豚の呼びかた
***
わたしは幼年期から「チエブタ」と呼ばれることをごく普通のことと受け止めて生きていた。そこに問題はなかった。しかし小学生になって年齢があがるにつれ状況が変わりだした。
豚であることがだんだんと問題になってきた。
わたしをブタと呼ぶことで
小学校3年生の中頃くらいだろうか。ある時期から同じ「チエブタ」の呼び名のなかに、さも豚であることが恥であるように、豚であることが不幸であるかのように振る舞う意図が見え隠れするようになった。豚の呼び名を通して、わたしをあざけ笑ったり、ありもしない哀れみを向けたりする人間が目につきだしたのだ。
蔑みの意図はさまざまなニュアンスに紛れ込んだ。あるときは「おい!チエブタ!」という意味のない大声となりわたしに届いた。またあるときは「ねぇねぇ、チエブタちゃん、ブタのままでいいの?」という意図の見えない質問となりわたしに投げかけられた。わたしの前を通り過ぎるときにだけ「ブタブタブタブタ……」と独り言が繰り返されるときもあった。
どの場合であれ、わたしはそれがとても嫌だった。
他人から蔑みや哀れみを向けられる覚えなどなかったからだ。べつに豚であることに誇りなどなかったが、かといって恥じたこともなかった。わたしが豚でブサイクであるのは、わたしにとってごく普通、当然のことであった。自分には腕が2本ついていて、その先に指が5本あって……。地球は丸くて重力があって、リンゴは木から下に落ちて……。わたしはよく食べ太っていて、だからチエブタの呼び名があって……。
しかしいくつかの他人にとっては、わたしの豚さはまったく別の意味をもつらしかった。わたしは彼らの動きをなるべくよく観察した。するとすぐに見えてきたものがあった。彼らにとってわたしの豚さはわたしのものでなく、他人のものであり、しかも彼らの精神にとって格好の
彼らはどうやらブタの呼び名をつかって、わたしを蔑み、
厄介なのは彼らとの関わりにおいて、豚であることがこれっぽっちもわたしに得るものを与えないことだった。彼らは純粋に自身の快楽だけを追いかけた。わたしの豚さを利用して、わたしに損をさせ自分だけが得していた。
わたしは、そのことが一番、許せなかった。
わたしの豚さをおまえらのためだけに使うな。わたしをブタといって蔑む者に対して、いつも
チエブタの呼び名、それ自体は好きでも嫌いでもなかった。わたしにとってはごく自然なものだった。その自然が破壊された気分だった。チエブタの呼びかたに悪意が混ざり込むようになったのだ。わたしはその事実を心底、嫌悪していた。
しかし、わたしの呼びかたに良い・悪いがあるなんてこと、周囲の人間はまったく気付かないようだった。友達も先生も、兄弟も、そしてわたしに愛情をもって「チエブタちゃん」と呼びかけてくれる両親、祖父母も気付かなかった。両親はわたしの呼び名が(使われ方によっては)わたしを蔑み、他人のねじ曲がった自尊心を太らせているだなんてことを、想像すらしたことがないようだった。
わたしの「チエブタ」は他者によって好き好きに使われた。周囲の人々はさまざまな意図を混同させて、わたしにブタと言いつづけた。ある者は笑顔で、ある者は温かく、ある者は真剣に、ある者は好意と親愛をさしだし、そしてある者は
ブタブタブタブタブタブタ……。
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