精霊界



 緑豊かで、鳥や妖精がそこら中を飛び回り、太陽の光が燦々さんさんと降り注ぐ、この場所はまるで天国のようだと、フレイディンは思った。かつては、もっと上の階層に居たのだということを思い出すと、少しの怨念おんねんが湧く──。


「随分久しぶりに来たな…ここへは」


 地獄の王が来たことで、フレイディンの周囲数メートルにある草木が歩みを進めるに応じてしおれていく。それをはばむ様にして、この階層の主が現われた。背は低く、銀色に輝く髪、空と同じほど青い瞳、みどり色を基調とした衣装を纏う、精霊界の王ワイスだ。


「地獄王が、こんな上層階まで来るとは何事だ……自分の立場と仕事くらいは、理解していると思っていたが───」


 彼が少しの怒気を含んで話していることが分かる様子を見て、フレイディンはさっさと用件を済ませてこの場を去ろうと、外套がいとうの中に仕舞い地獄の空気から守っていた妖精を、人差し指と親指でつまんでワイスの目の前に差し出した。


「精霊王、お前のトコの子どもを持って来てやったんだがな?そんな風に言ってのけるのは想像にかたくない、俺も勧んでここまで来たりはしない」


 眉間に皺を寄せ、少し機嫌が悪そうな顔をしていたワイスだったが、どうやら彼をその状態にさせていたのは、この妖精の子どもの行方にあったらしい。視界にソレが入った途端に、青い瞳がキラキラと輝き始めた。


「おおっ!この子を探しておったのだ!!どこで見つけた!?」


「地獄界の砂漠の階層だ、熱と乾燥で死にかけていたぞ」


 フレイディンが言葉にしたのは、地獄界の中でも比較的軽い罪に問われた者が送られる階層の事だった。ワイスが、朝方あさがたに乗った魔法式エレベーターに誤って子どもも乗り込み、魔法壁まほうへきの隙間から何百階層も下まで落ちてしまったのだ。丁度そこにフレイディンがフラッと散歩で訪れ、ついでに罪人たちの魂が順調に浄化されているかを確認していると、有り得ない光景を目にした。普通なら妖精の子どもがいる場所では決してない、それで不思議に思ったフレイディンが保護して城に持ち帰ったのだ。


「……そうか…見つけてくれたことを感謝する。用件も聞かずに責めて、すまなかった」


「気にするな、本来なら精霊や妖精などが足を踏み入れない下層階だからな──俺のほうが近かっただけの話だ。じゃあな」


 精霊王に背を向けて漆黒の長髪を風に靡かせ、クルリときびすを返したところへ、少しバツが悪そうにワイスが声を掛けた。


「待て、礼をしたい……最上階には私が説明しておくから、こっちへ…」


「……?…あぁ、俺は構わないが…」


 とは言っても、精霊界でこれ以上歩みを進めて、周囲の草木を枯れさせる訳には行かない、という事で、今いる場所に洒落しゃれた白いテーブルと椅子を二脚用意し、そこで精霊王自らティーカップに茶を注ぐ。


「さぁ、飲んでくれ。最上階で手に入れた朝露あさつゆの紅茶だ、中々美味いぞ?お前の舌にも合うはずだ」


「…美味いな。久しぶりに、こんな美味い茶を飲んだ……今の最下層には食い物すらないからな」


 紅茶を口に含み、しっかり味わいながら飲み込むと、フレイディンは微笑んだ。元々彼は、だいの紅茶好きだ、地獄界に住んでいる者達は最上階まで行くことが出来ない仕組みになっている。よって、この様な紅茶を飲む機会は本来なら無い、フレイディンにとっても貴重な出来事だ。


「お前は…どうだ?天界にいた頃と比べて…」


「俺の生活は最下層の管理を任される前と、能力以外はそう変わらない」


 ティーカップを置いて、かつての自分の生活と今の自分を比べ率直な感想を述べると、精霊王ワイスの表情が曇る。しかし、事実フレイディンの生活は天界での生活より、ずっと快適で居心地がいいと、彼自身は思っていた。常に怒りを持って生きているのはフレイディアの方だが、それはワイスに言わなかった。


「…無実を訴えようとは思わないのか?最初の頃は、無実を証明しようと走り回っていただろう」


「─ふっ…そんな時期もあったな……でもな、戦時中の、あの時の暗殺者は俺ではないと今また言ったところで、誰も信じないだろう」


 それは、数千年前のことだった。当時の天界王族で王位継承権第一位の現天界王アカリオンを、当時家庭教師をしていたフレイディンが、ティータイムに毒殺しようとしたという事件が起こったのだ。ティーカップに毒がはいっていたのだが、毒の量が少なく、死には至らなかった。不運なことに、その時のお茶を入れたのがフレイディン、事の全てを見ていたのがワイスだ。


「それに俺は、今の役職に満足している。あの時の暗殺者の魂は最下層で、激痛のなかろうに入れられ生き続けているしな」


 当時は、必死で自身の無罪を訴えたが、王子と精霊王の発言により、家族以外はフレイディンを信じることもなく罰として文字通り、家族共々奈落の底まで堕とされた。後に本当の暗殺者が捕まり、王と王子、精霊王から謝罪を受け、フレイディンの家族は許さなかった。代わりに得た能力が、地獄の王に相応しいものだった。フレイディンとフレイディアは、その点に関してだけは天界に感謝している。


「毎日それを見に行くのが、俺の唯一の楽しみだ」


「……流石だな」


「そうか?まぁいい、朝露の紅茶、美味かった。ありがとう、精霊王ワイス」


「私が思っていたより、お前は地獄が似合う王らしいな。また会う機会があったら、茶を飲もう、地獄王フレイディン」


 ワイスの言葉に一度だけ頷いたフレイディンは、カタリと椅子から立ち上がり、その場を去ろうとする寸前、ポンッと両手を打ち合わせて口を開いた。


「──そうだ、忘れる所だった。俺の姿が消えるまで、エレベーターのすぐ前にシールドを張ってくれ。瘴気が舞うからな」


「分かった」


 承諾の返事を確認すると、ようやくフレイディンは帰路に着いた。魔法式エレベーターに乗り込み最大魔力を一瞬だけ注ぐと、我が家までほんの数秒で戻ってきた。地獄界の最下層へ到着したフレイディン、飛行可能な蒼い外套がいとうで我が家へのんびりと飛んでいく。


(地獄王なんて呼ばれてるのか俺は…いやソレも今更か。あれから何千年が経ったんだろうな…)


 残されてシールドを張って終わったワイスは、妖精の子どもを撫でながら天を仰いだ。魔法式エレベーターは、魔法を動力とする乗り物だ。吹き込まれた魔法の形式で、どこへ行くのかが決まる、上がる時は光属性の魔力に近い魔力を絞り出して、帰りは瘴気を生み出す本来の闇属性の魔力でという風に。光属性に近い魔力を操るのが、地獄界の住人にとって如何いかに難しいことか、フレイディンとフレイディアが、どれほど妖精を大事に扱っていたか、ワイスにはよく分かった。


「全階層中、唯一の呪術使いの一族か……もう二度と怨みを買わない様にしなければな」





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