第二章①
「ちょっと~四十住さんっ!もう、いつまで寝てるんですか!?」
由衣が朝から元気に大声を張っている。
彼女が助手になり、一ヶ月が経とうとしていた。
「あ~お前を助手にした俺がバカだった……」
「何ですって!?四十住さんが助手になれって言ったからなったのに、私を罵ったわね!?」
「罵ってない。国語の勉強し直せ……」
二人の言い合いが繰り広げられる中、自宅のインターホンが鳴った。
由衣はモニターを確認する。画面にはスーツ姿の女性が立っていた。
「四十住さん、女性が来てますよ?スーツの茶髪の……」
そう言いかけ振り返ると、後ろには椿が立っている。
「ちょ、いるならいるって声かけてくださいよ!びっくりするじゃないですか!」「気配消してたからな」
「消すな!猫か!」
由衣はぷんぷんと怒り、キッチンへと歩いていく。
「あいつ、あんなキャラだったか……?一か月も経つと女ってあんな変わるのか……」
椿は不思議に思いながら、モニター画面の“解除”ボタンを押す。
扉が開き、女性は室内に入ってきた。
「四十住さん、おはようございます。昨日メールした件、どうなりました?」
朝から訪れた女性は椿の新しい担当者、海野春だった。
「もちろん、用意できてます。取ってきますね」
椿はそう言うと席を立った。ハルはキッチンに立つ由衣に気づく。
「これです。記事を書いていていくつか気になる点があったんで、調べてみたんですよ。するとやっぱり、この男に繋がるんです。で、この男は誰だろうと思ったんで、友人の刑事に頼もうかと思ったんですが……」
「で、頼んだんですか?」
「それが、断られました。事件になっていないのに、お前が首を突っ込むな!って怒られちゃいまして……。この記事、どうします?出せませんよね、さすがに……」
「とりあえず預かります。それで、出すかどうかは編集長と相談してみますね。答えが出たらまた連絡させてもらいます。連絡は電話とメール、どっちがいいです?」
そう尋ねるハルに、メールにしてくれと椿は言った。彼との会話の全てをメモするハル。「これ、良かったら」とトレーに二つのティーカップを載せた由衣がやってきた。
「そう言えば、四十住さん……この方は?」
「あ、こいつは……」
「初めまして!四十住椿の助手をしています、七海由衣と申します。今後ともよろしくお願いいたします!」
由衣は元気に挨拶した。
「四十住さん、助手の方がいたんですね。笹倉さんから聞いていなかったので驚きました。私もここへ来たのは久しぶりでしたし……」
「まあ、色々あってな。彼女に助手になってもらったんだ。俺が頼んだってのもあるし」
「そうだったんですね。えっと……七海さん……でしたっけ?私は株式会社KAWAKADOの編集者、海野と申します。四十住さんを担当させて頂いておりまして……」
ハルはそう言って名刺を由衣に渡した。
「あ、頂戴します。えーっ!?KAWAKADOってあの有名なKAWAKADOですか!?四十住さん、KAWAKADOの連載してたんですか!?私、ホラー小説を読むんですけど、その時はいつもKAWAKADOホラーしか読まないんですよ!四十住さん、言ってくれればいいのに~!」
由衣は名刺を見て大声を出した。椿は耳を押さえ、イライラしている。
「あのな!声がうるさいんだよ!静かにしてくれ耳が痛い……。前にも話しただろ……お前が聞いてなかっただけだ」
「聞いてないですって!」
「言った。俺が忘れるわけないだろ」
「あ、あの……」
ハルが声を掛ける。
「海野さん、四十住さんって何の連載してるんですか?」
「あ、四十住さんには三冊の雑誌を担当していただいてます。週刊BOOK、月刊科学、月刊Memories、この三冊に四十住さんの担当ページがありまして……。あ、七海さんは毎日ここへ通ってらっしゃるんですか?」
ハルの問いに由衣は頬を掻きながら「ここに住んでます……」と返した。
「え、ここに!?」
「はい……。私が荷物を持って押しかけたら、案外簡単に受け入れてくれました。まあ、身の回りのこと全てするからと言ったからかもしれませんが。でも四十住さん、本当に何もしないんですよ!?買い物にも行かないから食材だってないし、何か飲みたいって言いながら冷蔵庫開けるのに、冷蔵庫の中は常にガラガラですし。どうやって今まで生きてきたのか不思議なくらい何もしないんです」
「あ、それは……前担当者が全てしていたそうですよ。四十住さんの前担当者、私の先輩なんです。その方から担当を引き継いだんですけど、四十住さんは何もしないし、何でも人任せにするって聞いてます。それにしても七海さん、思い切ったことなさったんですね!凄いです……。あ、でもご両親は反対されたんじゃ……」
「あ、それについては大丈夫です。家族は亡くなってて、親戚の家にずっとお世話になっていたんですけど、そろそろストレスが……。だからここに住めて良かったです」
ハルは申し訳ないと謝る。けれど由衣は気にしていないようで、笑顔を保ったままだった。そんな彼女の様子を見て椿は少し心が痛む。自分と境遇が似ているからか、どうしても彼女の感情に引っ張られてしまう。
「あ、では四十住さん、この原稿はとりあえず預かります。またどうなったかだけ、メールで連絡させてもらいますね」
ハルはそう言って家を出た。
「……大丈夫か?」
椿はそう聞く。
「……何がですか?大丈夫に決まってるじゃないですか!ほら、四十住さん、朝ご飯まだでしょ……作ったので食べてください」
由衣はキッチンへ行き、トレーに載せた朝食を運んできた。
いつもながら、よくできた朝食だ。バランスも良い。
「いただきます。いつもありがとうな」彼はそう言って朝食に手を付けた。
「四十住さん、私、今日はバイトの日なんで帰宅は十六時頃になります。帰りに買い物してきますけど何かいるものありますか?」
何もないから気を付けるんだぞと、椿は言う。
「あ、由衣!あれ、ちゃんと持ってるか?」と慌てて玄関から顔をのぞかせる。
「もちろんですよ!」由衣は首にかけている“お守り”を椿に見せた。
行ってきますと手を振る由衣を見送り、椿は室内へ戻る。
そして朝食を全て食べ終え、片づけを済ませ、書斎へと入る。
「もう一度聞いてみるか……」
椿はパソコンのメールアプリを開き、メールを書いた。
【この間の記事の件、もう一度調べてくれないか。何か引っ掛かるんだ】
宛先は“松風鷹斗”、椿の幼馴染で、あの“神隠し事件”を経験した人物の一人だ。
「多分、また断られるんだろうけど……とりあえずやってみるしかない……。何かが引っ掛かるんだよな……まるであの事件みたいに……それとも俺の思い過ごしか?いや……でもおかしい。事件発生場所には必ずこいつがいるんだ……てことは人為的で間違いは……」
椿はそう言って手元にある資料を睨んだ。
頭の中は昔の神隠し事件のこと、手元の資料に載っている不思議な男のこと、そして感じる違和感……溢れていた。
「……さん……椿さ~ん!」
「ん……?」
「あ、やっと気づいた。ずっと呼んでたんですよ?聞こえてなかったでしょ!」
由衣がいた。
「え、もう帰ってきたのか?バイトは?」
「へ……?あの、大丈夫ですか?今もう十八時ですよ……?」
もうそんな時間……?あれから一体何時間俺はここで……。
「もうすぐご飯できますから、こっちに来て下さいよ?」
彼女はそう言うと書斎を出て行った。
いつもならしつこく声を掛けてくるのに、今日は一度だけだった。疲れているのか……。
時計を確認する。間違いなく十八時に差し掛かろうとしている。
俺は何時間ここで……。ふとパソコンを見る。鷹斗から返事が来ていた。
【分かった。お前がそこまで言うなら少し調べてみる。ただできるだけお前は事件に関わってほしくない。それだけ伝えておく】と記されている。
「了解しました……」
そう呟くと、椿はリビングへと向かった。
*
「お前は誰だ!」
椿は目の前に立つ何かにそう叫んだ。
しかし、それは答えない。
椿は右手の人差し指と中指を立てた。それはピースサインの指を閉じたような形だ。それを目の前まで持ってきた瞬間、それは消えた。
「気付かれたか……」
椿がしようとしたこと、それは……
*
「四十住さん大丈夫ですか?なんだかずっとぼんやりしてますね……。あ、四十住さん……あの……呼び方なんですけど……」
「……椿だ。椿でいい」
「え、いいんですか!?ほんとに!?怒らないんですか!?」
由衣はテンションが上がったのか、立て続けに椿に問う。
「助手としてここにいるんだし、身の回りのことも家事も全部してくれてる。それに俺だってお前のこと呼び捨てで呼ぶことあるんだ。いつまでも堅苦しいと、それはそれで……なんだかな……」
椿がそう言ったのが余程うれしいのか、由衣はにこにこと笑顔だった。
その笑顔を見て、彼もまた少し柔らかな表情を浮かべる。
「そうだ……お前はどうしてバイトしてるんだ?小遣いなら……」
「私がしたいんです。バイトして、生活費だけは入れたくて。じゃないと、逆に気を遣っちゃって……。あ、もちろん椿さんの助手としてのお給料も有難くいただきますけどね」
彼女はそう言って食事後の片づけを始めた。
由衣がバイトをしている理由、それは生活費だけではなかった。椿の助手として色々な知識を得ていたほうが役に立つのではないかと思い、それに関連する書籍を購入するためだ。椿の本棚から借りることもあるが、専門的過ぎて自分には理解できない。図書館で借りるにも期限があり、忙しい自分ではなかなか……。だったら買うしかない!そう思った彼女は、椿の助手をしながらバイトを続けている。
そのことを椿に言わないのは彼に気を遣わせないため。由衣なりの気遣いだった。
「由衣、あれ見せてみろ」
椿にそう言われ、由衣は首に下げていた“お守り”を彼に渡した。
「やっぱり……」
“お守り”の袋はシミが出来ていた。
“お守り”の中に入っている紙を取り出す。その紙は灰色に染まっていた。それを手のひらに載せ、目を閉じ、その紙を上から下へそっとなぞる。
彼の手が触れたところから灰色の染みは消えていった。それを由衣は目の当たりにする。
「消えた……」
由衣が呟く。
「あのシミが視えたのか?消えていくのも?」
椿がそう尋ねると、彼女は頷いた。
「やっぱりお前、凄いんだな……」
彼にそう言われ、由衣は嬉しかった。どう言う意味の“凄い”なのか分からないが、椿に褒められたことが嬉しかった。
「……何ニヤけてんだ……?」
由衣は顔を逸らす。顔に嬉しさが全面的に出ていたようだ。
「それ……」
「あ、これもういいぞ。また唱えてあるから安心しろ」
「はい……。あ、なんでこれにシミが出来てるって分かったんですか?」
「今日のお前の様子がいつもと違った。それにお前から感じたんだ。でもお前じゃない。と言うことはそれかと思ってな。確認のために開けたら、それに憑いてたってだけだ。凄いことじゃないさ」
椿はそう言って、由衣の首から下がる“お守り”を指差した。
「そう言えば、なんだか急に元気になった気が……」
彼女は「ありがとう……」と“お守り”を撫でた。
ただ唱えただけじゃない。これにはある仕掛けがある。それは出来れば使いたくはないが……。椿はお守りを撫でる由衣を見てそう思った。
♢ ♢ ♢
翌朝、椿は嫌な夢を見て目が覚めた。
「何だったんだ、あの夢……」
時計を見ると時間は五時半。
「くそっ……全然寝れねぇ……」
寝ようとしても眠れず、目も頭も冴えていくばかり。仕方なく起きることにした椿は、身だしなみを整え、洗顔、歯磨きを済ませ、携帯片手に静かに家を出た。
自宅前で軽く体を伸ばし、二回その場で跳んだあと、走った。
市営公園、花屋、書店、自転車屋の前を通り、噴水がある公園へ。
見回すと何人もの人がジョギングしていた。
「久しぶりに走ると疲れるもんだな……」
自動販売機で水を買い、一気に流し込む。体が潤う気がした。
「おはようございま~す」
声を掛けられた。反射的に挨拶を返す。
今の人どこかで見たことあるような……。そう思ったが、似たような恰好で走る人ばかりの公園。そうそう見分けなど付かなかった。
コンビニに寄り、何種類かの総菜パンや菓子パン、コーヒーや紅茶、果汁一〇〇%のジュースを買い、自宅へと戻る。
由衣はまだ起きていなかった。
さっとシャワーを浴び、汗を流す。
リビングでネットニュースを読んでいると「おはよう~」と由衣が起きてきた。
「おはよう、よく眠れたか?」
そう声を掛けると「なんだか変な夢を見た……」と朝から気分が落ちていた。
「話ならいくらでも聞いてやるから、とりあえず朝の用意済ませて来いよ」
「うん……そうします……」
由衣はそう言って洗面所へと入っていった。
テーブルの上に買ってきたパンとジュースを並べ、由衣が戻ってくるのを待つ。
「これ、朝買ってきたんだ。今日は作らなくて大丈夫だから、食べながらお前の嫌な夢、聞かせてくれよ」
椿はそう言った。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
由衣はチョコレートパンを片手に、オレンジジュースを一口飲んだ。そして自分が見た夢を話し始めた。
「夢の中で私は小学生だったんです。それで友達と遊んでいたんです……こっくりさんをして……。私はこっくりさんに聞いていました。自分の将来とか、恋人とか色々。それで答えを受けて、帰ってもらおうと思ったけど帰ってくれなくて……。そうしたら十円玉が勝手に……」
椿は由衣の話に不思議な感覚を覚えた。まるで知っているようなこの感覚……。椿ははっとした。今朝、自分が見た夢と同じだったのだ。
「……です。それで私は聞いていました。いなくなった子の名前と居場所を。するとまた十円玉が動いて、一つずつ文字の上に止まったんです。その文字が……」
「“あのよだ”……そう示したんだよな」
「どうしてそれを……?」
「俺も見たんだ。お前と同じ夢を。俺が見たのは、十円玉が“あのよだ”と示した瞬間、お前の後ろに狐火が飛んで、巨大な狐がお前を飲み込む様子だ。その瞬間俺は目を覚ましたから、そこまでしか知らない。お前はどこまで見たんだ?」
椿がそう言うと、彼女は「私もそこまでです。ただ、狐に飲み込まれたのは私ではなく“美咲ちゃん”という女の子でした……。夢の中で私は“美咲ちゃん”と言う女の子だったんです」
椿は腕を組み、何やら考え始めた。
その様子をじっと見ている由衣。手にはチョコレートパンが。それをゆっくり口に運び、食べ始めた。
それに気づいた椿は、唖然と彼女を見る。
「いや、お前……食べられるのか……?」
「はい!だってお腹空いてますし、話したら何か怖い感じ消えましたし……ダメでした?」
そう言う由衣を瞳に映し、苦笑いを浮かべ、ただ首を横に振るしかなかった。
「あ、椿さん……こっくりさんって本当にいるんですか……?」
「いるとも言えないし、いないとも言えない。こっくりさんって言うのは、元々は西洋に起源がある占いの一種なんだ。十円玉や人の手が勝手に動くことから、こっくりさんは心霊現象だと言われているが、実際には科学的に説明できることの方がほとんどだ。ただ、説明がつかないのも何件かあったのも事実だ。それに関してよく言われているように、薄揚げを供えたら一切の怪奇現象も何もかもなくなった。もしかしたら本当にいるのかもしれないし、全ては人間が無意識に作り出した“何か”なのかもしれないし……」
「そうなんですね……。こっくりさんって狐の霊?なんですよね。だったら本当にいるのかも……」
「まあ、いてもおかしくはない。こっくりさんは漢字で“狐狗狸”と書く。まあ、当て字だがこれがなかなかしっくりくる。で、この“狐”だが全国にものすごい数の
由衣はそう話す椿を見ていた。本当に何でも知ってる……そう思っていたら「まあ、文献を漁ったからな。記憶してるだけだよ」と返された。まるで思考を読まれたかのタイミングだった。由衣は目が点になる。そんな彼女を見て、椿は説明をつけた。
「読まれた……というか、読んだって感じだ。まあ、何でか知らないが小さいころから人が考えていることが分かっていたんだ。それを、相手の思考を感じ取っているって分かったのは小学生の時……だったかな。要するに相手の考えを読めるってことだ。まあ、便利なのか不便なのか分からないがな」
椿は自嘲気味に笑った。
「でも最高じゃないですか!試験の時は、その能力使い放題ですね!」
由衣がそう言って笑う。椿も釣られて笑った。
二人は朝食を済ませ、由衣は勉強を、椿はライターとしての仕事を始めた。
♢ ♢ ♢
月刊Memoriesの執筆中、電話が鳴った。画面を見ると担当者のハルだった。
「もしもし……」
『海野です。今少しお時間大丈夫ですか?』
「あ、ええ。今ちょうどMemoriesの最終調整してますが……原稿ですか?」
『あ、そうではなくて……実は四十住さんに会わせてくれという方がいらっしゃいまして……。男性の方なんですが、急用だと伝えてほしいと』
椿はハルに聞いた。どんな男性なのか、自分と関わりがあるのかを。すると彼女は“男性が椿に会いたい動機”を伝えた。
『その男性は、四十住さんの小学時代の同級生だと仰っています。娘がいなくなって、何日も帰ってこず、同級生もいなくなっていると。だから助けてくれ、そう仰っています。四十住さん、どうされますか?』
「……名前と連絡先を……」
『あ、お名前は“荻原涼”さん、電話番号が携帯番号で……』
“荻原涼”それは、小学生のころに突然、神隠しのように消えた同級生の名前だった。
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