第29話 お菓子の材料を買った

水族館を出た後、月震のあいだ運休だったらしい電車は正常通りに動いていた。ただ、運休の影響がまだ残っていて、駅にいる客は心なしか多いように感じた。初めて来る駅だから比較もなにもないのだが。

そして来た電車も、客でほとんど埋まっていた。客同士が密着する人混みではなかったのだが、本を広げることもはばかられる程度の狭さだ。


「時間あるから、お菓子の材料買って帰ろうか」

「はい」


私とハンナはホジーべ駅に着いてからバスに乗り、学園を通り過ぎてその近くのデパートで下りた。アユミやノイカと一緒に行ったデパートである。そのデパートの1階に、食品売り場があるのだ。


「ハンナは何作るの?」

「チーズケーキでございます」


スマートコンをいじりながら、ハンナが答えた。簡単なものでもいいよと私が言ってあげた割にはクッキーより作るのが難しいし、絶対今考えただろうと私は思ったが、レシピがあればまあ材料は揃えられるだろうとも思った。ケーキを作るときに私も作り方を調べて手伝えばよい。


「ユマさまは何を?」

「クッキーかな」


カタリナにクッキーを作ってもらったお礼としてクッキーというのも変かもしれないが、技力にかけては学園一であるカタリナにお菓子作りで勝つのは無理だ。ならば、自分の気持ちが一番こもりやすいものでお返ししたほうがいいだろう。私はカタリナにあこがれて何度かクッキーを作ったことがあるので、作り方はある程度覚えている。気持ちを込めるのにうってつけなのだ。


「クッキーは卵を使うから、お菓子作りは明日の午後でもいい?今日で疲れてると思うけど」

「はい、大丈夫でございます」


コインフィチャーを装着して、袋を持って売り場の中に入った。レジで買い物する時代であれば商品をその場で袋に詰めるのは万引きと指弾されるものであったが、コインフィチャーのある今は商品を手に取るだけで代金が口座から自動で引き落とされるので、それが当たり前のようになっている。大昔にあったと言われるレジを通した後の袋詰めは大変で混みやすいとも聞いていたから、楽な時代になったものだ。

クッキーといえば薄力粉、砂糖、バター、卵が必要だ。私はハンナと分かれて、自分の材料を取ってきてからハンナを探した。ちなみにチーズケーキは薄力粉、砂糖、卵、バターがクッキーと共通するのでそれを念のため多めに買っておいた。その他にもクリームチーズ、生クリームがチーズケーキには必要なはずだ。


「あ、ハンナ、いた」


クリームチーズを探しているハンナの後ろ姿を見つけたので、声をかけた。2種類のクリームチーズの包装を手に持って迷っていた様子のハンナは振り返って「あう‥」と小さい悲鳴をあげた。


「どうしたの?」

「種類がいくつかあって‥どれを選ぼうか迷ってしまいまして‥」


ハンナの袋には何も入っていない。クリームチーズの種類で時間を潰したのだろうか。


「分からなかったら最後は適当でいいよ」

「適当じゃだめよ」


私がアドバイスした途端、後ろから声がかかってきた。私もびっくりして振り向くと、声の主はカタリナであった。


「おね、カタリナ生徒会長、どうしてここに?」

「あら、決まってるじゃない。わたしももう一回クッキーを作りたくなったのよ」


澄ました様子でカタリナは答えた。


「偶然ですね、私たちもお菓子を作ろうと思っているところでした」

「あら、偶然ね。せっかくだからわたしと一緒に作ってみる?」

「えっ‥」


私の大好きなカタリナと一緒にお菓子を作れるのはいいことなのだが、その反面、隣りにいるハンナが不機嫌そうにうつむいているのに気づいた。


「‥‥すみません、私とハンナ2人で作りたいです」

「‥‥わたしが作り方を教えてあげるのでは、だめかしら。わたしのお菓子作り教室みたいな雰囲気で」


今日のカタリナはやたら強引だ。どうしても私とハンナと一緒にお菓子を作りたいらしい。


「お言葉ですがカタリナ生徒会長、3人でお菓子作りとなるとキッチンも狭く‥‥」

「共用スペースもいいけど、必要なら大きなキッチンを借りられるわよ。わたし、明日の午後で予約を入れておいたけど、1人じゃ広いからせっかくだし2人もどうかしら」

「うう‥」


会話から察するに、そのキッチンは普段は使えないのだろう。広いキッチンでカタリナに教えてもらえるとあれば、断りたくないのだが‥‥私はまたちらちらとハンナの機嫌を伺う。


「共用スペースのキッチンは2人でも狭いんじゃないかしら。大きいキッチンは広いだけじゃなく、共用スペースにはない機材がたくさん揃っているのよ。使わない手はないわよ」


目標はハンナと見たカタリナが、ハンナに一歩詰め寄った。ハンナは押しに弱いので私が守ってあげなければ、と思ったのだが、デートはともかくお菓子作りに関してはカタリナの話にメリットしかない。私は反論の余地もなく黙っていたので、ハンナも肩を落として静かにうなずいた。


「それで、カタリナ生徒会長は何を作るのですか?」


私がふと尋ねると、カタリナはさも当然そうに言った。


「クッキーよ。今度はチョコチップを入れようと思うの」

「わ、わたくしも‥‥」


間髪入れず、私たち3人の中で1人だけチーズケーキを作ると言っていたハンナが声を荒げた。


「わたくしも‥‥クッキーを作ります」

「ハンナ、それでいいの?」


心配になった私が尋ねたが、ハンナは素早く何度かうなずいた。それが焦りのように見えたのだが、実際問題、私とカタリナの作るものが同じならば、1人だけ違うものを作っているハンナは蚊帳の外になってしまうかもしれない。ここは素直に受け止めたほうがいいだろう。


「‥というわけで、私とハンナもクッキーを作ります」


私はカタリナを振り向いた。カタリナは眉にしわを寄せて唇を噛んでいて、すぐに普通の表情に戻ったもののどこか不満げだったような気がした。すぐ笑顔になって「わかったわ!」と言ってきたので、さっきのカタリナの不満そうな顔は気のせいだと思うことにした。


◆ ◆ ◆


買い物を終えて、私、ハンナ、カタリナは3人で徒歩での帰途についた。私とハンナはデート中だしカタリナもそれを知っているはずだから配慮してほしいと言おうとしたのだが、結局、私はカタリナとハンナに挟まれる形で歩いた。

夕日も暮れて空が黒くなっていき、道には照明が照らされている。カタリナが私の手をぎゅっと握ったので、ハンナも負けじと私の手を握った。


「ハンナ、ユマはわたしのものよ。勝手に触らないでくれる?」

「いいえ、わたくしは諦めません」


ハンナを挑発するカタリナ、強気に出るハンナ。

2人とも、いつも見る2人ではなかった。恋は性格まで狂わせると聞いたことがあるが、それをまさに今見ているのかと思うと複雑な気持ちになる。


「‥‥カタリナ生徒会長は卑怯です。わたくし、ユマさまと2人でお菓子作りをする予定でしたのに‥‥」

「抜け駆けは許さないわよ」

「うう‥っ。じゃあ、わたくしもカタリナ生徒会長の邪魔をいたします」


ハンナがくいくいと私の腕に抱きつくと、カタリナも私の腕を引っ張って頬をこすらせた。

これがイケメン男子ならまだいいのだが、女同士だ。百合にもともと興味のなかった私にとっては嬉しいのか嬉しくないのか分からないし、私にはこの2人のどちらも選ばない権利はないのかと思った。

と、前に人がいるのに気づいた。灰色の獣耳としっぽを伸ばした、青色のツインテールと黄色のリボンが特徴的な獣人だ。


「レイナ」


私は助けを乞う目でレイナに声をかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る