第24話 ハンナの相談相手(3)

私もクレアと話したことはあまりない。クレアは普段から無口で、近くの人にナチュラルにガンを飛ばすタイプの人だ。それだけに、気弱なハンナは自分よりさらに接点はないと思っていた。2人が近くにいる事自体、意外である。

ただ、ハンナにとってはせっかくできた友達だ。人見知りのハンナにとって、友達1人1人の存在は大きい。私もクレアと少しは仲良くなって、ハンナとの距離を縮められたら。というか、あのハンナでも打ち解けられるような性格だから、どのような点で性格が一致したのか、クレアという人に興味を持った。


「クレア、風呂あがったら卓球でもやる?」

「‥寮の遊戯室のこと?あれが使えるのは5年生以降。わえたちは9月から」

「そっか‥‥むう」


私は唇を尖らせた。


「じゃあ、また会ったら一緒に食べよ」

「分かった」


クレアはすぐにうなずき、それからまたハンナを見て、ぼそっとつぶやいた。


「ハンナにもいい友達ができてよかった」

「はい?」


ハンナが目を丸くしてクレアを見るので、クレアははっと我に返ったように手で口をふさいで「なんでもない」とごまかした。

その時はっと思い出した。明日の午後、カタリナの部屋に誘われているのだった。ここで私は、何の用件なのか質問する名目で昼間の雑談の続きをカタリナとメールしてみたいと思った。


「‥じゃあ、私、先に上がっていいかな」

「はい、どうぞ」

「じゃあね、ハンナ、しあさってはよろしくね!楽しみにしてる」

「はい、よろしくお願いいたします」


私が浴室から出ていってしまったのを見届けて、クレアはくすっと笑った。


「‥‥ど、どうなさいましたか、ラジカさま?」

「ふふ‥食事の時、百合の質問ばかりしてた」

「は、はい‥」

「バレバレ」

「‥っ」


ハンナは頬を染めた。ハンナの顔を温めたのは、湯気だけではなかった。少し汗を流して、クレアから少し距離を置いたが、クレアは特にハンナを追いかけることもせずに、湯船であぐらをかいて、にっこりハンナに話した。


「ここから最寄り駅までは行ける?」

「は、はい、学園の近くにバス停がございます‥」

「じゃあ、そこから東西線下りにあるセビレ駅へ行って。そこに水族館がある。駅にも看板があるから分かる。下見に行くならわえも手伝おうか?」

「あ‥あっ」


ハンナは返答に迷った。果たしてクレアに恋愛の話を許していいのだろうか。しかしハンナはすでにクレアに、百合の話を長々としてしまった。今更後には引けない。ハンナはしばらく舌を噛んで考えた後、うなずいた。


「‥‥わかりました。よろしくお願いいたします」


◆ ◆ ◆


206の部屋に戻ると、レイナもマーガレットもいなかった。私1人だ。私は自分の机の椅子に座って、引き出しからスマートコンを取り出した。

メール画面を開いた。誰もいないし音声入力くらいいいよね、と思ってそのボタンを押そうとした瞬間に、ドアが開いた。マーガレットだ。「はぁああ‥‥」と、頭の後ろで腕を組んであくびをしている。


「‥‥あっ、ユマではないか」

「マーガレット、今日も一日お疲れ」


私は音声入力ボタンから指を離して、指で文字入力をしながらマーガレットと話をした。


「‥‥ユマ、一つ聞きたいことがある」

「どうしたの?」


マーガレットが私の後ろで、改まった様子で質問してくるので、私は振り向いた。マーガレットは真摯な表情で、私と目を合わせてきた。


「お前は伝説の聖女アリサの弟子の1人といわれるカーミラ家の末裔か?」

「えっ?」


確かにカーミラという姓は、私の以前の名前と一致する。だが、ただ一致するだけで、本当に末裔なのかはわからない。カーミラという姓自体、どこにでもあるもので、名前が一緒だからといって末裔というわけではないだろう。

それに、私の元々の名前は軍事機密だ。理不尽ではあるが、あまり他の人にしゃべらせるわけにはいかない。


「私はそんな話、聞いたことないかな。あと、私の名前はクィンティンに変わったからよろしくね。ユマ・クィンティンだよ」

「‥‥分かったのだ」


マーガレットは意外とすんなり私に背を向けて、それから「‥ああ、そうだ」と立ち止まった。


「カタリナ生徒会長とは距離を置いたほうがいい」

「‥‥えっ?」

「あいつは、お前の力を狙っている」


聞き捨てならなかった。自分の大好きで、あこがれの対象でもある姉を少しでも侮辱する言葉が許せなかった。でも、まあ友達の一種の戯言だし、と思い直した。


「‥‥ん、はいはい」


どちらともとれる適当な答えで濁した。マーガレットはしばらく何かを言いたげに私の前に立ち止まっていたが、やがて立ち去った。


◆ ◆ ◆


翌日。屋外の太陽はもう、地球でいう15〜16時の位置にいった。空はあと少しで夕方になるのだろう。その時は朝から晩までずっと夕焼けというのも違和感はあるが、これから慣れていくのだろう。室内は明るく調節されているとはいえ、9月の始業式は真夜中の空でおこなうことになる。はじめの授業も、真夜中の学校で行うことになる。そう思うと、新鮮だ、楽しみだとさえ思うようになってきた。

とはいえ、月の建物に使われる窓ガラスは、1日の時間に応じて外から入ってくる光を調節したり、窓ガラス自体が発光したりする作りになっている。建物の中にいる限り、体内時計は極力、地球と同じように保たれる。


外にある太陽と、窓から見える太陽の位置が近づいてきた午後、私は約束通りカタリナのいる512室へ行った。いつも通りセレナがいるのではないかと思ったが、部屋をノックして中からカタリナの「入って」という声がしてドアを開けてみた時は、カタリナ1人しかいなかった。それが妙に気になって、私は自然と浮足立ち始めた。


「生徒会長、参りました」

「あっ、ユマ」


机の椅子に座っていたカタリナが振り返った。


「呼び捨てでいいわよ、部屋にはしばらく誰も入らないから」

「分かった」


私はそう言って、いつものようにカタリナのベッドに座った。カタリナは机の上に置いてあった皿を持って、私の隣に座ってきた。おいしそうな、甘そうな匂いが漂ってくる。


「クッキー、作ったよ」

「わあ、久しぶり!食べていい?」

「いいわよ、ユマのために作ったから」


カタリナが皿を差し出してきたので、私はそれを1枚、2枚、口の中に含んだ。クッキーのシャキシャキとした感触と甘みが口の中に広がってきた。自分の表情が緩んで幸せになっていくのを感じる。カタリナは学園に入ってからは帰省した時にしか料理をしなくなったので、カタリナと同じ月キャンパスになって、これから1年間おいしいお菓子を食べられるのだろうか。そう考えると、私の頭は多幸感で満たされる。


「おいしい?」


余裕のある表情でカタリナが尋ねてきたので、私は首を大きく上下した。カタリナは技力が高いので、メイジの操縦だけでなくそれ以外も器用で、料理もうまい。

私はぱくぱくと、次々とクッキーを口の中に放り込んだ。


「全部食べちゃって」

「うん、うん!」


ついに最後の一枚を口の中に含めてしまった。しゃきしゃきというこの感触も最後だ。私は名残惜しそうにその1枚を口の中で何度か転がし、味わった。


「ごちそうさま。お姉さんのクッキーが食べられて幸せ!」

「ありがとう、わたしも嬉しいな」


私の笑顔を見たカタリナも、嬉しそうだった。

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