第三章①

 由衣が消えて三日経った。

「おい、いつになったら……」

「椿、お前が助けろと言ったから私はここに来たんだ。他でもない、お前が呼んだからだ。いいか?神隠しはそう簡単には解決しない。そうだっただろう?お前なら覚えているはずだ。これは、時間が掛かるものなんだよ……」

 陽行にそう言われ、椿は舌打ちし、下がった。

「よし……これでいい……。椿、結界を張るぞ……」

 陽行のその言葉に、椿は耳をぴくつかせた。

「いいか?強力なのを張るんだぞ。じゃなきゃ、あの世から邪が来るからな……」

「臨むところだ……」

 椿は陽行の動きと同調するかの如く、二人は両手に勾玉の付いた数珠を持ち、目を閉じ、静かに低い声で結界を張る術を唱える。

 沈黙から数分が経過した。二人はシンクロしているのか同時にゆっくり目を開ける。

「張ったか?」

「ああ。これでもかってくらいの強力なのを張ったさ……」

「そうか。じゃあ、行くか……?」

 陽行はそう言うと、椿の手を取り〈侵入の術〉を唱える。

 侵入の術、それは相手の感情の中へと侵入する術のことだ。これを使える人は現世では陽行のみとなった。椿でさえ、まだ使えない。

『さん……椿さ~ん……』

 どこからか由衣の声が聴こえてくる。

「由衣……由衣っ!」

 椿は思わず走り出そうとした。それを陽行が引き留める。

「行ってはならん」

「何で……どうしてだよ!?」

「忘れたのか?ここは彼女の感情の中だ。お前が行ったところで助けることは出来ない。それに走ったところで彼女には近づけない。いいか、もし私と離れたらお前だってどうなるか分からないんだ。私から離れるな……」

 陽行はそう言った。今すぐ走り出したい気持ちを抑え、椿は陽行に従う。

「いいか。ここは彼女の感情の中だ。こっちが何を言っても何をしても、彼女には伝わらない。今、私たちがしなければならないのは、彼女の居場所を探ることだ……」

 陽行は椿と自分を見えない紐で縛った。

「これで私たちが離れることはない……。だが、例外もあるかもしれない。決して、一メートル以上、離れてはならないよ。戻れなくなるからね……」

「……分かったよ……」

 陽行は椿がそう言ったのを聞き、由衣の居場所を探り始めた。

 時折、彼女が椿の名を口にするのが聴こえる。その度に胸が痛くなる。

『椿さん……いつになったら来てくれるんですか……早く来てくれないと、もうご飯作ってあげませんからね……掃除だってしないし、買い物だって行きませんからね……椿さん、餓死しますからね……それだけは嫌でしょ……?だったら早く助けに来て下さいよ……』

 彼女の「助けて欲しい」という気持ちが痛いほど伝わってくる。

「お前は一体どこにいるんだよ……」

 暗闇の中、陽行と共に彼女の居場所を探る。だが、、彼女自身の気持ちが、感情が暗くなっているせいでこちらが明るくなることも、手掛かりを拾うことも出来ない。

 陽行の〈侵入の術〉は相手の感情に入る術。侵入された本人の感情が明るいと、侵入した人間がいる場所も明るく、逆に暗い感情だと侵入した人間がいる場所も暗くなる。侵入された人間が何かを思い浮かべると、侵入した人間もそれを感じることが出来るのだ。

 だが、由衣の感情は暗く、何も思い浮かべることはなく、手掛かりとなるものを探るにしても、手詰まりだった。

「彼女がせめて何か一つでも思い浮かべてくれればな……」

 陽行がそう言う。

「父さん、どうすればいいんだ……?」

「とりあえず一旦戻ろう……これはかなりの体力が使われる。戻ったら動くことすらできないと思うぞ……覚悟しろ……」

 陽行はそう言って、解いた。

 その瞬間、意識がはっきりと戻った。体が鉛のように重い。

「あ、椿……父さん、二人してぼーっとして大丈夫です?声かけても返事ないし、触っても動かないし、ちょっと怖かったんですよ」

 振り返ると鷹斗が紅茶片手にキッチンに立っていた。

「え、鷹斗……お前何でここにいるんだ?どうやって入った……?」

「あ~、合鍵で。ほら、お前に何かあったときにためにって作ったの覚えてるだろ?それで入ってきた。だってインターホン何回鳴らしても出てこないし、でも何か聴こえるしさ。だからもし倒れてたらって思って、合鍵で……」

 鷹斗の説明に頷く椿。

「そうかそうか……お前たちはそんな関係か……」

 と、陽行は意味の分からない納得の仕方をしている。訂正するのも疲れるので、二人はそっと微笑んでいた。

「それで?二人は何を?」

 鷹斗がそう聞く。

「由衣の感情の中に入ってたんだよ……何か、見つける手掛かりになればと思って。でも全然ダメなんだ……あいつ、暗いことばかり考えるんだ……もっとこう……ここで消えたとか、こんなのが最後に見えたとか、そういうのを考えてくれれば、もう少し……」

 椿の説明に、頭の上に“?”を浮かべている鷹斗。見かねた陽行が、上手く説明した。

「あ、そういうこと!」

 やっと理解した鷹斗は「なら、由衣ちゃんに手掛かりになりそうなもの思い浮かべてもらうとかは?」と言った。

「由衣に?」

「ああ。お前と由衣ちゃんならここからでも何か通じたりとかない?」

 そう言われ、椿は考える。言われてみればそうだ……。由衣が肌身離さず持っている“お守り”に気づいてくれれば。その中を見てくれれば……。

「あいつに渡してるんだ……父さんが昔、俺にくれたお守りと同じものを……。由衣がそれに気づいてくれれば……」

「そのお守りってなんか特別なものなのか?お前の力が入ってるとか?」

「そんな感じだ……あれは由衣を守るだけの物じゃない。あいつに何かあったとき、俺がいないときに……何かが起きた時に……きっと役に立つんじゃないかと思ってな……。せめてそれを見てくれれば……」

 椿は祈るような気持ちでそう言った。

 頼む……気付いてくれ……そう願った。


「椿さん……私もう待ちくたびれましたよ……。早く来てくれないと本当に私……」

 由衣はそう言って膝から崩れ落ち、その場にしゃがみ込んでしまった。膝を抱えるようにして小さく座り、寂しげな目から涙を流す。

「ん……?」

 彼女は何かに気付き、首から下げているあの“お守り”を手に取った。

「なんだろ……」

 やけに気になり、お守りの口を開け、中に入っている紙を取り出した。

 そこには椿が由衣を想う気持ち、守りたい気持ちを込めた特別な紙が入っていた。紙を開けるのは何だか気が引けるが、由衣は「これを開けろ」と椿に言われた気がし、紙を手に取りそっと開いた。

「……これ……」

 紙には由衣を邪から守るためのまじないと、彼女への手紙が綴られていた。

「“よくこれを見つけたな。偉いぞ……。もし自分の身に何かあったとき、そばに俺がいなかったら俺のことを呼ぶんだ。ここに書いてある言葉を口に出したあと、自分の身に起こっていることを強く念じるんだ。他の人間なら出来ないだろうが、お前なら出来る……。忘れるな。俺は何があってもお前を見捨てたりはしない”……椿さん、こんなものいつの間に……」

 由衣はそっとお守りを胸に、彼の書いた文字を目で追う。そして静かに口に出した後、自分の今の状況、そして自分が消えてしまったときの状況を強く念じた。

「……お願い……椿さん……」


♢ ♢ ♢


 リビングに設置してあるソファに、倒れ込むように体を静めている二人。消耗した体力を、椿と陽行は回復させていた。と言っても、何もできることはない。ただ休むしかない。

 二人分のコーヒーを手にした鷹斗が近づいてくる。ソファ前のローテーブルへとコーヒーカップをそっと置いたその瞬間、椿が声を上げた。

「おいっ!今の……あいつだ!由衣が見つけたんだっ!」

 由衣が念じたものが、椿に伝わったようだった。

「見つけたんだな……良かった……」

 椿はほっと胸を撫で下ろし、声を震わせながらそう言った。

 けれど、どこかおかしい。

 由衣の何かは感じ取ったが、それは意外なところから発せられていたからだ。

 由衣の手元にあるお守り、あれには特別な呪符が忍ばされていた。それは“持ち主に何かあったときその人物が唱え、念じればその持ち主の居場所が分かる”というものだった。これを維持するには呪符を授けた者の能力と精神力に比例する。そして授けた者の体力は消耗しやすくなるという、本当の意味での身を削る代物だった。過去に、椿自身もこのお守りを陽行からもらっていた。椿は彼に約束したのだ。いつか、自分も父さんのように人を助ける人間になりたい。守りたい……と。

 絶対に由衣だけは死なせない……。これを自力で見つけたんだ。きっと大丈夫だ。そう思っていた矢先、陽行の口から耳を疑う言葉が飛び出した。

「安心するのはまだ早いんじゃないのか?」

「どういうことだよ……」

「お前も感じただろ?彼女は今、ってことを……」

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