第20話 映画を観た
「ユマはさっき、男と目が合った瞬間に眠らせていたわ」
「でも、お姉さんと比べるとすごくないなって‥‥」
「すごいわ。十分という意味ではなくて、間違いなく一流よ」
そう言って、カタリナは高野豆腐を一個、口の中に入れた。
「ユマが魔法をかけた時、相手の拳はユマの目と鼻の先だったはずよ」
「うん‥」
私は力弱くうなずいた。カタリナはそんな私を励ますように、豆腐を3個くらい私のサラダに入れてきた。それから「ひとつちょうだい」と言って私がうなずくと、唐揚げを1個取り出した。
「普通、魔法は無詠唱だとしても、かかってから数秒で効果が出るよね」
「うん‥」
「さっき、ユマはコンマ1秒で相手を眠らせたわ。そのようなことができる人は、世界中でもほんの一握り。莫大な魔力が必要なのよ」
「えっ‥」
反応する私をよそに、カタリナは唐揚げを食べた。私は呆然として、サラダを取るフォークを握る手が動かなかった。
「ユマ。わたしは確信したわ。ユマは間違いなく、ベテラン軍人すら凌駕する。世紀を変えるほどの力を、あなたは持っているわ」
カタリナの目が、じっと私を捉えていた。
それは、何かを期待する目だった。
静かにテーブルから身を乗り出して、先程の余裕のある笑顔から一変して真顔になったカタリナが、私に語りかけてきた。
「最高の技力を持つわたしと、最高の魔力を持つユマが手を組んで、同じメイジに乗ったら‥‥わたしたちは間違いなく全宇宙で最強になるわ。この世界の王にだってなれるのよ。‥‥ユマはどう思う?」
冗談やほらには見えなかった。同時に、急に話がシリアスになった不自然さが私の頭にこびりついて、目の前にいるのは自分の知っている人ではないという不安にかられた。
「‥‥それは」
私は言葉を濁した。とたんに、目の前にいる人はまた元通りのカタリナになった。
「ふふ、時間はたっぷりあるわ。焦らずゆっくり考えてね」
「うん‥」
私の心臓はまだパクパクしていた。
何か、嫌な予感がする。
漠然とした不安がある。
さっきのカタリナは、本当にカタリナだったのだろうか。
そして、ふと思い出した。
男たちに迫られた時、「眠らせて」という声が聞こえた。だから私は男たちを眠らせたのだが。
眠らせるという発想は、明らかに私の中にはなかった。私の声でもない、カタリナの声でもない、知っている人の声でもない、何か別の人の声のようなものが私の脳内に干渉してきた。それすら不愉快に思えてきた。
◆ ◆ ◆
食事をとった後は、最初に行こうとして中止になった映画を改めて観ることにした。B館の8階へ行くと、やはり人だかりができていた。壁に貼られているポスターを見ると、アクション映画、サスペンス映画のほかに、恋愛映画があった。それも、ポスターには2人の、お互い向き合った女性たちの横顔が、夕日をバックに大きく描かれている。カタリナが映画を観ようと言ったのであれば、こういうことだろう。私は姉と遊びに行っているつもりだったが、カタリナにとってこれはデートであるということを思い出した。私の感情に関係なく、カタリナにとって私は恋愛相手であり、性別問わずれっきとしたデートなのだ。
「あの映画を観るわ」
カタリナが指差したのは、それではなく、隣りにあるアニメ映画だった。二頭身の「ピク」と呼ばれるかわいいキャラクターが動き回るタイプの、最近流行りの映画だ。ポスターいっぱいに、小さいかわいいキャラクターがびっしり描かれている。
「えっ‥?」
私は思わずカタリナの横顔を見た。
「ほんとにあのピク?」
「ええ、他に観たい映画でもあるの?」
カタリナに逆に質問されて、私は返答に迷った。自分は特に百合の映画を観たいわけではないが、カタリナがもし百合の映画を観るのを我慢しているとすれば、と考えると、私はジレンマに陥ったような気がする。
「ええと‥‥お姉さんが本当に観たい映画はどれ?」
「えっ、ピクだけど」
さも当然かのように返答された。
カタリナは百合に興味がなくて、ただからかうために私を誘ったのではないだろうか?なぜか私は安心することはなかった。冷や汗が出て、胸の奥が引き締められるような気持ちになった。むろん映画館デートで必ず恋愛の映画を観るとは限らないが、こうはっきり否定されると嬉しさ以前に寂しさ、そしてカタリナを独り占めしたいという感情がこみ上げてくるのだ。
「‥‥分かった、私もピクが観たい」
私は機械的にそう返事した。一刻も早くこの場から逃げたかった。羞恥心、焦燥が私にはあった。
映画は、ピクたちの住む土地にキリギリスたちが攻め込むところから始まった。抵抗するが次々と負けていくピク、そして毎月、固定資産税と称して大量の金を巻き上げられるピクたち。キリギリスと戦うことを決意した。でもキリギリスの集団は強い。それを、ピクたちは知恵を振り絞って倒していく。
3時間程度の大作映画が終わった後、私達はまたフードコートに行って、バフェを食べた。屋外だと夏の暑さで溶けてしまうので、室内に席をとった。
「映画、面白かったね」
映画を見る前の猜疑心はどこかへ行って、私はすっかり映画の内容に滿足してしまった。
「えへへ、選んだわたしも嬉しいわ。ありがとう」
カタリナも笑って、パフェをほおばった。その後も私とカタリナは一通り、あの映画の感想を話し合った。ピクたちが最初のキリギリスを仕留めるときのアクションシーン。あれは圧巻で、私達も息を呑んでしまった。笑いながら、泣きながら、怒りながら、感情移入して観れた映画だった。
ふと、カタリナが食べ終わった後のパフェの皿をテーブルにことんと置いて、また私の目をしっかり見て言った。
「ユマ、もしわたしたちが今、あのキリギリスだったとしたらどうする?」
カタリナは頬杖をついて、にこやかに言った。半分冗談ぽかったが、その双眼はどことなく鋭く、透き通って、私の一挙一動を監視しているように見えた。
私が返答をためらうと、しばらくしてカタリナはまた笑って話しだした。
「ふふ、冗談よ。でも、自分の人生の主人公は自分だけど、この世界の主人公はわたしたちとは限らない。悪役には悪役の、ヒーローにはヒーローのストーリーがあるのよ」
「う、うん‥‥」
正直何の話をしているか分からなかったが、カタリナは顔に笑顔をたたえながら、空っぽのパフェの皿に残ったクリームをスプーンで集めて口に含めた。
◆ ◆ ◆
太陽は朝と比べると微妙に傾いていた。日光に隠れていた青い地球が、真上の空にうっすらとその姿を現した。月では、ある地点から観測する地球は時間によって移動したりせず、常に同じ場所にとどまるのだ。私たちの今いる学園近くでは、地球は常に真上にある。
空の明るさは昼だが、時計は夕方をさしている。カタリナと一緒にいられるのも、ここまでだ。寮に戻ったら、また敬語を使ってカタリナ生徒会長と呼ばなければいけない。そう思うと私の心は重くなってくる。
「大丈夫?」
帰り道を歩きながら、カタリナが心配そうに尋ねてきた。
「‥‥お姉さんとまた他人みたいな関係に戻るかと思うと、寂しい」
「大丈夫よ。メールではいつも通りだし、なんならまた2人で出かける?」
「うん」
私は即答した。カタリナと一緒にいられて楽しかった。この時間を作ってくれて嬉しかった。
「学園も見えてきたし、ここからは敬語でね」
「はい」
カタリナは私の手を離した。ここで、私はカタリナと手をつないでいたことに初めて気づいた。自然に、自分の気づかないタイミングで、すっと握ってきていた。離れるだけで手元がすうっと寒くなって、私はその手をもう1つの手で包んで温めたが、うまく温まらないような気がした。それだけに寂しくて、むすがゆくて。
カタリナはあくまで姉だから、これはデートじゃなくて遊びだから、と何度も自分に言い聞かせつつ、私はカタリナから少し離れて歩いた。
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