豚美の餌

 ***


 帰り道、両親から「なんでそんなことしたの」と叱られ、相手にやられたんだと伝えても男子たちの策略通り傷跡なんてないものだから信じてもらえない。「もしやられたんだとしても暴力ではなにも解決しない」と丸め込まれてしまい、じゃあどうしたらいいのかと問うと「話し合いをするのが大切」などと言われ、あのねぇ、あんな猿みたいな連中と話し合ってなにを話し合うんだ、「いじめはよくないからわたしをからかうのはやめましょう」とでも言うのか? そしたらまさか、「そうだね、いじめはよくなかったからやめるね」なんて返ってくるとでも? アホらしい。大人はそんなに単純な世界で生きているのか? そう思っていきどおっていると「チエは気が短くて、せっかちなところがあるから」と性格で片付けられてしまい、もはや親と話すのも疲弊して、黙って家に帰ることにした。

 家に帰ってきて鏡を見ると豚美がやけに元気なことに気がついた。でっぷりと太って満腹になり、眠そうにしている。まるで食べきれないほどのえさを与えられたあとみたいだった。幸せそうな表情。そこでわたしは、はっと気がついた。

 そうか、豚美はわたしののだ。わたしが剃刀かみそり眉間みけんを切ったときや、クラスの男子たちからいじめられたとき、そして担任から理解されず一方的に叱責しっせきされたとき、鏡の向こうで豚美は元気であった。これまでも一日がなんとなく憂鬱ゆううつで楽しくなかったときや、両親から叱られていじけているときも、豚美はたしかに嬉しそうで満腹そうだった。

 豚美がなにを食べるのか気になっていた。鏡の向こうの存在だから、食べものはどうするものなのだろうと。ジェスチャーで餌をあげる動きをしてみたこともあった。しかし豚美は反応しなかった。実際、食べものを何も与えずとも、豚美は変わらずぶうぶういっていた。おそらく三度の食事とか、そういったものとは無縁な存在なのかもしれないと、なんとなく理解したつもりになっていた。しかし食っていたのだ。豚美は。わたしの苦しみを。

 

「そうか、なるほど……」とわたしは鏡に向かって、ひとりごとを言った。豚美はわたしの苦しみを餌にして生きているのだ。わたしが苦しいと、彼女はおいしいごちそうをたらふく食べることができる。つまり、わたしの苦しみは豚美の食事であり、豚美はわたしからそれを食べてくれる存在ってことなのだ。

 なんてありがたい。なんて優しい豚なのだろう。わたしは感動した。感動して目尻から涙がこぼれた。豚美はきっとわたしのために生まれてきてくれた奇跡の豚なのだ。わたしがいじめられたり、揶揄からかわれたりするのを、あらかじめ知っていて、それを助けるために、豚美は苦しみを食うために現れてくれているのだ。

 わたしの苦しみは無駄なものじゃない。わたしが苦しむことで豚美が喜び、幸せに太ってくれるのだから。そう思ったらわたしは豚を健やかに生かすために、淡々といじめられつづけることを受け入れることができた。男子たちがいかに狡猾で残忍であろうとも、担任や両親にわたしの苦しみが理解されなくとも、誰もわたしのことを助けなくとも、今の状況が豚美のためになると思えば、豚美が苦しみを食べてくれると思えば、いきどおりの深いこの状況も意味があることだと思えてきたのだった。


 豚狩りは小学校を卒業する前までつづいた。4年生の途中から約2年半、わたしは男子たちの狩りの欲望を満たすにため、ずっと叩かれ、蹴られ、脅され、侮辱された。わたしも彼らの望むままに振るまってやった。豚美に餌を与えるためだ。鏡に映る豚美がいつも元気に健やかに、わたしへぶうぶうといってくれるため。そのためなら苦しみの多いこの状況に耐えることもできたし、現状を多少でも前向きなものとして捉えることができた。

 いじめに対して腰を据えたことによって良いこともあった。男子らの要求を整理してみる余裕が生まれた。彼らの要求はあまりに愚かしく共感不可能ながら、とてもシンプルである点においては一応、理解可能なことだった。


――――――――――――

 ひとつ。

 わたしが攻撃すべき理由をもった豚であること。その理由は彼らにとって醜く、不可解であればなんでもよく、代表例として太っている、まゆ毛がつながっているなどがあった。


 ひとつ。

 わたしは彼ら自身の有能さを実感するための的であること。彼らが実感したい有能さとはひとえに物理的な攻撃力であり、同時に狩り仲間を盛り上げる度胸の良さでもある。


 ひとつ。

 わたしが彼らにとって撃退可能な弱さであること。意外なことに彼らはわたしにどこか怯えていた。対象があまりに強いことは彼らの望むことではないらしかった。


 ひとつ。

 わたしが彼らの攻撃を最終的に受け入れてくれる存在であること。無茶苦茶もいいところだが、彼らはわたしを攻撃しつつ、わたしから受け入れられ、認められ、許されることを期待していた。

――――――――――――


 つまり彼らはのだった。まるで母親からしてもらうように、自分自身の存在を認めてもらい、ありのままに受け入れて欲しいと思っているのだ。その表現における自分たちなりにとがったかたちとして、わたしをブタとさげすみ、上履きで叩いたり、体操着を花壇に埋めたり、ランドセルに何百個もセミの抜け殻を入れたりするらしかった。相手が予想外の行動や、相手が嫌悪する行動をして、それでも相手が許してくれることを確認して、初めて自分が安心感や幸福感を得られるようにできているらしいのだ。

 なんと気持ちの悪い性分だろう。

 同時に彼らの要求を理解したうえで、彼らがわたしへの攻撃を深刻にエスカレートさせないであろうことも予測できた。わたしに傷がつくのを恐れているのであれば、彼らは金銭を要求したり、カメラで裸をとって脅迫したり、物を盗ませたり、他人をいじめさせたりするようなことをする可能性はほとんどない。それでも男子たちがやり過ぎることはままあったし、そもそも理由なく、こんなにも攻撃されつづけるわたしとは、いったい何なのだろうと自分の存在を虚しく思い、しかしそう苦しむことで豚美が今、腹を満たしているのだと思えば、それでなんとか今の状況を耐えしのぐことができるから別にいいのだと考えた。


 ある男子が「おい豚が今、ブヒって鳴いたぞ」と言った。それを聞きつけた仲間の男子が「おっと、つい豚の本性が出ちゃったかな?」と言う。何人かがはははと笑う。わたしは彼らに「はぁ?」と言ってから笑顔をつくる。すると少し不安な顔をしていた男子が、ふっと緊張をゆるめるのがわかる。怒りを買うようなことをしながら、怒られるかもしれないと怯えていたのだ。わたしが笑っているから安心したのだ。男子はすかさず「はぁじゃないっしょ! 豚はブヒブヒブブヒーでしょ!」と言う。調子にのって一段階、アプローチを強めてきたのだ。男子たちがどっと笑う。いったいそれの何がおもしろいのか。わたしにはわからない。豚はブヒブヒブヒー? なんて単純で頭の悪そうな言いまわしなのだろう。その程度の低さに思わずわたしが笑顔を忘れていると、気に食わなかったのか、別の男子がわたしの背中を蹴った。そして「おい豚が怒るぞ! 今のうちに仕留めろ!」と言う。わたしはその男子のほうを向いて「なにすんだ」と言い、追い回す。もちろん追いつかない。わたしは太っていて運動神経が悪いし、彼らはほぼ全員、足が速い。「豚がきたー!」と言って散り散りになる男子たち。しかし人員は自然とわたしを囲んで円形に配置される。髪の毛を後ろからつかまれる。「痛い!」と思わず声をあげると、「豚キャッチ!」と言って男子が笑う。「やめて!」と叫ぶが、もちろん、やめてもらえるとは思っていない。こいつらはやめない。「オラオラ」と言って髪の毛をもったまま、わたしの頭を振り回そうとする男子。痛み。「ねぇほんとやめて!」と言う。もちろんやめない。別の男子ふたりがわたしの足をつかんで転ばせる。尻もちをつく。髪の毛は離されるが、両足をそのまま持ち上げられ、仰向あおむけに倒され、開脚させられる。同時に別の男子がわたしの手をつかんで持ち上げる。「豚の丸焼き完成!」と言うと男子たちが爆笑する。そのあと「豚のけつー」と言って、わたしの体操着を半分おろし尻を出させる。「おい!」とわたしは叫ぶ。それを聞いて男子たちはより楽しそうに笑う。「大丈夫だよ! おまえのケツなんか見たくねえから!」と笑う。なにが大丈夫なんだ? なにが楽しいのだ? 女の髪をつかみ、女のまたを広げて尻を見せ、豚とあざ笑うことの、なにが楽しい? なにが豚の丸焼きだ。なにがケツだ。おまえら全員、飢えてもいないじゃないか。家でご両親から毎日、おいしい食事を食わせてもらっているお坊ちゃん風情だろうが。飢餓で殺さねば生きられぬような野生で生き抜いているつもりにでもなっているのか? まさか冗談だろう? 定規で叩かれただけで泣いてしまう、おまえらみたいな奴らが。人間として守られていなければ、日々の衣食住を与えられ、十分な医療によって生かされ、義務教育によって知能を与えられ、親の資金で玩具や趣味を与えられ、訳もわからず生きているだけでなんとなく質の良い生を営めるように周囲からお膳立てされていなければ、実質、家畜にも満たないような低俗な分際が、おまえらなのに。怒りと恥でみるみる顔面に血が昇るのがわかる。涙がにじむ。「豚が泣くぞー! チエブタ仕留めたりー!」と最初にちょっかいを出してきた男子が喜ぶ。わたしは「うるさい」と叫ぶが、しかしそれ以上はなにも言わない。実際、小学校5年生くらいになると、男子たちの精神をえぐるような言葉のいくつかを、わたしにはすぐに思いつくようになっていた。しかし言わない。言葉で彼らの心を抉り、傷つけ返すのはから。わたし勝ち取るべきものは、守るべき相手はこいつらではない。彼らは低俗な行動に満足したあと、この場から去る。これはそれで終わるのだ。


 男子たちが去ったあと、わたしは尻を出したまま、仰向けになって涙を流している。生理じゃなくてよかったと思う。もし生理のときにこういうことになったらどうなるのだろう。男子たちは血に怯えるだろうか。おもしろがって笑うだろうか。奴らは何をするかわからない。ナプキンを取り上げて、教室に投げ入れて遊ぶかもしれない。でもそれは学級問題になるし怒られるから、先まわって考え、さすがにやらないかもしれない。でも男子トイレで遊ぶのはありえそうだ。豚の血とかいって。わたしの口にナプキンを詰め込んでくるかもしれない。十分、ありえる。あぁ気持ち悪い。どこまでも気持ちの悪い奴らだ。

 仰向けのままいろいろなことを考えている。誰も助けには来ない。そもそも誰も来ないときを見計らって、男子たちが攻撃しているから来るわけがない。わたしも助けを求めない。別にいい。ひとときのことだ。そして彼らは満足した。もう攻撃はお終いだ。次の機会までは。


「豚美は喜んだかな……」


 そう思えば苦しくなかった。不思議ともう過ぎたことなのだと思えた。どろどろとした胸のつかえが、豚美を思うときれいに、爽快に流れ去っていくのがわかった。どうやら、わたしは豚美がいれば、どんな状況でもわたしのままでいられるらしいのだ。トイレに行って鏡を見た。いつもの調子でぶうと豚美が鳴いた。わたしの苦しみは、たしかに豚美がたっぷり食べてくれたようだった。豚美はしあわせそうだった。わたしも幸せだった。わたしたちは鏡を挟んで微笑みあった。

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