第三章⑤
「彼のダメージは相当なものです……。特に脳の疲労が……」
教会の男性医師、加賀美はそう言う。
「そんな……大丈夫なんですよね……?」
「大丈夫だと言いたいところですが、こんなにダメージを負った彼を見たのは久しぶりです。正直……何とも言えません……」
鷹斗は肩を落とした。
「加賀美、彼女は大丈夫だよな……?」
「ええ。彼女のほうは身体的ダメージはありません。疲労がありそうですが、しばらく休めばそれは良くなるでしょう。精神的ダメージに関しては彼女が目を覚ましたら、診察してみます」
加賀美は病室を出て行った。
病室に残された二人は、ベッドで眠る椿と由衣を見つめていた。
「今回の発端、何が原因だったんでしょうか……」
「知りたいか……?」
思わぬ返答が来たことに鷹斗は驚き、彼のほうを勢いよく見た。
「知ってるんですか……!?発端を……」
「ああ。椿の状態をリアルタイムで感じていたからな……。もし、お前が知りたいなら話す。どうする?」
そう言われ、彼は教えてくれと頼んだ。
陽行は部屋を変え、面談室へと鷹斗を連れて行った。
「今回の彼女の神隠しの発端、それはあの連続児童誘拐事件だ―――」
彼がそう口にした。
「俺のせいか……父さん、その事件に椿を巻き込んだのは俺なんです……俺のせいで、二人は……」
「早とちりするなっ!いいか?人の話を最後まで聞くんだ。発端は連続児童誘拐事件、だが本当の始まりはもう少し前にあるんだ……」
鷹斗は頭を抱えていた。
しかし陽行は構わず続ける。
「私が思うに、この事件を招いたのは……椿、あいつ本人じゃないのかと思っている」
「い、いやそんなわけねえよ!あいつが由衣ちゃんを傷つけるようなことをするはずがないんだ。絶対そんなわけない……」
陽行は口を閉じた。
「分かった。だったら、あいつ本人に聞こう。それで真相が分かる。まあ、それを操っていたものには、傷が残り、本体もダメージを負う……椿も、ケガをしたが……どうしても違うとお前が言うなら、この話は終わりだ」
その場に一人残された鷹斗。
「だから……椿を巻き込みたくなくて、捜査会議に連れて行ったりなんてしなかったんだ。あいつのことだ。いつか絶対こうなるって何となくわかってたのに……。あいつのこと、守りたかったのに……」
鷹斗は流れ出る涙を止められなかった。
どれくらいこうしていたのか……彼は、机に突っ伏していた。
額に腕の跡が付いたころ、陽行が面談室に入ってきた。
「彼女がお前のこと呼んでるぞ」
鷹斗は慌てて部屋を飛び出す。
勢いよく病室の扉を開けると、ベッドの上に座る由衣の姿があった。
「鷹斗さん……ご迷惑おかけして申し訳ありません……」
「いいんだ、そんなこと。気にしなくていい。体は?大丈夫か?」
「はい……大丈夫です。でもまさか、買い物の帰りに事故に遭ったとは……」
え……一体どういう……。鷹斗は陽行を見る。
「鷹斗さん……?」
「へ?あ、うん……俺も聞いてびっくりしたよ。でも無事でよかった」
「でも不思議と痛いところはないんです。ケガもしてないし……」
「に、入院期間が長いんだよ。だから傷も治ってるし、痛みもないんじゃないかな。
鷹斗がとっさについた、やさしさの嘘だ。
「そっか……だから痛みがないんですね」
由衣は納得した。
鷹斗は何とも言えない、気持ちになる。
前に椿が言っていた……。「何でか知らないけど、神隠しに遭った子供って言うのは、そのこと自体を忘れてるんだ」と。由衣も本当に神隠しに遭ったから、このことを覚えていないのか……。彼女がこんな目に遭ったという悲しいような、彼女が辛いことを覚えていないという安堵感、複雑な気持ちでいっぱいだった。
「鷹斗さん、椿さんは……眠ってるんですか?」
何も答えられない鷹斗に代わり、口を開いたのは陽行だ。
「由衣さん、椿はね……少し疲れが溜まったようだ。それで今は眠ってる。いつ起きるかは分からないが……こいつが寝坊しすぎるの、君ならよく分かるんじゃないか?」
「確かに……。椿さん、いつも寝坊ばかりで出版会社の担当さんも手を焼いてました。締め切りがって言われてて……」
そこまで話した由衣。彼女の目からは涙が溢れていた。
「ごめんなさい……私が事故なんかに遭ったから……椿さんきっと、疲れちゃってこんなことに……」
震える彼女の背中を、たださすることしかできない鷹斗。彼の視線の先には、まったく動かない、ただ息をしているだけの椿の姿があった。
頼むから、早く……無事に目を覚ましてくれ……彼はそう願うしかなかった。
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