第31話 レイナの暴走(2)

数分後。私とハンナは、レイナのベッドの上でポーズをとらされていた。


「もっと近く」


レイナの指示で、私とハンナは体を動かす。ベッドの上でアヒル座りしたハンナの腰を私が掴んで、くいっと顔を近づけるようなポーズだ。この距離だと、あと少しで私とハンナの唇が接触してしまう。そうでなくても、私とハンナの呼吸が混ざりあって、お互いの人中(じんちゅう)をくすぐる。ハンナの目が間近にあって、私は顔をそらしたい衝動にかられたが、レイナの監視下である限りそれは許されないことだった。ハンナも顔を真っ赤にしているが、レイナの前ではぴくと動くこともできない様子だ。


「これ、これよ!」


レイナは人が変わったように、ひたすらノートにペンを走らせた。目がきらきら輝いている。

それを一瞥して、私はハンナの瞳の形を眺めるのに集中した。きれいな碧眼のくりんとした瞳が、私の茶色の瞳を反射して美しく輝いている。だが‥それ以前に、やっぱりハンナの顔が近すぎる。人間、完全に静止することはできないもので、どうしても少し体が揺れてしまうものだ。病気と診断されることもあるが、健康な人でも直立して自分の体を注意深く意識すると分かるように、必ず体のどこかが常に動き続ける。何かをする寸前という不安定なポーズをとっているのであれば、なおさらだ。それで、完全に体の動きを止めているつもりでも、私の唇に時折、何かが触れたような感触がする。柔らかくぷにっとした弾力が、私の唇に伝わる。唇の皮の感触が、唇全体にしびれるように伝わってくる。その感触がするたびにハンナは何度もまばたきするから、どう考えても唇同士が何度もぶつかっているのだろう。それでいて表情一つ変えてはいけないというのだから、レイナの要求も残酷である。

キスの一歩前で静止し続けるのは、キスし続けるよりも遥かに恥ずかしいし、緊張する。キスしたことはないのだが、私はそう確信した。お互いの呼吸が乱れに乱れまくって、上唇を温めて敏感にする。それで、再び唇が触れ合ったことに全身がびくっと反応してしまうのだ。


「終わり、じゃあ次のポーズをとりなさい」


やっと人生で一番長い時間が終わった。私は唇を手で覆い隠して、ハンナに何度も「ごめんね」と言った。ハンナも口を手で覆い隠したが、目はまんざらでもなかったようで、頬を赤らめて黙ってうなずいた。


「‥次のポーズって何?」


私がおそるおそる尋ねると、レイナはふふっと笑って指示を始めた。

私がハンナの下乳を触るポーズ、おっぱいを舐めるポーズ、ハンナを後ろから抱いて下半身を触るポーズ、抱きしめるポーズ、押し倒すポーズ。どれも着衣であるとはいえ、恥ずかしいものばかりだった。ただ、ハンナは口角が上がっている。どことなく嬉しそうな様子だった。それを見て私は一安心するものの、それでもレイナに対する不満の気持ちでいっぱいだった。


「さあ、次のポーズよ。そろそろ‥服を脱いでもらおうかしら」


レイナがぺろりと舌を出した。ハンナが真っ赤になった顔で唇をビクビクさせながら、か弱い声で言った。


「あ、あの、レイナさま、いくらなんでも、それは‥‥」

「あら?さっきまで嬉しそうにしてたじゃない。大体、女同士だから裸も毎日お風呂で見るじゃない。それを触ったところで何の問題があるのよ。大丈夫、今は上半身だけ脱いでもらうから。今はね」


レイナが開き直っったように言い放ってくる。


「あの、レイナ、服を脱ぐのはさすがに‥」


私も抗議するが、レイナは手に持っていたノートのページをばらばらめぐって、にやりと笑いながら言った。


「ふうん‥じゃあ、あたしがこの絵を何に使っても問題はないわけね」

「それは‥」


断ると、ハンナの裸が全校生徒に晒されてしまう。戸惑う私にハンナは「わたくしのことは気にしないでいいです‥」と言ったが、私は首を振った。


「‥ハンナをひどい目にはあわせないから。私が守るから」

「ユマさま‥」


ハンナは観念したようにうつむいて、それから、上着のボタンに手をかけた。それを見ると私もため息をついて、自分の服を脱ぎ始めた。しかしこれはさすがにやりすぎだ。なんとか抵抗できる手段はないだろうか。少なくとも、レイナの持っているノートを奪うことはできないだろうか。

レイナはうきうきした目つきで、口角をいやらしく引き上げながら、閉じられたノートの背表紙をぺろりと舐めている。私がレイナの手にあるノートを睨んでいると、ドアがいきなり開く音がした。


「何やってるの?」


上の服を脱いでブラを曝け出してしまったハンナが慌てて、胸を腕で隠した。私はほっと一息ついて、服を着直した。


「か、カタリナ生徒会長‥」


椅子から立ち上がったレイナの額には、たらたら冷や汗が出ている。


「夕食にユマを誘おうと思って来たんだけど、何?これは。2人の裸をスケッチするってどういうこと?2人とも嫌がってるじゃない」

「え、えっと、それは」

「しかも、断ったら全校にスケッチを晒すなんて、脅迫じゃない。風紀を乱しているのはどちらかしら」

「‥‥」


カタリナは、レイナが手に持っていたノートを奪い取ると、その中身をばらばらめくった。そしてぱたんと閉じると、怒鳴るように言った。


「このノートは没収ね。次に変な気を起こしたら、生徒会長の権限を行使します」

「うっ‥‥」


レイナは肩を震わせながらうつむいている。カタリナは私を見るとふうっとため息をついた。


「じゃ、わたしはインシデントを起票しなければいけないから、今夜はユマたち、先に食べて」

「ありがとうございます、カタリナ生徒会長」

「ふふ」


カタリナはふわりと長い金髪をはためかせて、部屋を去った。すれ違いさまにマーガレットが部屋に入ってきて、尋ねてきた。


「何があったのだ?」


◆ ◆ ◆


その日の夕食は、6人用のテーブルに私、ハンナが並んで座って、向かいにはマーガレット、それから1席離れてレイナが座った。レイナは気まずそうにそっぽを向きながら黙々と食べている。実はマーガレットは第1ボタンを外しながら食べているのだが、レイナはそのことを指摘してこなかった。


「‥‥そんなことがあったのか」


マーガレットは何度もうなずいて、それから言った。


「結論から言うと、部屋に盗聴器が仕掛けられている可能性が高い」

「‥‥え?」


突然のその言葉に、私もハンナも呆然として食事の手を止めた。


「待って、スケッチの話をしていたよね。どうして盗聴器の話になるの?」

「いいか。お前らは生徒会長の話に何の疑問も抱かなかったのか?」

「えっ?」

「生徒会長は、ユマとハンナが服を脱いでいる間に部屋に入ってきたのだろう?そして、部屋に入ってすぐに、裸をスケッチしていることを把握したのだ」

「それは、レイナさまのノートの中を見たからではないですか?」


ハンナが反論するが、私はそれに反論した。


「でも、生徒会長が部屋に入った時、レイナはノートを閉じていたよ。背表紙を舐めていたから覚えてる」

「‥生徒会長もレイナさまの趣味を把握されていたのでは?」

「知らないと思うけど、万が一もあるよね‥」


私とハンナが目を見合わせたところで、マーガレットは食器をテーブルに置いて、腕を組んだ。


「生徒会長の話の後半はマーガレットも聞いていたから覚えているのだ。断ったら全校生徒にスケッチを晒すと脅されていたことも、生徒会長は知っていたのだ。生徒会長が部屋に入る前に、そんな話をしていたか?」

「確か、スケッチの前にその話はあったけど、スケッチを始めてからは言ってなかったよね」

「生徒会長も部屋の前で聞き耳を立てられていたのでは?」


今日のハンナは、カタリナを擁護したがっている様子だ。それも私が否定した。


「いいや、それはないよ。それならもっと早く止めてくるはずだよ」

「ふむ‥」


ハンナは困った顔をして、首を傾げた。

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