12話 冷静と戸惑い
「そろそろ戻るとするか」
「お兄ちゃん、さてはお腹が空いたんじゃないでしょうね」
「そ、そんなことないさ。妹の愛情たっぷりのサンドイッチは、たとえ一つでもお腹にたまるな~」
そんな兄妹のやり取りに苦笑していると、近くで花を摘んでいたミアの姿がいつの間にか視界から消えていた。
さっきまで確かにそこにいたのに……。
来た道のほうを見ていると、不意に後ろから、
――バシャン
と、大きな水音がした。
「ミア」と声を上げるより早く走り出したウィルは、腰に下げている剣を投げ捨て、迷うことなく湖へと飛び込んだ。
波打つ湖面に近づき、リーゼと祈るような気持ちで見守る。
「なんで……さっきまで近くにいたのに……」
リーゼの言うとおり、不可解なところがあった。
いくら目を離したと言っても、ミアがいた場所は湖から10mは離れていて、私達全員に気づかれず子供が走り切れるような距離じゃなかった。
とにかく、今はそれよりもミアとウィルの安否が心配だ。
一秒がいつもよりも長く感じる。
――ブクッ……バシャッ
湖面からウィルがミアを抱えて姿を見せた。
サンドイッチを入れていたバスケットが浮きになればと、ウィルのいる方角に投げ込み、ウィルはそれに掴まりながらほとりまでミアを抱えながら泳ぎきる。
「ミア!ミア!」
横たわりぐったりするミアを見て取り乱すリーゼと対象的に、私はやけに冷静だった。
意識確認、気道確保、人工呼吸。
実習訓練で習ったことを思い出して、口から空気を繰り返し送り込む。
ばら色の頬が見る影もなく青ざめていた。
お願い……息をして……!
「……っくケホッ、ゲホ!」
水を吐き出すミアを急いで横向きにして、素早く上腹部を押さえる。
「よかった……」
自発呼吸が戻り、ホッと胸を撫で下ろす。
体温が下がり過ぎないよう、リーゼに敷物の布を服代わりに着させてあげるように言うと、落ち着きを取り戻したのか、テキパキと動き始めた。
ウィルはミアの無事がわかるとその場に座り込み、天を仰いでいた。
「ウィル?大丈夫……?」
「あ、ああ……。ミアのこと、助けてくれてありがとうございます」
「あ!無理しないで……!」
立ち上がろうとするウィルを、両手を動かして制止する。
「……すみません」
力なく再びその場に座り込んだターコイズの瞳に、いつもの輝きがない。
一人娘が溺れて、親として動揺したのは当然だろうけど、それだけが理由じゃないような……。
「ミアちゃんは私が家までおぶって行くから」
「いや、俺が……」
今度はウィルの肩にしっかりと手を置いて、勢い余っておでこが軽く(ほんとに軽く)ぶつかった。
「いいから。ウィルも体力消耗して身体が冷えてきてる。今はとにかく早く戻ろう」
「……わかりました。頭突きされるかと思って肝が冷えたんで、帰って温まりたいですね」
少し緊張の糸が解けたのだろうか。ウィルの口元が綻んだ。
今は何が起きたかより、二人を一刻も早く休ませてあげたかった。
◆◆◆◆◆
「今日は色々とすみません」
ウィルが自宅の暖炉の前で、同じく椅子に腰掛ける私にそう声を掛けてきた。
リーゼの作ってくれた野菜のスープが入った器を手に、
「ううん、二人が無事で本当によかった」
近くのベッドで寝息を立てるミアの様子に安心する。
「あの、ミアにしてたやつはどこかで習ったんですか?」
救急処置のことだろうか。
まさかこんな形で役に立つ日が来ようとは、自分でも驚きだ。
「あ、うん。元いた世界で、実習受けたことがあって……」
「へぇ。医者や医療系魔法が使えなくてもあんな風にすぐ助けることができるって凄いな」
そうか、ここだと変に便利な魔法使いがいるから、ただの人ができることなんて限られているというのが、一般的な考えなのかもしれない。
「大したことじゃないよ。よかったら今度教えるし」
「……でも、どっちが助ける役でも緊張してしまうかもしれません」
優しく微笑みかけるウィルに、一瞬フリーズしてしまった。
緊張?何に!?
「スープ、温まりましたか?」
台所にいたリーゼが絶妙なタイミングでこちらに来てくれた。
「う、うん!美味しかったです!ごちそうさま!」
「それはよかった。器、貰っちゃいますね」
そう言って私の手にあった空の器を取り上げ、リーゼは再び台所へと姿を消してしまった。
私は慌てて話題をミアやリーゼについて、ウィルにあれこれと質問した。
目の前で真っ赤に燃える炎のせいか、顔が少し熱く感じたのは、きっと気のせいだろう。
◆◆◆◆◆
王宮の自室に戻って、思わず鏡を覗き込んだ。
なんだか今日は色々あったけど、ウィルの家に着いてから自分がどんな顔をしていたか、うまく思い出せない……。
ミアが大変な目に遭ったというのに、送って貰った帰り道でも――
『最近ミアが、髪を可愛く結んでほしい!って言ってきて……』
『フフ、女の子だからね。そういうお年頃なんだよ』
『リリ様はいつも髪を後ろで纏めていらっしゃいますよね。ご自分でやられているのですか?』
『まぁね。シャルロットが「たまには下ろしてみては?」って言ってくれるんだけど……なんか落ち着かなくて』
『そうですか……俺も少し、見てみたい気がします』
『へっ!?』
『あ、えっ……と、興味があるというか、その、ミアの髪型の参考にとでもいいますか……』
『あ、あー!そういうことね!そういうことならうん、今度下ろしてみようかな』
――というやり取りがあり、自室で髪を下ろした自分の姿をまじまじと見つめてみた。
「……編み込みの練習でもしておくか」
次に会った時、ウィルがすっかり今日の話を忘れていたら、恥ずかしさで死ねるかもしれない。
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