ピギーズ
遙夏しま
チエブタちゃん
ものごころついたときには周囲からブタと呼ばれていた。
チョコレートにアイスにケーキ、クッキー、キャンディー、ハンバーガー、ポテト、ピザ、オレンジジュースにコーラ、サイダー。両親や祖父母はやさしく、わたしのお腹が空けば好きなものを好きなだけ食べさせてくれた。太るための食材にこと欠かなかった。わたしは食べたいものを次から次へと要望しては、出してもらったものを嬉々として咀嚼し、腹に詰めこんだ。ありのままに生きる過程で自分の肉をどんどん増やし、成長と肥満を一体化させた、そういう子供時代だった。
3人兄弟の末っ子で上のふたりの兄たちからいつも「ブタ、ブタ」とからかわれていた。兄弟だけでなく両親からも時たま、チエブタちゃんと呼ばれた。隣近所の友達もわたしの呼び名はチエブタちゃんだった。幼稚園にあがっても友達からチエブタと呼ばれた。その呼び名はわたしが小学校を卒業するまでつづいた。
チエブタの呼び名についてわたしは、自分が豚であるのだから、まあその通りだろうと認識していた。だってわたしは実際、よく食べるし、太っているし、ブサイクで、本当に豚のようだから。ブタと呼ばれるたびに、うん、そのとおりだなと思って過ごしていた。問題はなかった。わたしは太っていて、ブサイクな存在なのだから然るべく、そういうあだ名がつくものだし。
それで毎回、こう思う。「別にそれでどうということでもないのだ」と。わたしは太った豚であり、ブサイクであり、それでも友達は何人もいたし、からかってくる兄弟とも毎日、遊んだし、ブタと言われてムカついたら、言った奴のあだ名を言い返せばよかったし、両親はやさしかったし、祖父母にもたくさん甘えられたし、好きなものを好きなだけ食べることができた。
わたしはわたし自身が豚であることに問題を感じたことはなかった。とにもかくにも、わたしは自他ともに認める太った豚みたいな人間だし、別にそれでいいと思っていた。
たしかに、いつか豚を卒業して豚じゃないようになってみたいとは、うっすら心の奥底で思っていた部分もあった。けれど、それはかなり先の未来における、わずかばかり残された美しい可能性の問題であると知っていた。自分の人生に主軸というものがあるならば、豚でなくなることは、あきらかに主軸からは離れた副次的なできごとであった。
わたしにとって豚じゃなくなるっていうのは、海原へ飛び立つ鳥が運命めいた強い風をつかむような、ごく特別なできごととの遭遇だった。運命の風が吹くまでは、自分は
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