第23話 ハンナの相談相手(2)

「初めまして、かな」

「は、初めまして、でございます‥」


ハンナは一応返事はしたが、案の定クレアが自分を睨んでいるように見えて、そのきつい目つきから一刻も早く逃げたいと思った。しかしその気持ちも、次の言葉に上書きされた。


「‥やっと話せた」

「えっ?」


あっけにとられた顔をしているハンナを見て、クレアは不器用に微笑んだ。


「わえ、ずっと前からあんたと話したくてさ」

「は、はい」

「声をかけようとしたらいつも、偶然あんたが遠くの人と話しに行ったり、急にトイレに行かれたりするからさ」

「はは‥」


ハンナは苦笑した。偶然ではなく避けていたのだが、クレアの話し方から見て、この人は男のような乱暴な話し方をするものの悪い人ではないと感じ取った。


「‥どうしてわたくしとお話したかったのですか‥?」

「あんたとは初めて会った気がしなくてさ」

「はい?」

「生まれるずっと前から会っていたような気がするんだ。わえが何百年もかけて看病していた相手のような‥‥」


ハンナは目をぱちくりさせて、すぐにこの人は電波系ではないかと思った。自分も偏ったジャンルの本を好んで読んでいるので電波に近いという自覚はあるのだが、クレアは自分の上を行く人ではないかと思って、唇を噛んだ。

クレアも自分でしゃべっていて気づいたらしく、「ああ、まあ‥」と耳の少し上のところを叩いて、続けた。


「とにかくさ、初めて会ったときからあんたのことが気になっていた」

「は、はい」

「見たところ、あんたが何かに困っているように見えてさ。わえに手伝えることってない?」

「あ‥‥」


ハンナは今すぐにでも誰かに助けを求めたい気持ちだった。だが、4年間同じ学校にいたとはいえこれまでほとんど話したことのないクレアとは実質初対面だ。そのような相手に、恋愛というプライベートな話はできない。


「‥ございません」


その返事にクレアはしばらく口を結んだまま考えてから、「‥そう」と小さくうなずいて、立ち上がった。ちょうどハンナのすぐ後ろに座っていた人が立ち上がったので、クレアはそこへ腰掛けて、ハンナの肩を触った。


「リラックスできるように、肩を揉んとこっか」

「‥はい」


内心では拒否したかったのだが、実際自分は悩んでいてリラックスが必要だから仕方ない。それに何より、疲れている体では抵抗もままならない。

クレアの肩もみは、心地よかった。乱暴な口調からは全く想像できないほど、それは天使のようにあたたかく、心地が良くて、実家に残した母のことを思い出すくらいのものであった。


「‥うん、ほぐれてきた」


ハンナの肩の力が抜けたのを感じ取ったクレアの言葉に、ハンナの頬も自然と緩んでいた。


「ありがとうございます、クレアさまのおかげでございます」

「ん‥‥」


その言葉にクレアはしばらく黙って、肩を揉む手を止めて、ハンナの肩に手を置いたまま黙りだした。


「‥‥どうかなされましたか、クレアさま?」

「ラジカって呼んで」

「はい?」

「わえの名前じゃないけど‥なんでか分からないけど、こう呼ばれたほうが落ち着く」


幼少時のあだ名か何かなのか、とにかく深く考えるには及ばないものだとハンナは考えた。


「‥はい、分かりました。ラジカさま」

「うん」


クレアはその言葉に微笑んで、また肩もみを再開した。


◆ ◆ ◆


自然な流れで、ハンナはクレアと一緒に食事することになった。人見知りのハンナにとって初対面の人との食事は緊張極まりないものだったが、この時はなぜか、不思議と緊張しなかった。別にクレアに心を許したわけではないのだが、一度話してみるとなんとなく近寄りやすい、磁石のN極とS極のような関係ではないかと思い始めていた。なぜそう思ったのか自分でもわからないのだが、性格の波長が似ているのだろうかとハンナは自分を納得させた。

食事をはじめていつまでたってもしゃべらないハンナを見て、クレアが話しだした。


「あんたさ、趣味は何なの?」

「はい、読書でございます」

「何読んでんの?」

「小説でございます。恋愛小説が多くて‥‥」


ハンナとクレアが出会ったのは4年前の学園入学式のときであるが、この会話は誰がどう見てもついさっき初めて会ったばかりの人同士のものである。とにかくお互いの知識が不足していた。


「‥どんな恋愛が好きなん?百合かな?」


クレアがふと推測してみせると、ハンナは頬を赤らめた。図星である。百合好きであると人に知られたら気持ち悪がられるのではないかと思っていたハンナは、隠すつもりだった。しかしそれをノーヒントで一発で当てられた。いくら恋愛小説の大筋になるパターンがそれほど多くはないとはいえ、ピンポイントで当てられたことにハンナは背筋の凍る思いがした。


「‥‥恋愛小説ですね」

「そっか」


クレアはそれだけ言って、食事を再開した。クレアが食べている間、2人にはまた静寂の時間が戻った。クレアが小皿の食事を半分にしたところで、また口を開いた。


「わえ、百合が好きでさ」

「はい?」

「百合小説を読んでると、なんかさ、自分も大昔に‥‥生まれるずっと前から百合ってたみたいな気分になってさ‥‥ああ、今のは忘れて」


クレアはまた食べ始めた。しかしハンナは自分の食事の手を止めてクレアをぼんやり眺めて、一度フォークで刺した唐揚げを口に入れて飲み込んでから、口を開いた。

この人ならもしかして。特に強い根拠があるわけではないが、百合に少しでも興味を見せた人に質問する価値はあるかもしれない。


「‥ラジカさまは、思いを寄せている女性と2人でお出かけする時、どのような場所へ行かれますか?」

「ん、わえは特に女が好きってわけではないけどさ、そうだね、遊園地に行くかな。その他は水族館とか、ウィンドウショッピングとか、花畑に行くとか、手頃なスポットへ行くと思う」


その返事を聞いてハンナは、当たりを引いたと思った。それまで引き締まっていた頬もすっかり緩んで、クレアに笑顔を見せた。


「例えば水族館に行かれるとして、どのようなコースでお回りになりますか?深海魚はデートに合いますか?」

「飲食店はどのような基準で選ばれますか?」

「映画館で避けたほうがいいことはございますか?」

「目的地が遠いところでも下見には行かれますか?難しい場合はどのように準備されますか?」


自分がユマを好きであることは伝えないようにしつつ、これまでの寡黙な姿勢から一転、クレアに次々と質問を浴びせていった。


◆ ◆ ◆


「あれ、珍しい組み合わせだね」


浴場で体を洗い終えた私は、湯船に並んで座っているハンナとクレアを見てこう言った。


「は、はい‥」


ハンナは私の顔を見るなり、我に返ったように萎縮して、首を大きく折り曲げた。私がハンナの隣に座ろうとすると、ハンナは「あっ‥」と小さい声を漏らして、クレアのほうに寄った。明らかに何か緊張している様子である。

緊張している理由は、大抵は私のせいなのだろうか。それとも‥‥私の裸に興奮しているのだろうか。私は百合のことはよくわからないので、ハンナの気持ちはあまり理解できないが、今のハンナにはあまり近づかないほうがいいということは分かった。


「ハンナ、今までクレアを避けてる感じがあったんだけど、何があったの、意気投合でもした?」

「は、はい、そのようなものでございます‥‥ラジカさまとたまたまお話していましたら、話が合いまして‥‥」

「ラジカ?ラジカって誰?」

「あっ、クレアさまでございます」


ハンナは慌てて訂正した。

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