23話 幻の肖像画④
三日目早朝。
まだ太陽が昇りきらない薄闇が広がる時間。
そんな黎明とも言える朝の空気を、肺いっぱい吸い込みたくなって、私は二階の寝室のカーテンを開いた。
すると、向かいの別荘の入り口に人影が見えた。あの黒髪はテオに違いない。
出てきた別荘はトーマスのものだ。
こんな朝早く用事でもあったのだろうか。
その時は特に気にせず、私は身支度を済ませて母屋へと向かった。
昨日夕食の食器を戻した際、厨房の人にある“お願い”をしていたからだ。
◆◆◆◆◆
「作ったんですか?リリ様が?」
驚いてる驚いてる。
中々いい反応してくれるじゃない。
早起きした甲斐があったな。
「全然手は込んでないけどね。パンとバターと卵と野菜、ソーセージくらいしか使ってないし」
「この黄色いのはなんですか?」
「まぁまぁ、食べてみてよ」
味見もちゃんとして大丈夫なはずだけど、口に合うかどうかは正直不安だ。
ガイを凝視しながら反応を窺う。
「……美味い」
「ほんと!?」
マヨネーズから作った卵フィリング。
それをパンに挟んだシンプルなサンドイッチだ。
数少ない私の料理レパートリーの一つだけど、こっちの世界でも通用することがわかって一安心した。
「初めて食べた味なのに、卵の風味が素朴で、パンに挟むとしっとりしてとても美味しいです」
普段口数少ないガイの完璧な食レポに、私も食べたくなってきた。
「美味しいって言って貰えてよかった。材料余ってるし、ウィルにも後で渡してみようかな」
ふと、ガイの手が止まった。
「その……俺は、ただの味見役ですか?」
「ん?」
そんなに見つめられたらパンが喉に詰まっちゃうよ!?
「あ、おはようございます。お二人とも朝早いんですね」
私たちのいる小川に、画材を手に持ったテオがやってきた。
た、助かった……。
「お、おはようテオくん。水汲みに来たの?」
「はい。朝目が覚めて、久しぶりに水彩画を描きたい気分だったので……そうだ、モデルになって頂けませんか?」
「へ?私!?」
微笑むと年相応の男の子っぽさが滲み出る。
特に断る理由も見つからず、私は絵のモデルを引き受けることになった。
忘れ物をしたというテオが自分の泊まる棟に一度戻る背中を見送りながら、ガイが朝食を入れてきたバスケットを持ち上げ、こう呟いた。
「あのテオって少年……なんか、見てて危なっかしいですね」
どちらかと言えばしっかりした少年だと思ってたけど、そう言われるとどこか納得できる部分もある。
そんな意味深な言葉を残して、ガイは母屋に借りたバスケットを戻しに行ってしまった。
◆◆◆◆◆
「リリ様の髪はとても綺麗な黒髪ですね」
この年齢の子が、年上の女性に照れもせずさらっとそんなこと言えるなんてすごいな。
お世辞でもちょっと嬉しい。
「あ、ありがとう。テオくんも黒髪で、最初見た時親近感覚えちゃった。男の人の黒髪ってこっちだと珍しいよね」
「そうですね。黒はどちらかと言えば女性が好む髪色ですし、男だと暗い印象を持たれるので、社交界にはあまりいないかもしれません。僕も地毛は金ですが、あえて染めているんです」
「なんで?黒がカッコいい!ってなっちゃった?」
「……金色が、嫌いなんです」
予想していた中二病的な理由とはどうやら違うようだ。
こっちの世界で金髪の人を見る度、綺麗だけど純日本人な顔立ちの自分には似合わないだろうな〜と、彫りの深い顔を羨ましく思ったけど、テオも将来が楽しみなアイドル系のベビーフェイスで、金髪が似合わないというわけではなさそうなのにな。
まぁ自分の容姿にも悩む年頃なのだろう。
それ以上はこの件について言及することはなかった。
――ポツ、ポツ
気づくと頭上に灰色の雨雲が広がっていた。
「雨が降ってきましたね。これから着色しようと思ってたのに残念だ。今日はお開きにして、また明日お付き合いくださいますか?」
「もちろんだよ。出来上がりが楽しみだな」
そう言葉を交わして、私たちはそれぞれの別荘へ一旦帰宅した。
◆◆◆◆◆
雨音の中、早起きのツケで二度寝をしてしまったらしい。
外からノックする音に起こされ、扉を開けるとガイと、遠征を終えたウィルが立っていた。
「ウィル!遠征無事に終わったんだね!お疲れ様」
「はい。なんたって女神様の加護がありますからね」
危険を伴う遠征もある、とシャルロットに聞いたことがあったから、内心とても心配していたのに、本人はいたって余裕の表情だ。
でも本当に無事で良かった。
「ガイはこれから戻り?」
「はい。短い間でしたが、とても楽しかったです」
「またあとで王宮で顔合わすのに大袈裟なんだから。私も楽しかったよ。気をつけてね」
「はい。ウィリアム様、リリ様をよろしくお願いします」
「ああ。任せとけ」
「あ、私外の入り口まで見送るよ!」
「いえ、まだ雨が強いので濡れてしまいます。あと、ウィリアム様はまだ何も食べていらっしゃらないそうですよ」
「え、じゃあ朝食に作った余りがあるから、とりあえず中で……」
部屋の奥に視線をやった一瞬の隙に、「失礼します」と言い残し、ガイは雨の中駆け出して行ってしまった。
「あいつと何かありました……?」
「……ないと思うけど」
朝と違ってなんだかよそよそしいガイの態度に、一抹の寂しさを感じて私は首を捻った。
◆◆◆◆◆
夜になり、雨はすっかり上がって、虫の鳴き声が聞こえる。
私は夕飯の時間まで、ウィルに今日まであったことを話したり、遠征についての話を聞いたりした。
「湖の調査?」
「はい。この間の湖も含めて、国には全部で6つの湖があるので、その調査をしていました。湖の近くの村では女児の行方不明者も出ているという報告もあり、ミアの件とも何か因果関係があるのでは……そう思ったんですが」
結果は成果なし……一旦引き上げることになったそうだ。
「そうだ、それよりもリリ様……ちゃんと眼鏡かけてますか?」
ギクッ。部屋の中だから油断してた……なんて言ったら怒られるのな。
「ちゃ、ちゃーんと移動中と人前に出る時はかけてましたよ!ほらこのとおり」
私はポケットから眼鏡を取り出して装着した。
そういえばウィルにこの姿見せるの初めてかも。
じ〜っと難しい顔をするウィルの顔を見上げると、眼鏡を取り上げられてしまった。
「あっ……」
「やっぱり俺と二人の時は掛けてなくて大丈夫です」
なにそれ……と、言葉を漏らしてしまいそうになったが、ウィルがそう言うなら仕方ないわね、うん。
私もできることならクソダサ眼鏡越しに見つめられるより、素顔で見つめられたいもの。
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