第27話 水族館に行った(2)

食事が終わった後は、イルカのショーを見に行くことになった。水族館の屋上でショーをやっているということなので、エレベーターで移動した。パンフレットによると、イルカのショーはこの水族館の目玉ということだ。


「月のイルカはよく跳ぶのかな?」


私がパンフレットを見ながらぼやくと、ハンナもすぐに答えた。


「はい、それはもう地球より高く跳ぶらしいです。その代わり、水しぶきもよくとぶのだとか。シートは用意してあります」


そう言って、ハンナはショルダーバッグから一個のボールを取り出した。このボールを解けばシートが出てくるのだろう。ハンナにしては珍しく用意周到である。


「ハンナ、今日は準備がいいね」

「い、いえ、ユマさまのお役に立てるなら‥‥」


ハンナは恥ずかしそうに赤面した。


◆ ◆ ◆


イルカショーの会場は、大きなプールを半周するように長椅子が並べられていた。私たちは、前から2番目くらいの席に座った。周りの人たちはどれも、私たちと同じようにシートをかぶったり、雨合羽を着たりしている。

プールの大きさも、地球の水族館と比べるととてつもなく大きかった。イルカが高く跳ぶぶん、移動距離も増えることを確信するには十分だった。真っ赤な夕日がプールを赤く照らしている。今はまだ13時頃だが、朝と比べて空が薄暗くなったので、白い照明がプールをきれいに照らしている。明日から夜だろう。


「もうすぐ夜だね」

「はい、学園の始業式も深夜でございますね」

「ハンナは月に来てどう?」

「そうですね、重力が慣れないです」

「ははは、私もそう思うよ」


重力が地球の6分の1になったことにより、体重が減った。地球の重力に慣れていると、月ではちょっと下手に動いただけで体の重心が簡単にずれてしまい、バランスが取りづらいものだ。これまで学園祭のために月に行ったことはあるので月での生活にも少しばかり予備知識はあるのだが、この重力でこれからの4年間を過ごすと思うと途端に気になってしまうものである。


「‥‥あれ?」


急にハンナが椅子を触りだした。私も急にどこかに違和感がして、うろうろと周りを見回った。周りの人たちも、落ち着かなさそうに体を動かしている。


「‥‥揺れてるね」


私が小さい声で言うと、ハンナは口を結び、目を伏せた。地面がゆらゆら揺れている。月震だ。


「なんで‥ここはギリギリ揺れないって予報だったのに‥」


ハンナがひとたび大きな声を上げたので、私はそっとその背中を撫でた。


「仕方ないよ、災害って完璧には予測できないから」

「うう‥ううっ‥」


ぼろぼろと目から涙がこぼれているのが分かった。ハンナはそれを隠すように、顔を両手で覆った。

月震は地球の地震と違って、数十分、長ければ数時間続く。一度揺れ始めると、向こう数時間の生活は影響を受けると思ったほうがいい。少なくともイルカショーは中止になるだろう。

何より、私の見えないところで頑張って、努力して今日のデートのために準備してきたハンナが不憫でならない。揺れる椅子の上で、私はひたすら、ハンナの背中をなでた。


「ハンナ、大丈夫、大丈夫だから」


私とハンナを覆うシートははたけ落ちていた。私はハンナの上半身をそっと抱いて、頭を撫でた。ハンナの泣き声で、私の胸が熱いほどに加熱される。

案の定、すぐ後にイルカショー中止のアナウンスが流れた。


「次のイルカショーは月震がなければ2時間後だって、まだ終わりじゃないよ、下に戻ろう」


私が優しく言葉を投げかけたのだが、ハンナはぶんぶんと首を強く振った。


「なんで‥なんでですか‥」

「え?」

「なんで、わたくしが事前に計画を立てて準備したときに限って、アクシデントが起こるのですか‥‥」


私がハンナを撫でる手がぴたりと止まったが、私は一息ついてまた背中をなで始めた。


「計画にトラブルはつきものだよ。ほら、アイス食べに行こう、機嫌直して、ね?」

「うう‥」


ハンナはまだくすぶっている様子だった。正直世話が焼けると思ったが、ハンナは放っておくと失敗を重ねて壊れてしまう子だ。誰かが、私がそばにいて守ってあげなければいけない。学園の成績も、私が勉強を教えるようになってからよくなった。行事の準備でも、私が手伝ってあげた。手伝いに手伝いを重ねていくうちに、いつしか私と一緒にいることが増えてきた。ハンナはいつも私を頼ってきたし、私もハンナのことを見守りたいという気持ちがあるし、ハンナのために頑張りたいと思うようになった。ハンナに勉強を教えるために自分も真面目に勉強するようになったので、私が成績で学年1位になったのも半分はハンナのおかげのようなものだ。

ハンナとのお出かけはいつも私が予定を組んでいたので、ハンナが予定を組むお出かけというのは実は今日が初めてだ。しかしそれでも臆病になることなく戦ってきたハンナを見て、私は誇らしくも、嬉しくも感じるし、幸せすら見いだせる。


「私だって、たまにはこんな失敗をすることもあるよ」

「でも‥初めてのデートがこんなことになってしまって‥」


ハンナにとっては、これが初デートの認識なのだ。ハンナはカタリナと競争している。競争は初めと最後が肝心、というのをどこかの本で読んだか、誰かから聞いたことがある。ハンナも初デートだからと変に意識してしまったのだろう。


「私は気にしないよ」

「でも‥‥」

「私にとっては、ハンナがいつまでも落ち込んでいる方がつらいかな」

「えっ‥」


ハンナは顔を覆う手を離して顔を上げ、まっすぐ私の瞳を見た。ぽかんと口を開けて、目を大きく見開いている。その碧眼が、夕焼けの空を反射して赤く美しく輝いている。


「予定通りに行かないとつらいのは分かるよ。でも、デートは楽しんだほうが勝ちだよ。諦めないで、他の楽しみを探そう」

「‥‥はい」


そう力なく答えて、ハンナはショルダーバッグからパンフレットを取り出した。揺れがまだ続く中、周りの席にいた観客たちは、もうほとんど出払ってしまっていた。


「ハンナ、次はどうする?」

「‥‥東館へ行きましょう。まだ行ってなかったと思います」

「分かった、行こう」


月のエレベーターは、小さい月震であれば問題なく動くよう設計されている。建物の中に戻って、東館へ向かった。


◆ ◆ ◆


同じ頃、メグワール学園の女子寮も月震で揺れていた。

夏休み期間中だから外出中の生徒も多かったが、そうでない生徒たちもいた。カタリナもその1人である。セレナも外出してしまい部屋で1人きりになったカタリナは、揺れの中、スマートコンを耳に当てて通話していた。


「‥‥先日のミューザの件は感謝するわ。おかげで、ユマの力を知ることができたわ」

『いえいえ、あっしらにはお安いご用でさ』


その声は、若くちゃらついている男性の声であった。ミューザでユマ、カタリナとゴーカートレースを行った集団のリーダー、そのものであった。


「わたしの指示通り、ちゃんと左側のタイヤを破壊してくれたわね。おかげで予定通り勝つことができたけど、あなたたちの爆弾を投げる位置の正確さにも驚いたわ」

『なになに、カタリナ元帥には及びませんぜ』

「‥元帥って呼ばないで、わたしはまだ一介の学生よ。実績の伴わない呼称は嫌だわ」

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