第26話 水族館に行った(1)

月震とは、月で起こる地震だ。地球の地震より揺れ自体は小さいのだが、時間がとにかく長い。数十分が普通で、数時間かかることもある。以前、学園祭の前日に月震を1度だけ経験した。寝ている間ずっと揺れていて、あまり眠ることができなかった。


「ハンナ、月震の予報がきたからセビレから先には行っちゃだめだって」

「わたくしのところにも連絡が来ました」


人見知りのハンナに、私以外にわざわざ連絡をよこす人がいたのか少々気に引っかかったが、人の交友関係をいちいち把握して統制するのはやめたほうがいい。それとも、アプリの通知か何かだろうか。私はそう思って、気にしないことにした。

私はその後もハンナとたわいない話をしながら、ホジーベ駅へ向かった。


ホジーベ駅は、5階建ての大きな駅だった。色々な路線が入り乱れるターミナル駅のようであった。駅に改札というものが存在したのは遠い過去の話で、今はコインフィチャーを身につけるだけで電車賃が自動で引き落とされる。

私はハンナがこれからするであろう判断ミスをかばうために路線図を見た。この周辺は路線図を見てもかなり複雑に入り組んでいるのがわかるし、同じ路線でもセビレの手前の駅で別の路線に乗り換える便もあるようだった。


「13番ホームでございます」

「えっ、12番ホームにも来てるように見えるけど?」

「いいえ、そちらはセビレの手前で終着する路線でございます」


ハンナは妙に手だれていた。お互い初めてくるはずの駅なのに、ハンナはまるで何度もここへ来たかのように詳しかった。


「この駅、構造が複雑なのによくわかるね」

「いえ、それほどでも」


慣れている理由について、ハンナは説明しなかった。私、ハンナがホームへあがったところで、警告音がした。


「あっ、わたくし、コインフィチャーをつけていませんでした」


ハンナが慌てて黒いバンドを手首に巻いた。抜けているところは変わらないが、それでもハンナが今日のために念入りに準備していた可能性があることは分かった。自分も周りの情報に気を配りつつ、基本はハンナの言うとおりにしようと思った。


『この電車は東西線オンペ経由ハクドマーチュ行き普通です。次はヌーレに停車いたします』


アナウンスの内容は地球と変わらないが、地球では聞き慣れない地名が出てくる。はじめに月を開拓する時、色々な国の勢力が一度に開発したので、様々な言語や種族、宗教などから決められた地名が混在しているのだ。

電車の中もビジネスマンでいっぱいだったので、私とハンナはドア近くのつり革につかまって、話をした。


「お菓子作りだけど、せっかくだから一緒に材料買って作ってみない?」


誘ってみた。ハンナが私にプレゼントしたい気持ちは分かるが、お菓子作りの途中で怪我されたらそれは私にとっても悲しい。ハンナも自分が不器用であることは痛いほど分かっているようで、静かにうなずいた。


「‥‥はい、そうでございますね。一緒に作りましょう。‥‥2人きりでございますし」


ハンナの頬が赤らんでいることに私は気づいた。そうか、一緒にお菓子を作るというのも立派なデートなのだ。そう思うと、自分が誘ったという手前恥ずかしくなってくるのだが、せっかくハンナが喜んでくれたのだ。今から撤回することもないだろうし、ハンナは気弱だから私がある程度の予定を組んで助けたほうがいいだろう。


「材料はいつ買いに行く?今日終わった後あいてる?時間ないなら明日にしようか?」

「き、今日行きましょう」


ハンナは若干食いついているように見えた。デート中に次回のデートの話をしているのだから、なんとしても決まりかけの予定を確定させたいという気持ちが伝わってきた。


「分かった。ミューゼはちょっと大きすぎるから、アユミ先輩と行ったあのデパートにしようか。なんならセビレにお店があれば、そこでも」

「はい。そういたしましょう」


話はまとまった。


◆ ◆ ◆


セビレはホジーベから3つ隣の駅だった。セビレのホームには、「水族館はこちらです」という青い看板があった。魚の写真もいくつか貼っており、雰囲気が出る。

水族館へ向かう道も、壁に魚の絵が描いてあって、まるで自分たちが水の中に入ったかのような錯覚すら覚える。道の装飾を一通り楽しんだあとで、館内に入った。受付もあるにはあるのだが、入館代はコインフィチャーで引き落とせるので受付は会場案内に終始している様子だ。パンフレットをとって、奥へ進んだ。


「うわあ‥‥」


まず圧巻されたのは、最初のトンネルだ。大きな水槽の真ん中を通っているようで、上、横だけでなく下にも魚が泳いでいる。ガラス張りの、無数の光を反射してきらきらした水槽の中のロードは、驚きを通り越して感動すら覚えた。


「重力が違うと水圧も変わりますから、魚は水槽の下の方に集まりがちだそうでございます」


ハンナがパンフレットも読まずにそう説明した。確かに上の方には魚が少ない。月の気圧は魔法で地球と同じように調整していると聞いたことはあるが、水圧に関しては調整がないようで、重力に左右される。

その後も私たちは水族館を回って、様々な魚を見て楽しんだ。月にはもともと海がなかったため、どれも地球に生息する魚を祖先として、月で飼育するうちに独自の進化を遂げた魚が多かった。生物の進化は最低でも数万年のスパンで起きるものだが、月という大きく異なる環境に置かれて急速に変化したのだろうか、それとも魔法でそれを手助けしたのだろうか。月へそのまま持っていけばすぐ絶滅するであろう魚も泳いでいたので、魔法も関わっているかもしれない。


「そろそろ昼ごはんの時間だね、どこで食べる?」


私がパンフレットを見て水族館の中央周辺にフードコートがあるのを確認してから尋ねると、ハンナも案の定「あちらにフードコートがございます」と返した。

フードコートは大きな水槽に囲まれて薄暗く青く光っていて、どの店もさすがに魚の提供こそしていないものの、牛丼、サラダなど多彩な料理を売っていた。私は肉料理を買ったが、ハンナはサラダとパンケーキだった。


「さっきの赤い魚、きれいだったね」


テーブルにつくと、私はハンナに話しかけた。ハンナは黙ってしまうこともあるのだが、せっかくのデートが静かではつまらないと思った。


「はい、水の光を反射してより美しく輝いていました。表面がつやつやでした」

「あれ、観賞用として飼われているらしいよ」

「はい、存じております。月の親戚が飼っております」

「月に親戚っているんだ」


話が少しずつ掘り下がっていく。とりとめもない話だが、ハンナと話している、それだけで楽しいものだ。

だが、話している時、私は気になった。ハンナの表情が少しずつ曇っていくのだ。ハンナはもともと表情が暗いほうなのと、表情の変化が非常にゆっくりなので普通の人が見てもわからないかもしれないが、何年も友達として付き合ってきた私だから分かる。


「親戚と言えば、カタリナ生徒会長の親戚の中にも魚が好きな人がいてね」

「どのような魚を飼っておられるのですか?」


もしやハンナの親戚のプライベートな話を掘り下げたのが原因ではないかと思ったが、そうではなかったらしく、ハンナの表情はもとに戻らなかった。このまま話し続けていても私の気分が悪くなるのだが、会話自体は順調に続いているのでなかなか原因を探りづらかったし、質問もしづらかった。

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