出した。


「トーマス先生の部屋で保管していた、マルコ様の肖像画も燃えてしまいました。是非リリ様にも見てほしかったな」

「出っ歯も忠実に描いたのか、それだけ教えて」

「描きましたよ。かなり控えめに」

「歴史の教科書の肖像画とか、やっぱり信じるな、ってことね」

「肖像画で大事なのは、本人が納得する作品に仕上がるかですから。……はい、出来ました」


 筆を持ってから一時間ほどで差し出された画用紙には、優しいタッチで少しだけ哀しそうに笑う私の姿が描かれていた……ただ、ニ点だけ気になる箇所がある。


「この絵、眼鏡もしてないし、瞳の色も……」

「昨日は色を着ける前でしたからね。火事のとき、本当のお姿を見て少々修正させて頂きました」


 そうだった。

 あの時うっかり眼鏡かけるのを忘れていたのだ。

 まぁウィルも忘れてそうだし、ギリギリセーフかな。


「瞳の色も黒いだなんて、珍しいですね。どちらも生まれつきなら、お伽話の女神さまみたいだ」


 気づいて言ってるのかわからないけど、今はその話題には触れないようにしておこう。


「ねぇ、この後どうするの?」

「そうですね……とりあえずトーマス先生のご遺体が運び出せる状態になったら、一刻も早くご自宅に戻して差し上げたいので、今から荷造りをします」

「そっか……」

「では失礼しますね」


 立ち上がって戻ろうとする背中に、私は声をかけた。


「テオくん。――指輪、落としたよ」


 振り返り、テオは握った私の拳を見開いた目で見つめた。

 私の手には何も握られてなんかない。


「ゆ……びわですか?なにかの間違いでは?僕は指輪なんて持っていません」

「じゃあなぜ今ズボンのポケットを触ったの?」

「……どこまで」


 テオは私を真っすぐ見つめてこう言った。


「貴女はどこまで気づいているんですか?」



 ◆◆◆◆◆



「先に断っておくと、今から話すことは全部憶測。私の想像。間違ってたら否定してくれて構わない」

「わかりました」

「まず、出火原因は二階の机にあった煙草。これはちゃんと調べればわかるはず。トーマスさんは喫煙者だし、煙草の火の不始末なんてよくあることだから、なんの不思議もない。……あるとすれば、机に撒かれた油絵用の油。昨日は天気が不安定だったから、湿気が心配で撒いたのかもしれないけど、臭いが独特だし、机回りだけやけに油でギトギトだった。ハンカチで拭き取ってマルコに嗅がせたら「油絵に使うテレピン油の臭いに似ている」って答えたわ。多分そんなことしなくても、部屋に置かれたワインと本、それから保管されていた絵画でよく燃えたはずだけどね」

「なるほど。確かに先生は寝煙草をすることもあったし、酔った先生を介抱したことも一度や二度じゃありません。でも、机に油が撒かれていたから事故ではないと決めつけるのは、根拠として些か弱いのでは?」

「他にも不審な点があるわ。もしかしたら……直接殺害する以外に、別の目的が犯人にはあったのかもしれない」

「というと?」

「おそらく欲しかったのは指輪ね。昨日お昼にお喋り好きの三姉妹から聞いたの。トーマスさんが沢山つけていた指輪は、自宅にある地下室の鍵にもなっているって。娯楽室でチェスの三番勝負に負けたトーマスさん自身が言っていたそうよ」

「ヴィンテージワインも沢山所有されていましたからね。犯人がいるとするなら狙いはそれかも」

「人目のつかない深夜に、あらかじめトーマスさんの別荘の鍵を預かっていた犯人は、睡眠薬で熟睡しているのを確認してから指輪を外そうとした。ただ、ここで一つ想定外の問題が起こった。奪うはずの指輪が、指から中々外せなかったんでしょう。そこで、仕方なくナイフ……ペインティングナイフって言うんだっけ?何かしらの刃物で指を切ってから指輪を外し、それから煙草に火をつけた。握りこまれるように変形することはあっても、燃えたからといって、あんな風に指は普通千切れない。焼けた遺体を見て感じた一番不自然な点よ」

「中々大胆な推理ですね。でもわざわざ地下室に入るために、そこまでする犯人の気持ちはわからないな……結局のところ、僕が犯人だと言いたいんですか?」

「今のところ決定的な証拠は何もないけどね。深夜で目撃者は誰もいないし、警備の目は外に向いていた。あなたが持っている指輪だってなんとでも言える」

「それなら黙ってようとは思いませんでした?」

「思ったよ。思って、考えた上で話しに来たの」

「なんのためですか」

「あなたの罪を知ってる人間がいるってことを、この先忘れてほしくなかったから」

「それだと……胸の内秘められるリリ様もお辛いでしょう」

「辛くても、それが今の私にできる、最良の選択だと信じてる」

「……“最良の選択”、か。僕は今でも何が最良だったかなんてわからないから、羨ましいです。面白い話をありがとうございました。次は是非、油絵でリリ様の肖像画を描かせてください」


 そう言って、今度こそテオは荷造りをしに、部屋へと戻って行った。


 指を切られる痛みで起きないとも限らないと考えれば、燃やすより先に窒息させた可能性は極めて高い。

 普通、事件性がある場合は司法解剖が行われる。

 死んでから焼かれるのと生きたまま焼かれるのでは、口腔内や気管の状態は異なる。

 この世界で、彼を捕まえることも、罪を裁く権利も私にはない。

 ただ、自分が何をしたのか、向き合うことなく生きてほしくはないと、心からそう願った。



 ◆◆◆◆◆



「シャルロットが見たら『はしたないです!』って怒られますよ」

「ウィル!いたなら普通に声かけてよ!」


 小川にかけられた小さな橋に座って、スカートを膝上までまくりながら足先を冷やしていたところに、背後から声を掛けられた。


 テオは言っていた通り、トーマスの亡骸と共に午後には帰ってしまった。

 警察の代わりである自警団に、事件性は低いと判断されたのだろう。

 それに彼にはまだやり残したことがある。


 私はというと、肖像画のお披露目がなくなった上に色々あって魂が抜けそうになってるマルコに同情して、もう一日滞在することにした。


「ローズさんのそばにいなくて大丈夫なの?」

「ええ。すっかり良くなったらしいんで、我々と同じく明日帰るらしいですよ」

「ふーん」

「なんですか、その態度」

「別に、美人のご令嬢と仲良くなっても私には関係ないし、ウィルは仕事で私の様子見に来てくれたんだよね。これはこれは邪魔して申し訳ない」


 刺々しいぞ、私。

 もう少し言い方考えられないのか。


「……そういえばローズ様と一つ秘密を共有してしまいました」

「えっ!?」


 ひ、秘密!?もしかして助けてもらったお礼にキスとかそういう……


「結婚前に他の男に触れられた挙句、お姫様抱っこされたなんて知れたら大変だから、このことは墓場まで持っていきます!だそうです」

「結……婚?」

「はい。再来月だそうですよ。最後に姉妹水入らずで思い出を作りに来たら、大変な目に遭ったと仰ってました。あ、リリ様も是非式にご参列くださいとのことでした」


 な、なんだ……。

 勝手に誤解して嫉妬しちゃってごめんなさいローズさん。ご祝儀は沢山包ませて頂きます。

 てか嫉妬って……嫉妬ってなに!?


「ちょっと失礼しますよっと」


 ピンボールみたいにあっちこっち跳ねる思考を後ろへ転がされるように、ウィルが私の身体をひょいと持ち上げてお姫様抱っこをする。


「ひゃ!」


 人生経験は仕事柄豊富なつもりだったけど、これは初めての体験。

 視界の高さがいつもと違って変な感じ。

「お腹空いたんで、昨日の卵のやつもっと作ってください。このまま厨房へお運びします」

「……し、仕方ないな」


 一番遠くにあるはずなのに、母屋までの距離がもっともっと長ければいいのにと、私は大人しい猫のように心地良い温もりの虜になってしまった。

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